過去がわたしたちを手放してくれない
アレクシエーヴィチ

*アレクシエーヴィチはベラルーシの作家
旧ソ連を生きた無名のひとびとの声を掘り起こし、2015年、ノーベル文学賞を受賞

旧ソ連では、
「ひとは幸福のため、愛のために生きる」とは教えません。
教えていたのは、いかに死ぬかということです。

人が存在するのは自分を捧げるため、火に飛び込み自分を犠牲にするためだと、
くり返し教えていたのです。武器をもつ人間を愛せ、と。

わたしたちは死刑執行人とその犠牲者のなかで育ちました。
わたしたちの吸う空気じたいが毒に染まっていました。
悪はつねにわたしたちを見張っていたのです。

たえず出くわす表現は、
「銃殺する」「抹殺する」「射殺する」「文通なしの禁固刑10年」
わたしたちは恐怖のなかを生き、沈黙を強いられました。
だれもが、憎悪と偏見に満ちていました。

自由とはなにかを知りませんでした。
たとえ強制収容所の外に出られたとしても、
自由な人間になれるわけではありません。

そしてソ連崩壊後、わたしたちは世界共通の現実に放り出されました。
その途端、わたしたちは震えあがりました。あまりにも無力だったのです。

自由な人間が必要なのに、存在していないのです。

ソ連崩壊後も、共産党は裁かれませんでした。
官僚の公職追放もありませんでした。
過去がわたしたちを手放してくれないのです。

わたしたちは世界を受け入れず、閉じこもってしまいました。
いま、自由のかわりに、ふたたびスターリンをなつかしむ声がきこえています。

ロシアは、どんな国になるべきかとおもうか、
強い国か、それとも人が快適に暮らせる立派な国か、と聞いたら、
10人中8人が「強い国」だと答えました。
「帝国に住みたい」というのです。未来ではなく、過去を選ぶというのです。

そしていま、ロシア人は優れた兵士で、いのちの値段などどうでもいい、
安いものだといって、世界を仰天させています。
自分たちロシア人を尊重させるには、暴力で世界を脅迫すればいい。
そんな方法しか知らないのでしょう。

プーチンはどうやって、あれほど素早くスターリン時代のシステムを
再現できたのでしょうか。

またしても保安庁(旧KGB)が好き勝手に家宅捜索を行い、パソコンを押収し、「ウクライナ支援」の投稿をしたブロガーに有罪判決を下す。
 ロシア全土で、学者、教師、軍人をスパイに仕立て上げています。

かつてのソ連人が、ふたたび帝国を作ろうとしています。
全世界を敵に回そうとしているのです。
またしても……。

ロシアの人々はだれもが怯え、
ほんとうのところ、社会になにがおこっているのか分からずにいます。

人間の魂はゆっくりとしか変化しません。
*ノーベル賞受賞講演(2015)および東京外国語大学講演(2016)からの抜粋


作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチは、大戦後の1948年、ウクライナのイヴァノ・フランコフスカ(当時はスタニスラフ)で生まれました。映画「キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩」の舞台となった街です。当時、この街はソ連の一部でした。
アレクシエーヴィッチの父はベラルーシ人、母はウクライナ人、家族は大戦後、ベラルーシに移住しました。

作家になったアレクシエーヴィッチは、旧ソ連を生きた無名の人々をたずねて、真実の声を掘り起こす仕事を続けてきました。そのなかで国家が隠してきた多くの事実があかるみになったため、権力から激しい攻撃を受けました。

作家としてのおもな代表作は「戦争は女の顔をしていない」「アフガン帰還兵の証言」「チェルノブイリの祈り」「死に魅入られた人びと―ソ連崩壊と自殺者の記録」「セカンドハンドの時代―『赤い国』を生きた人びと」

人びとの証言をたどっていくと、スターリン時代からソ連崩壊、そしてプーチンの時代にいたる一世紀のクロニクル、負の遺産がうかびあがってきます。
彼女の作品から、いまウクライナで起きていることと過去におきた出来事がどのように響きあうのかを学ぶこともできます。

*ちなみに「戦争は女の顔をしていない」は3年前に映画化され、カンヌ映画祭で2冠に輝きました。
映画のタイトルは「戦争と女の顔」。予告編の映像をごらんください。過酷な戦場で戦った女性兵士の眼を通して、独ソ戦の衝撃的な真実をえがいた作品です。

