「プーチン大統領は組織犯罪集団のボスです。これには毒殺者や暗殺者も含まれますが、かれらは単なる操り人形です。最も重要なことは、プーチン大統領の取り巻き、つまりマフィアの資金の管理人たちを調査することです」(ユリア・ナワルナヤ氏)

2月16日、北極圏の流刑地でプーチンの批判者ナワリヌイ氏が不可解な死をとげ、妻のユリア・ナワルナヤ氏はストラスブールの欧州議会で演説しました。ウクライナの未来を奪う独裁者プーチンは、ウクライナだけでなく、ロシアの未来をも奪い、真実を闇に葬っています。

2022年、ロシアによるウクライナ侵攻がはじまって間もない6月から、ほぼ2年間、ウクライナの歴史と文化に焦点をあてて執筆してきました「亡命ウクラニアン百年の物語」。その連載も今回で終了になります。
最終回は、ウクライナ・ディアスポラたちの、祖国を守るための闘いに焦点を当てます。

1991年、ようやく独立を回復したウクライナは、「ソ連の公式史観」を脱却し、失われた真実をとりもどす事業に着手します。
その困難な取り組みに、大きな勇気をあたえてくれた人々こそ、世界へ散らばったウクライナ・ディアスポラ(移民)でした。


ニューヨークでウクライナをとりもどす

ご記憶でしょうか。2007年、地球温暖化に危機感をいだいた世界のミュージシャン100人以上が参加して、「ライブ・アース」という巨大イベントが行われました。七大陸で開催されたコンサートの様子は全世界に生中継され、20億人が視聴したといいます。

このときマドンナと共演、観衆を熱狂させ、一躍、注目されたミュージシャンがいました。ユージン・ハッツ。ウクライナ生まれ、ニューヨークで活躍するロック界のレジェンド。

ユージン・ハッツ。父はウクライナ人、母はロマ人。ウクライナとロマの音楽をパンク・ロックにブレンドさせたユニークなスタイルは「ジプシー・パンク」とよばれている。©carlo cravero

かれのディアスポラ人生が始まったのは、38年前のこと。
その年、チョルノ―ビリで、20世紀最大の悲惨な原発事故がおきました。
真実を隠そうとするソ連の工作がわざわいして、被害は拡大。人間のいのちを軽視するソ連の全体主義に、多くのウクライナ人は絶望しました。

「もちろんウクライナには、モスクワに服従する人、ソ連の洗脳から脱け出せない人もいましたが、もはや誰もそんな人たちを信用していませんでした」
(イギリスの新聞「The Guardian」に2023年6月14日に掲載されたハッツのインタビューより)

チョルノ―ビリ原発。「1986年にウクライナのチョルノービリでおきた史上最悪の原発事故は、ウクライナ人の意識を大きく変えた。原発反対のデモをきっかけにウクライナ語の復権、ウクライナの独立を訴える市民の抗議が何千回もおこなわれた」(オリガ・ホメンコ著『キーウの遠い空 戦争の中のウクライナ人』中央公論新社より)

13歳だったハッツはソ連に絶望した家族とともにひそかに国境をこえ、難民として7年間を過ごし、1991年、ニューヨークのリトル・ウクライナへたどりつきました。
ここで、思いがけない出会いが待っていました。

「僕が生まれ育ったキーウでは、ソビエトの指導者に『ウクライナの文化を滅ぼさなくてはならない』とたたきこまれました。ところがニューヨークへ来てみたら、驚いたことに、濃厚なウクライナ文化に自由にふれることができたのです」

「アメリカにデルタ・ブルースの伝統があるのと同じように、ウクライナにもコブザやバンドゥー*1のような楽器を使う音楽の伝統があります。それらは私たちの尊厳と文化の象徴です。私たちの声です。決して失ってはならないのです」

1997年、ハッツはロックバンド「ゴーゴル・ボールデロ」を結成。「濃密なウクライナ文化とニューヨークの移民文化をミックス」、リトル・ウクライナで音楽活動を開始します。

