前回までのあらすじ

ウクライナで大ヒットしている映画「キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩」。日本でもすでに全国公開されています。
第二次世界大戦下、ヒトラーとスターリンの侵略に苦しんだ三家族の物語です。

この連載では、4回にわたって、映画で描かれた三家族の物語に沿いつつ、その歴史背景を一歩ふみこんで、よみといていきます。

三家族とは、おなじアパートで肩をよせあう、ウクライナ人、ユダヤ人、ポーランド人の家族のこと。自由と希望をふみにじられる日々のなかで、おたがいに助け合い、人間としての絆をふかめていきます。

前回は、ヒトラーとスターリンという二人の大量殺戮者が手を組むことにより、「流血地帯」の住民がどんな運命を強いられたかを紹介しました。

独ソは秘かに協定をむすび、「流血地帯」を侵略 ついに地獄の口が開いた | ステラnet (steranet.jp)

今回、舞台となるのは、1941年、独ソの蜜月が終わりを告げ、凄惨極まる独ソ戦がエスカレートしていく時代です。ポーランド人の家族に続き、ユダヤ人の家族がおぞましい迫害を受け、崩壊します。
ヒトラーとスターリン、ふたりの独裁者がもたらす恐怖のなかで、生きる希望などありうるのでしょうか。
それでもなお、人間の尊厳を守るために、たたかうべきなのでしょうか。


第3回「そして、誰もいなくなった」

1941年6月、独ソ戦がはじまりました。
スタニスワフ(現在はウクライナのイヴァノフランコフスク)からは赤軍がひきあげ、代わって7月2日、ドイツ軍に占領されます。往来には、ナチスの旗が掲げられます。

赤軍が去り、ナチが来た ©MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020

三家族が助け合って暮らすアパートに、ふたたび、深刻な危機がおとずれます。
ユダヤ人弁護士イサク宛に、占領軍(ナチ)からの出頭要請が届いたのです。

用件はわかりません。ただ「ユダヤ人は家族全員で出頭せよ」と命じています。
「なんだか胸騒ぎがする」。妻ベルタがつぶやきます。その声がうわずっています。いつもとはちがう両親の様子に気づき、ふたりの娘はおびえています。

店子であるウクライナ人のギタリスト、ミハイロは懸念を隠しません。
「バンド仲間のユダヤ人も全員よばれた」と家主に告げます。あきらかにナチは街にいる「すべてのユダヤ人」に呼び出しをかけているのです。

重苦しい沈黙ののち、聡明なイサクは、すべてを察知しました。
かれは妻に告げます。「わたしはひとりでいく。おまえと娘は残れ」
だが妻は覚悟を決めており、「一緒にまいります」と告げます。
結局、娘(ディナとタリヤ)が残され、それが運命をわけることになります。

独ソ戦が始まると、ポーランドでは、ユダヤ人への迫害が激しくなりました。
ナチはソ連とおなじく、まず知識人や指導者を標的として殺害しました。

*なぜユダヤ人を殺すのか 狂気の論法

ヒトラーによれば、「ユダヤ人=共産主義者であり、すなわち敵」でした。
あらゆるユダヤ人はソ連のスパイである、したがってユダヤ人を殺すことは敵国ソ連に対する攻撃になる、というのです。

その論法こそ、ナチスの悪質なプロパガンダの核心でした。ナチスの殺戮者はこの誤った論法によって、みずからの残虐行為を正当化しました。

ヒトラーの狂気は、スターリンによる「大粛清」、プーチンによるウクライナ侵攻とも相通じるようにおもえます。
ひとたび権力者が愚劣な妄想を抱けば、その妄想を現実にみせかけようとする国家規模の愚行がはてしなく拡大していくのです。


街にゲットーがつくられた

両親は帰ってきません。
ユダヤ人の少女ディナとタリアは、ソフィアの家に隠れ住むほかありません。
「パパとママはどこへ行ったの?」
ふたりは、何度もソフィアに尋ねます。そのたびにソフィアは言いよどみます。
「あなたのパパとママは遠くで仕事をみつけたの・・・しばらく帰らない」

ポーランド人の娘テレサにも、両親がソ連に連行されたとは言えませんでした。
だがユダヤ人の娘ディナはソフィアに告げます。
「大丈夫、わたしはもう大人」
彼女はすでに両親の運命を察していました。

1941年7月26日。街頭に、当局(ナチス)の張り紙があふれました。
「本日より、ユダヤ人は居住区(ゲットーのこと)へ移れ」と告示されています。

ナチスは、すでに1940年の2月から、占領地に多数のゲットーをつくり、おおぜいのユダヤ人を強制収容していました。家も財産もすべて没収。ゲットーの外に出ることは厳しく禁じられ、脱走は死を意味します。

ワルシャワ・ゲットーの路上 飢えるユダヤ人の子どもたち

ワルシャワ・ゲットーでは、5平方キロに40万人が詰め込まれました。ユダヤ人は劣悪な環境のなかで飢え、疫病に苦しみ、死んでいきました。
たとえ生き残っても、いずれ強制労働収容所、あるいは絶滅収容所へ送られます。

*ヒトラーの狂気、その核心とは?