■予告編リンク


「キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる時」前回までのあらすじ

この連載では、三回にわたり、映画「キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる時」の物語を材料にして、独ソの独裁国家にはさまれた、いわゆる「流血地帯」を生きた人々の悲劇をみつめました。
その負の遺産は、21世紀のいまも、なお清算されてはいません。
今回は、ポーランド人、ユダヤ人、ウクライナ人の三人の少女がいやおうなく投げ込まれた、ソ連の監視社会の恐怖にふれたいとおもいます。


第四回 ウクライナのための祈り 

独ソ戦のさなか、ドイツとソ連の占領地では、ウクライナの独立をめざす独立運動が広がりました。
1942年には、「反ドイツ・反ソ連」をかかげる「ウクライナ蜂起軍」(UPA)が誕生。独ソの秘密警察を相手に、すさまじいゲリラ戦をはじめます。
ミハイロも、ウクライナの独立を夢見て、ドイツ軍の動向を探りました。

1943年、ナチスは抵抗運動に対し、狡猾な計略を立てました。
まことしやかに文化交流をうたい、市民をオペラ観劇に招待。
音楽に飢えていた市民が劇場に集ったところで、待ち構えていたナチス親衛隊が姿をあらわし、観劇に来ていた男性を全員逮捕したのです。

ミハイロは銃殺されました。
映画では、ナチスによる独立運動の闘士の公開処刑が描かれています。
監督によれば、これも事実にもとづいて再現されたシーンです。

ナチスによって処刑されたユダヤ人犠牲者の遺体。ナチスは、ウクライナでユダヤ人を大量に射殺した。

夫の最期を見届けた妻ソフィアは、衝撃を受け、錯乱します。
憑かれたように虚空を見すえ、狂ったように疾走し、突然、風呂場にこもります。ソフィアの異様なふるまいを見て、三人の娘が駆け寄り、すがるように抱きしめます。その瞬間、ソフィアはわれにかえりました。 

ソフィアは娘たちを見つめ、自覚します。
わたしは死ねない。わたしには使命がある。この娘たちを路頭に迷わせてはならない。飢え死にさせてはならない。ナチスやソ連の収容所には送らせない、奴隷にさせない、殺させない……。

ソフィアは、3人の娘たちを守り抜くことを決意する。
©MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020

わたしは生きて、たたかわなくてはならない。亡き夫とともに。

*独ソ戦で荒廃したウクライナ 
人類史上最大の犠牲者を生んだ独ソ戦は、1945年5月8日、ドイツの敗北に終わりました。民間人の犠牲はおびただしく、1000万人を超えます。
ソ連軍の戦死者は1470万人、そのうち800万人はソ連の国民として動員されたウクライナ人です。
そして、もっとも大量の血が流された主戦場もウクライナでした。

当初、赤軍は劣勢で、ドイツの大攻勢を受け、退却をくりかえしました。
退却のさい、赤軍は破壊的な焦土作戦をおこなっています。
たとえば、ダムを破壊して洪水をおこす。街や村を焼き尽くす。
敵に利する可能性のあるものはすべて、あらかじめ破壊しておく「戦法」です。

スターリンの赤軍は、勝利のためには、味方の兵士を犠牲にすることさえ厭いませんでした。
今のロシア軍もおなじです。味方の兵士を平気で大量に「消耗」します。
最前線への突撃を拒めば、背後の味方(督戦隊)から射殺されます。
プーチンのロシアは、まさにスターリン時代の人命軽視を再演しています。

独裁者ヨシフ・スターリン。民族テロル、強制移送、恐怖政治によって1000万人の命を奪った。プーチンはスターリン批判を禁じた。

独ソ戦にはなしを戻しましょう。主戦場のひとつであったウクライナは、見る影もなく荒廃しました。いまのウクライナと瓜二つの光景です。

それにしてもソ連はなぜ勝利できたのでしょうか。 
おおきな力となったのは、連合軍の支援、とりわけアメリカでした。

ソ連の敗北が連合軍の敗北につながることをおそれたアメリカは1941年10月、「武器貸与法」(レンド・リース法)を成立させ、総額113億ドルを供与、北海ルートや中央アジアルートを通じて、大量の戦車や航空機をソ連に送ったのです。英米からの支援がなければ、ソ連の命運は尽きていたことでしょう。