ちなみにバンド名は、ウクライナの大作家ゴーゴリ(Gogol)からとりました。

瀕死のウクライナ文化が海外で生きていたことに驚いたのは、ハッツだけではありません。
それほどウクライナでは、ウクライナ文化への弾圧が激しかったのです。

*1 いずれも、リュート属のウクライナの民族楽器。


百年におよぶロシアの弾圧

「いずれウクライナ語は、カナダの移民社会だけに残ることになるだろう」
20世紀の半ば、「ロシア化」を強いられたウクライナの知識人は、そう嘆きました。

この百年、ロシア帝国、そしてソビエトは、ウクライナの言葉、文化、歴史を地上から消し去ろうとしてきました。
帝政ロシアは、ウクライナ語による出版を危険な独立運動とみなし、弾圧しました。

スターリンの支配下では、ウクライナ文化の担い手である知識人や芸術家が「反ソ分子」のレッテルを貼られて、処刑されました。
ウクライナへの愛をうたう吟遊詩人は、根こそぎ殺されました。

ハーバード大学のセルヒー・プロヒー教授(ウクライナ史)は、
「多くの歴史家がモスクワの指令で殺され、あるいは強制収容所に送られため、ウクライナ史は行き詰まった」
と指摘しています。ウクライナの苦難の歴史は闇に葬られたのです。

ブレジネフの時代には「ロシア化政策」が強化され、ウクライナの言葉や文化は、絶滅寸前の危機に追い込まれました。
ウクライナ史学の泰斗・中井和夫名誉教授(東京大学)は、こう指摘しています。

「ウクライナ語は日に日に片隅に追いやられ、職場はもとより家庭においてもロシア語の使用が広がっていった。大学の講義はほとんどロシア語となり、博士論文はロシア語で書かかなければならなかった」

「ウクライナ人は帝国中央(モスクワ)から『永遠の弟』とみられ、永遠に成熟することのない、独立した存在となる権利を持たない者であった」

「事の大小を問わず、ソ連の『長兄=ロシア』の同意なしには、なにごとも決定することはできなかった」
(中井和夫著『ウクライナ・ナショナリズム』[2022年]東京大学出版会より)


そのころアメリカでは……

一方、アメリカのディアスポラ社会では、画期的な出来事が進行していました。
1973年6月、世界屈指の最高学府ハーバード大学に、ウクライナ研究所(HURI)が誕生したのです。

大きな推進力になったのは、ウクライナ移民からの寄付金60万ドルでした。
スターリン体制の恐怖を骨身にしみて経験したディアスポラは、「ウクライナ文化と歴史の真実を伝えなくてはならない」という使命感に満ちていました。

研究所には、3つの講座がもうけられました。

ウクライナ史ウクライナ語ウクライナ文学。闇に沈んでいたウクライナ文化に、まぶしいほどの光があてられました。ディアスポラの喜びは、たとえようもありません。

ソ連では、ウクライナ史はロシア史の一部にすぎず、「公式史観」から逸脱することは許されません。対照的に、HURIの気風は自由で開かれていて、批判精神に富み、世界中の研究者と活発な交流を開始しました。

ハーバード大学ウクライナ研究所(HURI/アメリカ合衆国ボストン)。世界最高水準の画期的な論考を量産、ウクライナ史学を革新した。©Silin2005

ついにホロドモールが研究対象に

草創期のHURIで学んだ研究者のなかに、中井教授もいました。
教授によれば、大きな研究プロジェクトがいくつも進行していたといいます。

たとえば、ウクライナの都市文化に著しく貢献したユダヤ人の歴史。古代ギリシャにさかのぼる黒海の歴史。千年前からはじまるキリスト教化の歴史。
いずれも、ヨーロッパと縁の深いウクライナ史の核心に迫る、意欲的なテーマといえます。

1979年、きわだって大きな注目をあつめる、新しいプロジェクトがはじまりました。
1933年の大飢饉、すなわち「ホロドモール(大量飢餓殺人)」の研究です。

いうまでもなくホロドモールは、スターリンの指令がひきおこした大量飢餓死です。しかし長くソ連の「公式史観」からは排除されていました。
「存在しない事実」、つまり「なかったこと」にされていたのです。