ヒトラーは、1941年の時点で、いくつもの野望を抱いていました。
ソ連を奇襲し、ドイツの植民地にする。スラブ人を餓死させて、ドイツ人と入れ替える。ユダヤ人を徹底的に「排除」する。
要するに、東欧やロシアをドイツの「東方植民地」に変え、ドイツ人以外の民族を皆殺しにするという狂気の計画です。

はじめナチスは、ソ連から奪った新しい領土でユダヤ人を死ぬまで奴隷として酷使する計画をたてていました。
しかし、ソ連から電撃的な勝利をおさめる見通しが立たなくなったため、「ユダヤ人の絶滅計画」を最優先のターゲットにしたのです。

ユダヤ人の大量虐殺計画を指揮したナチスの大幹部ヒムラーは、秘密演説のなかで、「女も子供も殺せ」と命じました。将来、ユダヤ人からの復讐を防ぐために必要だというのです。

強制収容所を視察するヒムラー ユダヤ人を病原菌にたとえ、絶滅を命じた

1941年8月末、かつてウクライナ国民共和国の首都であったカーミャネチ・ポジリシキーでは、4日間でユダヤ人23600人がナチスに銃殺されました。
9月、500年ものあいだキーウの住人として暮らしてきたユダヤ市民33,771人が郊外の渓谷バビ・ヤールに連行され、片端からナチスに銃殺されました。

ナチス・ドイツは540万人のユダヤ人を殺しました。
「このうち400万人以上が流血地帯出身のポーランド、ソ連、リトアニア、ラトヴィアのユダヤ人で、残りの大部分も東欧のほかの国々から連れてこられた人々だった」と東欧史の泰斗スナイダー教授は指摘します。
そこにルーマニアとチェコスロバキアのユダヤ人も加えるなら、「東欧のユダヤ人がホロコースト犠牲者の90%を占めた」ことになります。

ウクライナの鬼才セルゲイ・ロズニツァ監督は、バビ・ヤールの悲劇をドキュメンタリー映画にしました。(第74回カンヌ映画祭で審査委員特別賞を受賞)。

ぜひ下記の予告編映像をごらんください。写真も動画もすべてアーカイブ映像、すなわち実写の記録映像です。おそろしい迫真の映像です。

https://eiga.com/movie/96389/ (ステラnetのサイトを離れます)

この力作では、ナチスの犯罪ばかりでなく、大戦後、ソビエトがこの事件をプロパガンダに利用した事実もしっかり描かれています。


生き残るための知恵

映画「キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩」に話をもどします。

ウクライナ人の音楽教師ソフィアは、悲しみに沈んでいます。
1939年、ポーランド人の夫婦はソ連に連行され、1941年、ユダヤ人の夫婦はナチスに殺されました。ひとり、またひとり・・・家族が失われていきます。 

もしもユダヤ人をかくまっていることが発覚すれば、ソフィアのいのちも危うい。隣人の密告にも、神経をつかわなくてはなりません。

でもユダヤ人の姉妹は生きている。ポーランド人の娘も生きている。
そしてソフィアの娘ヤロスラワも。4人の少女を、何としても守らなくては。ソフィアは4人の少女に、きびしく言い渡します。
「街にはナチスがうようよしている。絶対に家の外に出てはいけない。
 窓に近づくのもダメ。もし見つかれば・・・」

ソフィアのことばを懸命に聞く娘たち。真剣なまなざしにはっとさせられます。
ソフィアは、四人の娘をやさしく抱きしめます。
三つの家族は、恐怖につつまれた日々のなかで、ひとつの家族になっています。

アパートの部屋から一歩も出ることはできません。
ユダヤ人の少女ディナは、一日中、ものおもいにふけっています。
ある日、「見せたいものがある」とソフィアに告げます。

アメリカへ亡命したヨセフおじさんから贈られた巨大な柱時計。
じつは長針と短針を12時15分に位置にあわせると扉が開き、時計の内部の空洞に隠れることができます。本来は「隠し金庫」としてつくられた仕掛けです。
狭いけれども、いざというときには、役に立つかもしれない。

ナチスの親衛隊が「ユダヤ人狩り」をはじめていました。家々をしらみつぶしに調べて、隠れているユダヤ人を見つけ、情け容赦なく、収容所へ送りこみます。

ナチの「ユダヤ人狩り」が激しくなった
©MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020

ついにソフィアの家にも、ふたりのドイツ兵がやってきました。
ディナは、とっさに柱時計のなかに身を隠します。
「出生証明書を見せろ」とナチス。
ソフィアは平静を装い、ポーランドの書類を見せます。