スターリン自身、「レンド・リースを通してわれわれが受け取ったアメリカ製車両がなければ、ソ連は戦争に敗けていただろう」と側近に打ち明けています。

しかし、ソ連のプロパガンダでは、独ソ戦とはあくまでも「共産主義がファシズムに打ち勝った戦争」であり、資本主義アメリカの支援は「戦況に決定的な影響を与えなかった」と過小評価しています。

プーチンもまた、独ソ戦の神話化をすすめ、ロシアのナショナリズムを強化するために徹底的に政治利用しています。

歴史観の政治利用と言えば、この8月、プーチンは、ウクライナ侵攻を正当化するプロパガンダを山ほどもりこんだ新しい国定教科書を採用しました。

BBCの解読によれば、今後、ロシアの子どもたちは、「ウクライナに対する特別軍事作戦をプーチンがはじめなければ、人類文明は終焉を迎えていた可能性がある」と教え込まれることになります。

あたらしい教科書は、西側諸国がロシアを破壊しようとたくらんでいると強調し、ウクライナは、ロシアをいらだたせるために西側がつくりだした発明にすぎないというのです。もはやこれは教科書などではなく、あきらかに侵略を正当化するプロパガンダです。

ソ連が崩壊してから32年になりますが、秘密警察KGBの人脈と組織は温存され、その権力はKGB出身のプーチンによって強化されました。

わたしはかつて、「新・映像の世紀」という番組の取材で、旧東ドイツの秘密警察シュタージやソ連のKGBについてリサーチしたことがありますが、ウクライナをめぐるロシアの数々の破壊工作やニセ情報の拡散工作を振り返ると、その組織も発想もノウハウも、まさしくソ連時代を再演しているようにおもえてなりません。

■新・映像の世紀 第4集 世界は秘密と嘘に覆われた」番組リンク

アレクシエーヴィッチの指摘するように、「ソ連人がふたたび帝国をつくろうとしている」のではないでしょうか。
ロシア国家の核心に、ソ連の秘密警察KGBを継承したきわめて強力な人脈がプーチンとともに居座っていることを、なによりもまず肝に銘じるべきだと思います。

*1944年 ソ連による再占領
1944年、スタニスワフは、ソ連軍によって再び占領されました。
ヒトラーのドイツは去りましたが、スターリンのソ連が戻ってきたのです。

ソ連は直ちに、ウクライナ蜂起軍とその協力者に対する迫害をはじめました。
そのせいで三家族は、耐えがたい災厄に見舞われます。
ソフィアのアパートに乱暴なソ連兵がやってきました。

NKVDの乱暴な詰問にも、ソフィアは臆することなく応える。
©MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020

家じゅうを荒らされたあげく、ソフィアはナチスの協力者と疑われ、ソ連当局に連行されます。NKVD(ソ連の秘密警察)の担当官は、ソフィアを密室によびつけ、大声で威嚇します。

「きさまの夫はOUN(ウクライナ民族主義者組織)だ・・・ということは、おまえもOUNとかかわりがあったに違いない さっさと白状しろ!」

これに対し、ソフィアは冷静に答えます。
「主人はソ連でなく、ナチスに抵抗したために処刑されたのです。それに、わたしは音楽の個人教授をしていただけで、OUNのことはなにも知りません」

しかし、NKVDは、ソフィアを反ソ分子ときめつけて処罰するシナリオをすでに用意していました。ソフィアの言い分に耳を傾けるつもりなどありません。

「音楽?」
秘密警察の担当官は、あざけるように訊き返します。
「なんの音楽だ?」

ソフィアは正直に、「ウクライナの民謡を教えていました」と答えます。
すると担当官は、居丈高に、暴言を吐きます。
「ウクライナの民謡?・・・きさまはまちがっている。ウクライナの民謡など存在しない・・・そもそもウクライナなど存在しないのだ!」

「ウクライナなど存在しない」という考えはロシアのプロパガンダそのものです。

*ロシアの性暴力はなぜくりかえされるのか
暴言と脅迫をエスカレートさせていく担当官は、卑劣にもソフィアに挑みかかり、強姦しようとします。必死で抵抗するソフィアの叫び声が取調室に響きます。

ちなみに、ソビエト兵士による占領地での強姦は、想像を絶するほど大規模におこなわれたことが歴史家によって告発されています。
たとえば こういう数字が残っています。20世紀のヨーロッパ史の信頼すべき碩学であった歴史家トニー・ジャッドのリサーチから引用します。