そのホロドモールが、ついに本格的な研究対象として浮上した!
ソビエトにとっては驚天動地の「大事件」でしょう。
ウクライナ史研究にとっては、タブーをやぶる劇的な前進といえます。

ホロドモールの検証を待ち望んでいたのは、研究者ばかりではありません。研究所を熱心に支援していた多くのウクライナ・ディアスポラにとっても、悲願でした。

中井教授はこう指摘しています。
「このプロジェクトによせるウクライナ人コミュニティの思いは想像を絶するものがあり、かれらのあいだに自分が経験し、肉親を失ったあの悲劇の記憶がなお強く生きており、なんとかそれをちゃんと書いてもらいたいという気持ちの強いことを示している」

ホロドモール。スターリンの政策によって、400万のウクライナ人が餓死。モスクワから来た徴発隊が穀物を強奪し、非常線を張って村からの逃亡を封じた。ウクライナは巨大な絶滅収容所と化した。

ソビエトはホロドモールを「西側のプロパガンダ」と決めつけ、攻撃しました。
しかし、その実態は、ソ連崩壊後におおやけになりました。
ホロドモールや大量虐殺の犠牲者の遺体が発掘され、くわしく調査されたのです。

集団墓地をめぐる発掘調査の一端は、『Eternal Memory : Voices from the Great Terror』(1997年・カナダ制作)などのドキュメンタリーに記録されています。
これを見ると、ウクライナの人々が、半世紀以上も沈黙を強いられていたにも関わらず、肉親の悲劇を決して忘れていなかったことが分かり、胸を打たれます。

ディアスポラは、ついにウクライナ史の真実を忘却から救い出したのです。


ウクライナの民主化に貢献したディアスポラ

1991年、ソ連崩壊のあと、ディアスポラ百年の蓄積がウクライナに還元されました。
その恩恵を受けて、ウクライナはソビエトの「公式史観」から脱却し、失われた歴史をとりもどす事業にとりくみます。

北米のディアスポラは、ウクライナの民主化を全力で支援しました。
ハリナ・フリーランド(カナダのフリーランド副首相の母)は、自由と民主主義を重んじるウクライナ憲法の制定に貢献しました。

最初の選挙には、ディアスポラがボランティアの監視員として参加、民主的な政権移行を助けました。ウクライナへの大規模な投資も実現しました。
ウクライナは、20世紀の苦難と屈辱を乗り越えて、未来にむけて歩み始めました。

ところが、ウクライナの未来を奪おうとするロシアの妄執は、死んではいませんでした。
「ソ連の遺伝子」は、KGBの元工作員ウラジーミル・プーチンのなかに、息をひそめて「冬眠」し、繁殖の機会をうかがっていたのです。

その背景には、ロシア社会の行き詰まりがあります。
冷戦後、ロシアには、まともな民主主義と市場経済が生まれるのではないか、という期待もありました。

ところがすさまじい腐敗がおき、産業のすべてをオリガルヒ(経済の混乱期に莫大な資産を築き、政権と癒着した新興財閥)が掌握してしまいました。
汚職の蔓延、無法な富の独占、犯罪と貧困の拡大。民主化も行き詰まりました。

国際政治学者のジョセフ・ナイはこう証言しています。

「プーチンはKGBの高官であった経歴をひけらかすばかりで、民主的なヴィジョンには関心がなかった。それどころか、もしウクライナで民主化が進めば、その影響で自分の権力支配が弱体化するのではないかと危惧きぐしていました」


プーチンが無視する「不都合な真実」

2021年7月、ウクライナ侵攻直前、プーチンはみずからロシアの歴史を講釈し、「ウクライナとロシアは一体である」という主張を世界に公開しました。

スターリンやブレジネフの時代に流布した「ソ連の公式史観」をプーチン流にリニューアルし、「ウクライナは存在しない」と断言します。ロシアの属国であると言いたいのです。

「ウクライナがあくまで国家の独立と独自の文化にこだわるなら、彼らは『ネオナチ』である」とも主張しました。ネオナチは、ロシアでは「国家の敵」を意味するレッテルです。