帰りぎわ、兵士の一人が骨董品の柱時計に気づきました。しかし幸い、仕掛けには気づかず、ディナはかろうじて難をのがれました。
「アンネの日記」を思わせるサスペンスが続き、ハラハラさせられます。

ソフィアは毎日、神経をすりへらし、疲れ果てています。あるとき、答えようのない問いを夫にぶつけてしまいます。
「・・・この戦争に終わりはあるの・・・?」

ウクライナ人のソフィアは、死と隣り合わせの日々に苦しみぬく
いまのウクライナの人びとのように 
©MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020

夫は答えをさがします。「・・・いつかは終わる。いまは闘うしかない・・・」。
ソフィア「でも、どうやって?・・・相手は無慈悲な軍隊なのよ」

ふたりの会話は、いまのウクライナでかわされているかのように聞こえます。


ウクライナ独立を夢見て

ウクライナ人ギタリストのミハイロには家族にも隠している秘密がありました。
ひそかにウクライナ独立をめざす組織OUN (ウクライナ民族主義者組織)に参加していたのです。
OUNは1929年にウィーンで結成され、当初、2万人が参加していたといいます。

ミハイロは足をひきずって歩いています。実はこれは、OUNの一員として、キーウでソ連と武力闘争をおこなっていたときの古傷なのです。

大戦中、ソ連は、抵抗するウクライナ人を標的にし、ポーランド東部の占領地から強制追放しました。ミハイロはキーウから逃げ、ポーランドが支配するイヴァノフランコフスカ(スタニスワフ)に引っ越します。しかし、ナチス・ドイツが街を占領し、ウクライナ独立運動を弾圧し始めたため、今度はドイツへの抵抗に着手したのです。

ポーランド人、ユダヤ人、ウクライナ人、誰もが独ソ両方の犠牲となりました。

1942年10月には、反ドイツ・反ソ連を掲げて武装闘争をいどむUPA(ウクライナ蜂起軍)も誕生しました。
ドイツ兵の集まるキャバレーでギターを弾き、ひそかにドイツの動向をさぐる。
それがミハイロの隠された仕事でした。
ミハイロをめぐるエピソードは「すべて事実にもとづく」と監督はいいます。


家族の絆とは 

ディナは台所でウクライナ風の水餃子・ヴァレーニキをつくっています。
ロウソクをともし、ユダヤ暦の新年を祝います。四人の少女とソフィアが食卓に集まってきます。ディナがソフィアに感謝します。
「ありがとう・・・ユダヤのお祝いにつきあってくれて」
「なにをいうの。わたしたちは家族でしょう」とソフィア。

4人の少女は歌います。キャロル・オブ・ザ・ベルズを。
幸せをもたらす祈りの歌・・・。

家族のつよい絆が生まれていました。血ではなく、愛によって。
いつ引き裂かれるかわかりません。だからこそ、かけがえがないのです。


タリアの死

1941年、12月。ドイツの占領が半年におよんだ頃、ディナの妹タリアがネズミに噛まれ、悪性のウイルスに感染。みるみるうちに衰退していきます。
長い密室の隠れ家生活で、体力も気力も衰えています。
ミハイロは、医者をさがして必死で奔走します。しかし、ナチスの「外出禁止令」を怖れてだれも往診に応じません。

結局、タリアを救うことはできませんでした。
ミハイロは深夜、ひそかに墓を掘って小さな遺体を埋葬します。

独ソ戦の時代、およそ1000万人の民間人が逃げ惑い、爆撃にあい、飢えや病に倒れました。その間、ドイツ軍に殺戮された人びとは、1000万人。そのなかに、500万人を超えるユダヤ人と300万をこえる捕虜がふくまれています。

そして、そのころ、ウクライナ人ミハイロの身にも、危険が迫っていました。
ナチスは、ウクライナの抵抗者を標的にして、卑劣な罠をしかけていたのです。

(第四回に続く)

京都大学文学部卒業、1981年にNHKに入局。特集番組の制作に従事。NHK特集「山口組」、ハイビジョン特集「笑う沖縄・百年の物語」、BS特集「革命のサウンドトラック エジプト・闘う若者たちの歌」、最近作にNHKスペシャル「新・映像の世紀」「戦後ゼロ年東京ブラックホール」「東京ブラックホールII破壊と創造の1964年」などがある。ユネスコ賞、バンフ国際映像祭グランプリ、ワールド・メディア・フェスティバル2019インターメディア・グローブ金賞など受賞多数。現在はフリーランスの映像ディレクター・著作家として活動。著書に『戦後ゼロ年東京ブラックホール』『1964東京ブラックホール』がある。2023年3月放送の「ETV特集・ソフィア 百年の記憶」では、ウクライナ百年の歴史リサーチ、映像演出を担当。