「クリニックや医師からの報告によると、ウィーンでは赤軍到着後の三週間のうちに、ソヴィエト軍兵士によって8万7千人の女性が強姦された。
ハンガリー、ルーマニア、ユーゴでも暴行はくりかえされました。

「ドイツのソヴィエト占領地域では、1945-46年に、15万から20万人の『ロシア・ベイビー』が生まれている」この数字には中絶はふくまれていません。
「中絶の結果、多くの女性が死亡」
「生き残った幼児の多くは、孤児やホームレスになった」

ここでも、過去は現在の「戦争犯罪」と響きあっています。というのは、いまもなお、ウクライナのロシア占領地域では、ロシア兵による強姦があとをたたないからです。

去年のコラムでもお伝えしましたが、昨年11月28日、ゼレンスキー大統領夫人オレーナ・ゼレンシカは、世界53か国の代表とともに「紛争下の性的暴力防止に関する国際会議」(イギリス主催)に出席し、「性犯罪が公然とロシア軍の武器、戦争の手段となっている」と証言しました。

夫人は、「兵士らが罰を受けずにすむとかんがえているかぎり戦争犯罪はなくならない」として、責任の追及をうったえました。

まさにその通りで、第二次大戦下でも今回のウクライナ侵攻でも、ロシアの戦争犯罪者のほとんどは処罰されていません。処罰がなくては、戦争犯罪はエスカレートする一方です。

ロイターの聴き取り調査によればウクライナのさまざまな場所でロシア軍が性的暴行を行った疑いがあります。家族に暴行の様子を見るよう命じたり、複数の兵士が関わったり、銃口を向けて暴行したケースも多数ありました。

国連に委託された捜査組織が先月公表した報告書にも、家族の面前で強姦が行われた事例が記録されています。被害者の年齢は4歳から80歳以上に及んでいます。

プラミラ・パッテン国連事務総長特別代表(紛争下の性的暴力担当)は、ロイターの取材に、家族の前での強姦や集団強姦、裸の強要などの証言に触れ、「性的暴行が戦争の武器として使われていた形跡がある」とコメントしています。

国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」が4月3日に発表した報告書には、戦争犯罪の証言が多数記録されています。
拳銃を女性のこめかみに当てたまま性的暴行を加える。顔を何度も殴られ、ナイフで首や頬、髪の毛を切る。

強姦、略奪、拷問、虐殺、子供の強制移送・洗脳、学校・病院・集合住宅へのミサイル攻撃、あらゆる戦争犯罪が野放しになっています。
国連の調査機関があきらかにしたロシア軍の戦争犯罪は、スターリン時代、ソビエトの兵士が占領地で犯した犯罪の再発といっても過言ではありません。

*歌を殺すロシア
再び、1944年のウクライナへ話を戻します。
ソフィアが大きな声をあげ、果敢に抵抗したため、部下がかけつけました。担当官は訊問を打ち切り、ソフィアをシベリアの強制収容所に移送せよと命じました。
ソフィアと娘は引き裂かれ、二度とめぐりあうことはありませんでした。

ソ連のグラーグ(強制収容所)に送られた女性たち

孤児になった三人の娘はどうなったのでしょうか。

ポーランド人の少女テレサ、ユダヤ人の少女ディナ、ウクライナ人の少女ヤロスラワ。三人ともソ連に「保護」されウォロシフグラードにある施設に送られました。

もはや、3人ともソ連で生きていくほか、道がなくなってしまったのです。
三人はそこで、徹底的に、ソ連式のプロパガンダ教育を受けます。

ロシア人の指導教官は三人を合唱団に入れ、ソ連の愛国歌を教え込みます。

ある日、訓練の成果を見せるため、少女合唱団のコンサートがおこなわれました。共産党のお偉方も多数、出席。
舞台のうしろに、こんな標語が大書されています。

「スターリン同志が与えてくれた子供時代に感謝を!」

音楽を愛するユダヤの少女ヤロスラフ。幼いころから、「キャロル・オブ・ザ・ベルズ」を歌えば、幸せになれると信じていた。
©MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020

ここで事件がおきます。
発表会で、ウクライナ人の少女ヤロスラワ(ソフィアの娘)は、とつぜん、ウクライナ民謡「シチェドリク」を歌い始めたのです。
そう、あの「キャロル・オブ・ザ・ベルズ」のもとになったウクライナの歌です。