世界の知識人はいっせいにプーチンの主張を厳しく批判しました。
そもそもプーチン製の「ロシア神話」は、いわば「ロシアすごい大全集」で、プロパガンダにとって都合のわるい歴史事実は排除されています。
たとえば、下記の事実は、意図的に忘却されています。

●1918年、ウクライナが独立した(ウクライナ人民共和国)
●ソ連の赤軍が独立国家ウクライナを侵略した 
●スターリンによるホロドモールでウクライナ人400万人が犠牲に
●ウクライナ文化の破壊、「ロシア化」政策、拷問、大量処刑、強制移送、強制収容所

秘密警察による虐殺。1930年代 ウクライナの知識人、芸術家、農民はソ連の秘密警察NKVD(内務人民委員部)に大量殺戮された。

●1939~1941年の2年間、ナチスとソ連は蜜月関係にあった
●1939年、ソ連はナチス・ドイツの同盟国として第二次大戦に参戦した
●ソ連はナチスと密約を結び、東欧・バルト諸国に侵攻して領土を「山分け」した

左がナチの士官、右が赤軍(ソ連軍)の士官(1939年10月ブレスト・リトフスク)。
ヒトラーはスターリンの誕生日に祝電を打った。ソ連のプラウダ紙は1939年12月23日、「ドイツ・ソ連両国民の友好は、血によって強化され、永続的に続く」という記事を掲載した。

●ドイツ軍の奇襲を浴びたソ連を助けたのは、米英の驚異的な軍事支援だった
●ソ連軍のほぼ半数をウクライナ兵が占めていた ウクライナ兵の力がなくてはドイツと戦えなかった

プーチンの声明は、もっともらしく装われているものの、歴史家の吟味に耐えうるようなものではありません。

プーチンは歴史の専門家ではなく、KGBの元工作員であり、プロパガンダと世論操作のプロです。なんであれ、侵略を正当化する道具になればよく、また、国民を戦争に動員するために役立つ「神話」になれば、それでよいのです。

ウクライナ史の大家、イェール大学のティモシー・スナイダー教授は、こう警告しています。

「プーチン大統領が過去について語ることのほとんどはまちがっており危険です。プーチンの『作り話』は、『善と悪』をしゅんべつします。ロシアは常に『善』であり、ロシア以外はすべて『悪』なのです。ロシア人はみずからナチのようにふるまいながら、他者をナチ呼ばわりします。ロシアには抵抗する者はすべて『ナチ』であり『悪』なのです」

「しかし、最大の問題は、歴史を材料にして、侵略を正当化していることです。どのように過去を語ろうとも、国際法をふみにじって他国を侵略し大量虐殺をおこなう行為を正当化する理由にはなりません」
(ティモシー・スナイダーのサブスタック[ブログ]「Putin's Genocidal Myth」[プーチンの大量虐殺神話]」より)

最大の問題は、プーチンのプロパガンダを大半のロシア国民が信じていることです。
ロシアではプーチンの宣伝機関と化したロシア国営テレビの影響力がきわめて大きく、あたかも事実であるかのように偽装された映像や、政府から発信を命じられた情報ばかりを大量に流しています。

ヒトラーの「アーリア人優越神話」、ムッソリーニの「ローマ帝国復興」、帝国日本の「皇国史観」など、過去を美化し、国民の総動員を企てる「神話づくり」は帝国主義者によってくりかえし試みられ、結局は、帝国の崩壊とともに忘れられています。

20世紀の教訓は生かされないのでしょうか。


ディアスポラへの攻撃

ロシアはテレビだけでなく、あらゆるメディア、とくにサイバースペースを舞台に大規模な情報操作を仕掛けています。一貫した標的のひとつは、ウクライナ・ディアスポラです。
ディアスポラは、ロシアやソビエトの嘘を告発してきたために、プーチン以前から、絶えまない攻撃にさらされてきました。

ロシアの情報機関は、架空の人物に「なりすまし」、自由で民主的なウクライナを支援するディアスポラをやり玉にあげ、「反ユダヤ主義」「ネオナチ」「ロシア嫌い」「ファシスト」などのレッテルを貼り、中傷しています。

