1923年(大正12年)9月1日午前11時58分。
関東大震災が発生した。地震の規模はマグニチュード7.9。発災が昼食時と重なったため火災が発生した。しかも台風の影響で関東全域に強風が吹き、火事は次々に延焼。旧東京市の4割ほどが消失し、鎮火までに40時間以上を要した。

この大災害の詳細については、NHKの特設サイト「災害列島 命を守る情報サイト」に詳細が記されている。よって当シリーズでは災害そのものではなく、この100年間に自然災害とメディアの関係がどう変化してきたのかを深掘りしたい。

災害の発生自体は我々の力では容易に変えられない。
ただし事前準備・避難などの防災や、発生後の対応で被害を最小限にとどめる減災は可能だ。そこで力を発揮するのが、放送やインターネットなどのメディアとなる。

シリーズの第1回は、関東大震災後になぜラジオ放送が始まったのか、そして放送はどんな機能を期待されていたのかを考える。


ラジオ放送開始のきっかけ

関東大震災の死者・行方不明者は10万人を超えた。
ただし被害は地震そのものだけでなく、その後に発生した火災により9割が命を落としていた。つまり災害直後の対応次第で、被害はもっと抑えられたはずなのである。

しかも火災の鎮火後にも不幸が重なった。
混乱に乗じた朝鮮系日本人による暴動などのうわさが広まり、民衆や警察、さらに軍によって朝鮮人やそれと間違われた中国人や日本人が殺傷されたのである。
被害者の数は正確には分かっていないが、全犠牲者の数パーセントに及ぶと見られている。

100年前の大震災発生と同じ今年9月1日、映画『福田村事件』が公開される。
震災から6日後に、香川県からの行商団員が千葉県で虐殺された事件を題材にしている。こうした不幸が、関東各地で起こっていたのである。

震災後、こうした不幸に対策を講ずるべきという声が上がった。
間違った情報の流布に対して、正確な情報が迅速に人々に届いていれば、無用な殺戮は防げた可能性があるからだ。

かくしてラジオ放送への要望が高まった。
そして大震災から1年半ほどで、ラジオ放送は実現に至った。1925年3月22日だった。


放送の4機能

日本初のラジオ放送は「JOAK、JOAK,こちらは東京放送局であります」で始まった。
続いて社団法人東京放送局(NHKの前身)の総裁・後藤新平が15分の演説を行った。後藤は震災復興計画を立案した内務大臣でもあったが、日本初の放送については4つの機能を掲げた。

「文化の機会均等」
「家庭生活の革新」
「教育の社会化」
「経済機能の敏活」

1つ目の「文化の機会均等」とは、それまで劇場や博物館などに出向かなければ触れられなかった文化や芸術が、家庭にも送り届けられるようになり、結果として日本の文化水準を高める効果を意味した。

2つ目の「家庭生活の革新」は、従来は家庭の外に求められた慰安娯楽が一家団らんの中にまで届けられ、家族が円満かつ豊かになる点を指した。

3点目の「教育の社会化」は、学校での教育の他に、家庭団らんのうちに各種の知識が人々に届けられる効果が意識された。流言飛語に惑わされない心構えや知性を涵養する意義もこの中に入る。

そして最後の「経済機能の敏活」は、国内外の経済情報が一般家庭に届けられることで、消費が喚起され商取引が活発化する効果が挙げられた。

特にこの4点目は、情報の流通以前に、直接的な経済波及効果もあった。ラジオ放送は当時のハイテクだ。放送設備への投資や、ラジオ端末の普及は大きな意味を持った。例えばラジオ1台の値段は、当時の小学校教員の初任給ほどと高価だった。放送開始1年で20万台、7年で100万台以上普及し、当時の大ヒット商品となったが、当時の経済にとって大きなプラスだったことは言うまでもない。


通信と放送の関係

このように放送は社会に大きな影響を与えた。
ただし通信との関係で忘れてはいけない点もある。実は放送は技術的には通信と全く同じもので、制度的に異なるものと切り分けられたに過ぎない点だ。

両者の法的定義を見てみよう。
電気通信事業法では、「(通信は)有線、無線、その他の電磁的方式により、符号、音響又は、映像を送り、伝え、又は受け取ること」とある。そして放送法には、「(放送は)公衆によって直接受信されることを目的とする無線通信の送信(下線筆者)」と明記されている。

つまり放送は、1対1ではなく、1対多の関係で行われる「無線通信の送信」なのである。
この技術的には同じものだが、制度的に別々に切り分けられたシステムが、この四半世紀の技術進歩で区別の意味をなくして行った。
インターネットの登場で、通信が放送と同じような機能を果たせるようになったからである。

以上のように、放送は不幸な出来事を契機に始まった。
そして放送が発展する中で、災害報道は充実していった。ところが通信がITで飛躍的に進化するに至り、災害への対応で通信が勝る局面が増えて行く。
つまり放送と通信の関係が変質する中、災害に際してメディアの出来ることが飛躍的に増えて行ったのである。

シリーズ2回目では、放送という1対多のシステムゆえの限界を、通信がITで徐々に凌駕し、1対1の優れた点を取り込んで災害報道が進化する様子を概観する。


【防災プロジェクト 関東大震災から100年】関連番組
NHKスペシャル「映像記録 関東大震災 帝都壊滅の三日間」(前・後編)
9月2日(土)午後10時~/9月3日(日)午後9時~  NHK総合(2夜連続放送)
関東大震災の発生からの3日間を当時の記録フィルムに残された映像を高精細・カラー化して追体験。甚大な被害を招いた帝都壊滅の3日間の全貌に迫る。

前編(9月2日初回放送)の公式ページはこちら
後編(9月3日初回放送)の公式ページはこちら


愛知県西尾市出身。1982年、東京大学文学部卒業後にNHK入局。番組制作現場にてドキュメンタリーの制作に従事した後、放送文化研究所、解説委員室、編成、Nスペ事務局を経て2014年より現職。デジタル化が進む中で、メディアがどう変貌するかを取材・分析。「次世代メディア研究所」主宰。著作には「放送十五講」(2011年/共著)、「メディアの将来を探る」(2014年/共著)。