ヤロスラワの「反乱」に驚いた指導教官が飛び出し、舞台から引きずり下ろしました。教官は冷たく言い放ちます。「ヤロスラワのような人間はソ連には必要ない」

ヤロスラワはきびしく罰せられ、少年流刑地へ追放されてしまいます。
政治犯の娘と言うレッテルを貼られ、その後も監視され続けました。

ちなみに、ウクライナ民謡をもとに「キャロル・オブ・ザ・ベルズ」を作曲した
ミコラ・レオントヴィッチも、悲劇的な最期をとげています。

レオントヴィッチは、ウクライナの音楽を教える音楽学校を西ウクライナにつくりましたが、このことで当局の標的にされました。

そして、ある夜、秘密警察の刺客に寝込みを襲われて、惨殺されました。
ウクライナの独立が奪われた1921年のことです。

ソ連は、ウクライナ国民共和国の独立を奪うとともに、ウクライナ語、ウクライナ文化、ウクライナの芸術を敵視し、くりかえし弾圧しました。

1930年代、ウクライナを代表する才能豊かな作家や詩人が、一世代丸ごと秘密警察に逮捕、ソロヴキ強制収容所に送られ、処刑されました。犠牲者は300人。
「処刑されたルネサンス」として知られる芸術家への残虐行為です。

1930年代のウクライナには、西欧の最先端の芸術をどん欲に吸収した、創造性あふれる芸術家が続々登場した。しかしかれらは、ソ連によるウクライナ文化の弾圧によって強制収容所に送られ、ひと世代まるごと処刑された。

スターリン時代、ウクライナの伝統音楽を守ってきた吟遊詩人を一か所に集めて虐殺したこともありました。
日本なら「人間国宝」にあたるウクライナ伝統音楽の担い手です。

今回のウクライナ侵攻でも、おなじことが繰り返されています。
昨年(2022年)、ロシアに占領されていたウクライナのへルソン州では、著名な指揮者ケルパテンコがロシアの兵士に銃殺され、世界の音楽界に衝撃をあたえました。殺された指揮者は、ロシアの主宰する愛国コンサートへの協力を固く拒んでいました。

ロシアの兵士に射殺された指揮者・ケルパテンコ 2022年

巨匠ズービン・メータはオーケストラとともに黙祷をささげました。
世界中の音楽家は、深い悲しみと憤りにつつまれました。

ロシアの占領地では、ウクライナ文化の記念碑を、ロシア兵がハンマーで壊しています。ウクライナの詩人、作家、哲学者の大切な記憶を暴力によって消し去ろうとしているのです。図書館ではウクライナ語の書物が大量に「処分」されました。ナチスの「焚書」を思わせる蛮行です。

ホロドモール(飢餓殺人)の犠牲者を悼む記念碑も破壊されました。
チェルニーヒウでは、ロシア軍がアーカイブを襲い、NKVD(KGBの前身)やKGBの記録文書を燃やしました。NKVD、KGBは、ウクライナを恐怖で支配したソビエトの秘密警察です。

ロシアは、戦慄すべき秘密警察の悪事を隠蔽しようとしています。

ソビエト時代は、ウクライナ語への差別も露骨でした。歴史家トニー・ジャッドはブレジネフ時代(1966-1982)の弾圧を、こう書いています。

「当局はロシア語を奨励し、ウクライナ語の使用を妨害した。当局は、ウクライナ人にウクライナ語に対する劣等感をうえつけようとたくらんだ。ウクライナ語を使う知識人は当局から反体制派と疑われた」

「その結果、1958年から80年までにウクライナ語で出版された本は激減、60%から24%に落ち込んだ」
ロシア人はウクライナで優遇され、「割のいいポストにありついた」

*トニー・ジャッド「戦後ヨーロッパ史」より

プーチンも過去の政策を継承し、ウクライナのことば、文化、芸術を敵視し、迫害します。文化が権力への「抵抗の武器」となることをおそれているのです。

ロシアはウクライナ人のいのちや国土ばかりでなく、ウクライナ文化、ウクライナのアイデンティティそのものを敵視し、破壊しようとしているのです。
このことを、ウクライナの人々はなによりも深刻に受け止めています。

*ウクライナは死なず
さて、ソ連に閉じ込められた三人は、その後、どのように生きたのでしょうか。
ヤロスラワは流刑地で生きのびることができたのでしょうか。
三人は、どこかで、めぐりあうことができたのでしょうか。

