ETV特集「ソフィヤ 百年の記憶」
2023年3月18日(土)Eテレ 午後11:00~11:59
再放送:3月23日(木)Eテレ 午前0:00~0:59

2022年2月から続く、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻。これまでニュース等で報じられてきた惨劇は、いまに始まったことではない。ウクライナは約100年にわたり、ロシアから今回のような侵略を受け続けているのだ。
3月18日に放送されるETV特集では、在日ウクライナ人のソフィヤさんが、家族の歴史を通じて、祖国ウクライナと自分たちのアイデンティティーを見つめ直す姿を追う。
番組について制作を担当したディレクターに尋ねたところ、ロシアによる侵略の背景で、歌いつがれてきた「ある歌」があるという……。


その歌は、ウクライナの「第2の国歌」とさえいわれる。
聴くたびに表情の変わる、不思議な魅力をまとう。

心を鼓舞する力強い旋律は、
時に深い悲しみを響かせ、
死者を慰めるレクイエムに変わり、
果ては歓喜の叫びとなる。

『赤いカリーナは草原に』。
百年以上の歴史をもつ、ウクライナ伝統の歌である。


番組のために在日ウクライナ人 NASUさんが歌う『赤いカリーナは草原に』


私が初めてこの歌を耳にしたのは、去年5月、京都市で開催されていた支援イベントだった。ウクライナ人たちが集まり、力強く歌っていた。

そこで偶然に出会ったのが、のちに長く取材を行うことになるソフィヤさん一家だった。母のナタリヤさんは「『赤いカリーナ』を聴くといつも涙が出てしまうの」。娘のソフィヤさんは「ウクライナ人が経験してきた百年の歴史を知ってほしい」と語った。

振り返ると、この言葉が番組の始まりだったように思う。
その後、数え切れないほどこの歌を聴くことになるとは想像していなかった。

京都市の支援イベントで歌われた『赤いカリーナは草原に』


20万以上も民謡があると言われるウクライナ。
その中でも『赤いカリーナ』が人々の心をとらえて離さない理由は、何なのだろうか。

『赤いカリーナ』が歌われるようになったのは、およそ百年前と言われている。ウクライナが独立を求め、激しい闘いを繰り広げていた時代だ。ウクライナ人はこの歌を歌い、戦士たちを鼓舞し、称えていた。

そして1918年、独立を勝ち取った。『赤いカリーナ』は、ウクライナ人の独立と自由を象徴する存在なのだ。

(歌詞)
草原に咲く赤いカリーナが うなだれている
まるで苦悩するウクライナのようだ
よし 我らは赤いカリーナを 高く掲げ
我らが栄光のウクライナを さあ 奮い立たせよう

赤いカリーナ

カリーナとは、ウクライナに生育する低木の名。秋になると赤い実をつける。ジャムにして食べたり、花瓶に飾ったり、ウクライナ人の日常に欠かせない。

歌詞は独立を求めるウクライナの姿を「赤いカリーナ」になぞらえ、『ウクライナよ 奮い立とう』と歌いあげる。

ウクライナの庭には、カリーナがよく植わっている。アンナさん(96)は、数百万人が亡くなった「ホロドモール」の悪夢のような体験を語った。(撮影:Kaoru Ng)

だが歌は、時代のうねりに飲み込まれていく。

ほどなくして食糧不足に陥っていたソビエトがウクライナへの侵攻を開始。1922年、ウクライナは独立を失い、ソビエトの支配下になったのだ。

長い苦難の時代がはじまった。
知識人や文化人の大量処刑。
ウクライナの言語や文化の弾圧。

ソビエトの秘密警察が目を光らせる中、『赤いカリーナ』は、「禁じられた歌」となった。

『隣の家に老紳士が暮らしていた。コーラスを愛する、親切で謙虚な人だった。だがコーラスで『赤いカリーナ』を歌ったがために禁固刑になった』(キーウに住むウクライナ人の証言)

『イデオロギーや愛国心に満ちた歌。歌っているところが見つかれば、投獄され、殴られ、追放された』(スタンフォード・ウクライナ博物図書館Lubow Wolynetz氏)