ロシアのインテリジェンス(諜報活動)にくわしい保坂三四郎氏によれば、世界の32の主要メディアのWEBサイトのコメント欄も、ロシアのトロール(迷惑行為をする者)の標的になっています。
ロシアの偽情報やフェイクニュースを巧妙に拡散、「あたかも日本や欧米にプーチンを擁護する世論があるような幻想をつくりだす」こころみを続けているのです。(保坂三四郎著『諜報国家ロシア ソ連KGBからプーチンのFSB体制まで』[2023年]中公新書より)

それに対し、ITの最先端をゆくウクライナ・ディアスポラは、強力なネットワークを作ってロシアの嘘をあばこうと世界に支援をよびかけ、パワフルな反攻をはじめています。


ロシアにおける「真実」とは

ことし2月、プーチンはタッカー・カールソンのインタビューに応じました。カールソンはトランプの擁護者として知られる、アメリカFOXテレビの元司会者です。

インタビューの冒頭から珍妙な光景が続きます。プーチンは千年にわたる歴史を題材に、一方的な講釈を30分もくりひろげました。カールソンは興味なさそうな顔で拝聴するのみ。

もっともこれは仕組まれたショーのようなもので、ロシアのプロパガンダを無批判に垂れ流しているにすぎません。

ここでも、多くの事実が無視されています。

ブチャやマリウポリはじめ、「民間人の拷問・虐殺」「民生インフラ・病院・住宅・学校の破壊」「性暴力」はじめ、ウクライナ各地でロシア軍が犯した残虐極まる「戦争犯罪」、国際刑事裁判所がプーチンに逮捕状を発効するきっかけとなった、「ウクライナの子どもたちの連れ去り」「ロシア化教育」
反体制の政治家やジャーナリストの「暗殺」、プーチンとFSB(ロシア連邦保安庁)が仕掛けたと疑われる数々の「破壊工作」。そして、「原発の占拠と武器化」

これらについて、カールソンがプーチンに問いただすことは一切ありませんでした。

プーチンは「ロシアがウクライナを攻撃して侵攻が始まったわけではない」という主張を繰り返しましたが、これもカールソンが切り返す場面はありませんでした。

とはいえ、たとえ批判を浴びようとも、プーチンが耳を貸すことなど、ありえません。
悲しいことに、いまのロシアでは、「真実」を独占しているのはプーチンなのです。
プーチンのドグマを批判するロシア人は、死を覚悟しなくてはなりません。


20世紀の暗黒を再演するロシア

私たち日本人も、ウクライナとおなじく、ロシアと国境を接しています。
そして、79年も前に、いまのウクライナと、驚くほど似た経験をしています。

1945年8月9日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破り、日本に侵攻しました。
そのさなか、ソ連軍は、民間人の虐殺、強姦、略奪に狂奔しました。
8月14日にはかっこんびょうに避難していた1000人におよぶ民間人を虐殺しました。

日本降伏後もソ連は侵攻を続け、北方領土を占拠しました。ロシアのウクライナ侵攻とおなじく「力による現状変更」であり、重大な国際法違反です。

日本の将兵60万人がソ連に強制連行され、ロシアで奴隷労働を強いられました。
いわゆる「シベリア抑留」です。
故郷に帰ることのできないまま、6万人の日本人が辺境の荒野で朽ち果てました。

ウクライナ史の専門家・岡部芳彦教授(神戸大学)によれば、強制収容所で、恐怖と苦しみを分かち合った日本人とウクライナ人が手を携え、反乱を起こしたこともあるといいます。
(岡部芳彦著『日本ウクライナ交流史1937-1953年』[2022年]神戸学院大学出版会より)

シベリア抑留者。日本の敗戦後、60万人の兵士が10年間、シベリアや北極圏で辛酸をなめた。

スターリンは北海道の占領を企てていました。
もしトルーマン(米大統領)がそれを黙認していれば、本州にも侵攻してきたでしょう。

もしソ連に本州まで占領されていれば、何がおきたでしょうか。
歴史に「もしも」はありませんが、思考実験が許されるなら、日本は北朝鮮と韓国のように南北に分断され、北はソビエトの傀儡かいらい国家にされていたのではないでしょうか。