三人の女性がソ連の監視社会のなかでいかに苦しんだか、映画は残念ながら、暗示するだけにとどめています。

そのあたりを補うなら、たとえばアレクシエーヴィッチの「セカンドハンドの時代」、あるいは、ナターシャ・ボーディンの「彼女はマリウポリからやってきた」を読めば、生々しいヴィジョンを得ることができるとおもいます。

じつは映画は、三人の運命をめぐって、音楽に導かれた数奇な結末を用意しています。しかし、それについてはふれないでおきます。
ぜひ映画をご覧いただき、ラストシーンを見届けていただければと思います。

地獄をいきのびた三人。音楽がもたらす奇跡によってめぐりあう
©MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020

さて、4回にわたり、キャロル・オブ・ザ・ベルズの物語に沿って、三家族の悲劇をたどりながら、独ソのはざまで苦しんだ人々の歴史をたどってきました。

あらためて確信したのは、この映画は、20世紀をめぐる重大な記憶の欠落を埋めるきっかけになりうる作品だということです。

20世紀、独ソのはざま=「流血地帯」でなにがおきたか それこそ21世紀のウクライナ侵略を考えるための、最大のカギになる問いかけです。

たとえば、いまウクライナでくりかえされている非人間的な戦争犯罪の起源、ロシアによるウクライナ侵略のルーツがみえてきます。

ウクライナ人、ユダヤ人、ポーランド人の歴史をふまえたヴィジョンは、いま眼前でおきている悲劇の本質を教えてくれます。それは、プーチンの欺瞞を知るうえでも大切な知識であり、わたしたちの視野を広げてくれます。

*悲劇がくりかえされている・・・またしても
最後に、映画の舞台となったウクライナのイヴァノ・フランコフスカ(かつてのポーランド領スタニスワフ)のその後について、ふれておきます。

1991年、ソ連が崩壊し、ウクライナはついに独立を実現。イヴァノ・フランキウスクの人々は、競ってウクライナの国旗を掲げました。
かつてこの街が西ウクライナ国民共和国の首都であったときから、70年の歳月が過ぎ去っていました。

ちなみに、ウクライナ独立の一週間後、首都キーウのデモの参加者がかかげていたのは、NKVD(ソ連の秘密警察)の犠牲者たちの写真でした。

1991年9月 ウクライナ独立から一週間後、ソビエト秘密警察の犯罪に抗議するウクライナ市民。掲げている写真は、無実の罪でNKVD(ソビエト秘密警察:KGBの前身)に虐殺されたウクライナ人の犠牲者の肖像

ウクライナでは、スターリンの搾取によって400万のウクライナ農民が飢餓死しました(ホロドモール 1932-33)。

スターリンがひきおこした人為的な飢餓(ホロドモール)で力尽きたウクライナ農民は400万とも500万ともいわれる(写真は1933年のハルキウ街頭)

1937年から38年にかけて、ウクライナの知識人、芸術家、指導者、農民が秘密警察によって大量に銃殺されました。多くのウクライナ人が強制収容所に送られ、奴隷のように酷使され、死んでいきました。
ソビエト時代は、秘密警察への恐怖に支配され、強力な監視体制が続きました。

「流血地帯」で生きた人々にとって、ソ連による弾圧の記憶は、今に至るまで、あまりにも強烈で、癒やしがたい傷になっています。

秘密警察が犠牲者の遺体を放り込んだ集団墓穴は、ソ連が崩壊してから、ようやく掘り返され、ソ連の犯罪がいかにむごいものであったかが明らかになりました。

NKVDによって殺害されたウクライナ市民の墓。

かつての「流血地帯」では、ソ連崩壊後、埋められていた記憶がよみがえりました。ソビエトの公式史観にかわって、ソビエトの圧政に苦しみぬいた人々の歴史がようやく語られるようになったのです。
歴史家のトニー・ジャッドは名著「ヨーロッパ戦後史」で、こう言っています。

「ロシア中心のご都合主義の世界観は、ソビエトの圧政に苦しんでいた人々にはまったく共有されていない」

ウクライナの独立から31年がたちました。2022年2月24日、イヴァノ・フランコフスクは、信じがたいことに、ふたたび空から爆撃されました。

その日、ロシア軍はイヴァノフランコフスクの軍用飛行場をミサイルで攻撃。大規模な砲撃は、その後30回にわたってくりかえされ、空港のインフラは完全に壊滅しました。83年の時を経て、恐怖と苦しみの再演がはじまりました。