ソビエト支配下のウクライナの中でも、特に大きな悲劇が、「ホロドモール」。飢餓殺人と呼ばれている。1932年から1933年にかけて大飢饉が起きて、数百万人が餓死したとされるが、これはソビエトの過酷な政策によって引き起こされたと言われている。

当時、工業化を進めていたスターリンは、外貨獲得に躍起だった。5800万トンという、生産可能量をはるかに上回る農作物をノルマに課し、ウクライナに供出させていた。農民たちは、自ら食べる食料までソビエトに送り続けざるを得なかった。生き延びるため、農民たちはなんでも食べるしか無かった。木の根、犬、ミミズ、靴の革……。

驚くべき証言がいくつも残されている。
「餓死した人が道に倒れているが、誰も気にもとめない」
「町には犬も猫も鼠も、生きたものは一匹も見当たらない。みな食い尽くされている」
「私は実際この眼で見た。隣の家のおやじが自分の息子を食ったのだ」

命を奪われ、文化も厳しく弾圧されたウクライナ人。
ソビエト時代はおよそ70年続き、『赤いカリーナは草原に』が町で聞こえることはなくなった。


時代はふたたび動き出す。

1991年。ソビエト連邦が崩壊。
同年8月26日。ウクライナは、再び独立を果たしたのだ。

今回の取材で、奇跡のような映像を発掘することができた。それは、独立当日のキーウを撮影したものだった。町中に人々があふれかえり、歓喜に満ちている。

そこに、ウクライナの国旗を手に行進する人々の列が現れる。まっさきに口ずさんだのが、あの歌だった。

草原に咲く赤いカリーナが うなだれている
まるで苦悩するウクライナのようだ
よし 我らは赤いカリーナを 高く掲げ
我らが栄光のウクライナを さあ 奮い立たせよう

人々は、『赤いカリーナ』を忘れてはいなかった。
この日を、ずっと待ち続けていたのだ。

独立記念日に『赤いカリーナは草原に』を歌う


そしていま――この歌は、再び存在感を増している。

軍事侵攻が始まった2022年2月以降、SNSには、『赤いカリーナ』を歌い上げる姿が膨大にアップロードされている。兵士が、民間人が、ウクライナ国内で、日本で、世界各地で。

独立と自由をもとめて闘った、百年前の姿と重なって映る。

「息子はまさにウクライナの精神を持っていた。ウクライナの英雄だ。『赤いカリーナ』によって、私たちは前の世代のウクライナ人たちとつながることができる」――(25歳の息子が戦死した親)

その一方、負の歴史もまた、繰り返されている。
現在、占領下のクリミアでは、『赤いカリーナは草原に』を歌ったり、流すことは、ロシア軍の信用を失墜させるとして、投獄、罰金刑が課せられていると報じられている。

「この歌をうたえば、裏切り者のように扱われ、当局に厳しく罰せられる。ソビエト時代に逆戻りしたかのようである」(クリミア住民)

今を生きる、あるウクライナ人の言葉である。
「私たちにとって『赤いカリーナ』は何世代にもわたって意味を持ち続けている。百年前、曾祖父は、戦地で歌ったことだろう。祖父は、ソビエトへの反抗の証として歌われているのを耳にしたであろう。父は、独立の喜びをこの歌に乗せて歌ったことだろう。そして私はいま、この歌を歌っている」

独立への思い、命を奪われた悲しみ、文化を弾圧された屈辱。
歌は、ウクライナ人が背負っている、百年の歴史と響き合う。『赤いカリーナ』は、ウクライナ人が苦難の中でつないできた、アイデンティティーそのものなのだ。

番組の主人公、ソフィヤさんが子どもたちと歌う『赤いカリーナは草原に』

(NHK大阪放送局 ディレクター 佐野 広記) 


ETV特集「ソフィヤ 百年の記憶」
2023年3月18日(土)Eテレ 午後11:00~11:59
再放送:3月23日(木)Eテレ 午前0:00~0:59

https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/M91NGWLQZ7/
NHKプラスで、同時・見逃し配信あり(見逃し配信は、放送終了後から1週間)。
NHKオンデマンドでは1年間配信。