「ロシア化」が命じられて、ロシア語教育がおしつけられたかもしれない。子どもたちは洗脳され、日本の伝統も文化も日本語も、無事ではすまないでしょう。

自由も尊厳も奪われ、抵抗すれば拷問され、収容所に監禁、罪を捏造されて処刑されます。
日本は、ロシア占領下のドンバスのような牢獄にへんぼうしていたかもしれません。

現実にウクライナでは、百年のあいだ、そうした悲劇がくりかえされています。
ウクライナだけでなく、ロシアの周辺で暮らしてきた人々は、20世紀、程度の差はあれ、理不尽な支配と暴虐を、骨身に沁みて経験しています。


ウクライナを支え続けるディアスポラ

プーチンは、あたかも20世紀の帝国主義を再演するかのように、いくつもの攻撃を仕掛けています。

第一は、ウクライナの侵略、第二は、国内の批判者の弾圧、第三は国際法のじゅうりんです。

国際法をふみにじる蛮行は、いうまでもなく、世界全体への挑発です。
もしこの侵略でロシアが利益を得ることになれば、一切のブレーキが役に立たなくなってしまうかもしれません。

いま世界に増えているポピュリストや独裁者は「侵略こそ有利な解決」と確信し、核武装に狂奔するでしょう。まさに暗黒の世界です。

二度にわたる悲惨な大戦から人類が学んだ「法の支配」は泡のように消え、世界は今よりもケタ違いに危険な場所になる。日本周辺も例外ではありえません。
ロシアはすでに北朝鮮の核・ミサイル開発を認める姿勢に転じています。

理不尽なことに、プーチンもスターリンも秘密警察も、これほどの暴虐をくりかえしながら一度も裁かれたことはなく、謝罪もしたことがありません。
しかし、わたしたちは、それが戦慄せんりつすべき戦争犯罪であることを脳裏に刻むべきです。

ロシアの侵略から2年。ウクライナの人々は、苦しみ、疲弊しているにもかかわらず、いまだ防衛意欲を失っていません。

弾薬が不足しても、無法な侵略への抵抗を必死で続けています。
30万のディアスポラも、志願してウクライナへ向かいました。
子どもたちの未来のために、自由と尊厳を守りぬく覚悟なのです。

世界60か国のウクライナ・ディアスポラは連携し、10年先を見据えたウクライナの復興計画を、懸命に支えています。あらゆる分野のすぐれた人材が結集しています。
ディアスポラはいずれウクライナの未来を築く大きな力となる。私はそう信じます。

【終】

【編集部より】
「亡命ウクラニアン百年の物語」の連載は今回で終了しますが、ウクライナを巡る闘いは未だ続いています。この連載を通じてウクライナに興味を持っていただいた皆様に、引き続き、変化し続ける情勢を追っていただければと思います。
また、この連載が伝えてきた重い事実は、決して遠い歴史の1ページではないことをお感じいただけたとすれば、編集部として幸甚です。

2年間のコラムのご愛読、ありがとうございました。

京都大学文学部卒業、1981年にNHKに入局。特集番組の制作に従事。NHK特集「山口組」、ハイビジョン特集「笑う沖縄・百年の物語」、BS特集「革命のサウンドトラック エジプト・闘う若者たちの歌」、最近作にNHKスペシャル「新・映像の世紀」「戦後ゼロ年東京ブラックホール」「東京ブラックホールII破壊と創造の1964年」などがある。ユネスコ賞、バンフ国際映像祭グランプリ、ワールド・メディア・フェスティバル2019インターメディア・グローブ金賞など受賞多数。現在はフリーランスの映像ディレクター・著作家として活動。著書に『戦後ゼロ年東京ブラックホール』『1964東京ブラックホール』がある。2023年3月放送の「ETV特集・ソフィア 百年の記憶」では、ウクライナ百年の歴史リサーチ、映像演出を担当。