国際法をふみにじり、一方的にウクライナを侵略したロシアは、人々をふたたび地獄へ突き落したのです。

(「キャロル・オブ・ザ・ベルズの時代」 終わり)

さて、もうひとつ、ご紹介したい映像作品があります。
というのは、映画「キャロル・オブ・ザ・ベルズ」では、第二次世界大戦下の「流血地帯」に焦点をあわせており、ソヴィエト時代のウクライナについては、それほどふれられていないからです。

下記のドキュメンタリーは、やはりウクライナ人の家族をめぐる、百年におよぶ物語ですが、「キャロル・オブ・ザ・ベルズ」では描かれていない時代、たとえば冷戦時代からソ連崩壊までのウクライナも描かれています。

「キャロル・オブ・ザ・ベルズ」と重なる部分もあります。あわせてご覧になれば、ウクライナの苦難の歴史について、より立体的なヴィジョンが得られるとおもいます。

下記の記事で内容を紹介しています。

⦿ETV特集『ソフィヤ 百年の記憶』
https://steranet.jp/articles/-/1622(動画あり)

実はわたしも番組作りに参加し、歴史リサーチ、演出を監修しました。        今年3月18日に放送されました。いま配信でご覧いただけます。

このドキュメンタリーでは、「キャロル・オブ・ザ・ベルズ」が歌われる印象的なシーンもありますが、ウクライナ人にとって、「キャロル・オブ・ベルズ」以上に大切な歌「赤いカリーナ」をめぐる秘話が紹介されています。

ちなみに「赤いカリーナ」には、多くの歌手の感動的なパフォーマンスがあります。下記のコラムの中の「禁じられた歌」という章で、動画がいくつかご覧いただけます。ぜひご覧ください。
https://steranet.jp/articles/-/1226

※付記 今回のコラムの執筆にあたっては、多くの著作や記事の恩恵を受けました。一部ですがご紹介いたします。いずれも多くを教えてくれる労作です。

□「スターリン 独裁者の新たなる伝記」フレヴニューク 石井規衛訳 白水社2021       
□「ブラッド・ランド」上下 ティモシー・スナイダー 布施由紀子訳 筑摩書房2015
□「ヨーロッパ戦後史」 全二巻 トニー・ジャッド 森本醇訳 みすず書房2008
□「ガリツィアのユダヤ人―ポーランド人とウクライナ人のはざまで」野村真理 人文書院 2008
□「ウクライナ・ナショナリズム」中井和夫 東京大学出版会2022(復刊)
□「ポーランド・ウクライナ・バルト史」山川出版社2015
□「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」大木毅 岩波新書2019
□「プーチンのユートピア 21世紀ロシアとプロパガンダ」ポメランツェフ 
池田年穂訳 慶應義塾大学出版会2018
□「ウクライナの夜」マーシ・ショア 池田年穂訳 慶應義塾大学出版会2022 
□「日本・ウクライナ交流史 1937-1953年」岡部芳彦 神戸学院大学出版会2022
□「諜報国家ロシア」保坂三四郎 中公新書 2023
□「DIARY OF AN INVASION」Andrey Kurkov MLP 2022
□「DICTATORSHIP」Sarah Kendzior Andrea Chalupa First Second 2023
□Red Famine: Stalin's War on Ukraine 2018 Anne Applebaum
□The Mitrokhin Archive: The KGB in Europe and the West Ⅰ&Ⅱ
Penguin – 2018  Christopher Andrew , Vasili Mitrokhin

京都大学文学部卒業、1981年にNHKに入局。特集番組の制作に従事。NHK特集「山口組」、ハイビジョン特集「笑う沖縄・百年の物語」、BS特集「革命のサウンドトラック エジプト・闘う若者たちの歌」、最近作にNHKスペシャル「新・映像の世紀」「戦後ゼロ年東京ブラックホール」「東京ブラックホールII破壊と創造の1964年」などがある。ユネスコ賞、バンフ国際映像祭グランプリ、ワールド・メディア・フェスティバル2019インターメディア・グローブ金賞など受賞多数。現在はフリーランスの映像ディレクター・著作家として活動。著書に『戦後ゼロ年東京ブラックホール』『1964東京ブラックホール』がある。2023年3月放送の「ETV特集・ソフィア 百年の記憶」では、ウクライナ百年の歴史リサーチ、映像演出を担当。