世界最大の「流血地帯」で肩をよせあう三家族 その運命は・・・
©MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020

占領は、時として、戦争よりも怖ろしいものです。
奴隷にされ、拷問され、尊厳を奪われ、虐殺され、墓穴に落とされます。

私は作家ですが、
いま、ロシアが占領地でおこなった戦争犯罪を、記録し続けています。
こうした記録は、もしわたしたちがロシアと妥協すれば、
なにがおきるかをあらためて教えてくれます。
わたしたちは闘い続けるしかないのです。覚悟はできています。

                     作家 ヴィクトリア・アメリーナ

※2023年6月27日、ロシアは、空からのテロによってクラマトルスクのピザ屋を破壊し、
4人の子どもをふくむ13人の民間人を殺傷した。ウクライナの作家ヴィクトリア・
アメリーナも、そこにいた。重傷を負い、病院へ運ばれたが、7月1日、息をひきとった。
ウクライナは、第一級の作家、戦争犯罪の有能なリサーチャーを失った。37歳。
民間人を標的に戦争犯罪を繰り返すロシア。
プーチンはスターリンを英雄にまつりあげ、残虐行為を再演している。


前回までのあらすじ

ウクライナで大ヒットしている映画「キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩」。日本でもすでに全国公開されています。
第二次世界大戦下、ヒトラーとスターリンの侵略に苦しんだ三家族の物語です。

三家族とは、おなじアパートで肩をよせあう、ウクライナ人、ユダヤ人、ポーランド人の家族のこと。たびかさなる独ソの占領によって、自由と希望をふみにじられる日々のなかで、おたがいに助け合い、人間としての絆をふかめていきます。
とりわけ、三人の少女が歌う「キャロル・オブ・ザ・ベル」の美しい歌声に胸を打たれます。

独ソにはさまれ、ヒトラーとスターリンの残虐行為によって蹂躙された「流血地帯」では、20世紀、もっとも大量の民間人が殺されました。その負の遺産はめぐりめぐって、いまのウクライナ侵攻につながっています。

4回にわたる連載では、映画で描かれた三家族の物語に沿いつつ、その歴史背景を一歩ふみこんで、よみといていきます。
そうすることで、いまわたしたちの眼前でおきていることが、人類社会にとって、いかに危ういかが見えてきます。
ウクライナを襲った災厄はウクライナにとどまらず、21世紀の世界にかつてない地獄をまねきかねないといえます。

日本はウクライナから遠く離れていますが、ウクライナで今後起きることは、21世紀のアジア、そして日本の運命をも左右します。
それゆえ、わたしたちは、ウクライナのいまを注視するだけでなく、その激動の歴史から多くを学ばなくてはなりません。
なぜなら、今おきていることは、多くの点で、悲惨な歴史の再演だからです。

前回は、独ソにはさまれた「流血地帯」の怖ろしさ、そして映画に登場するウクライナ人、ユダヤ人、ポーランド人の三家族のプロフィルを紹介しました。
今回は、ヒトラーとスターリンという二人の大量殺戮者が手を組むことにより、「流血地帯」の住民がどんな運命を強いられたかを見ていきます。

最初の大事件は、「ソ連の秘密警察によるポーランド人の大虐殺」です。


第2回 スターリンとヒトラーの「蜜月」 1939-1941

2022年2月24日。この日、ウクライナのイヴァノフランコフスクは、突如ミサイル攻撃を受けました。
ロシアによるウクライナ侵攻は、空からのテロで始まったのです。

いつか見た光景……ウクライナの老人なら、記憶に刻まれているでしょう。今から83年前、おなじ街で、おなじように無慈悲な爆撃を受けたことを。

時は、1939年9月1日早朝にさかのぼります。
ナチス・ドイツのテロは、突然、空から開始され、あっというまにポーランドの主要都市を壊滅させました。
もちろん、当時ポーランド領だった西ウクライナ全土も標的になりました。
70トンの爆弾。教会も病院も破壊され、158の集落が、炎につつまれました。
ワルシャワでは民間人25000人が犠牲になりました。

犠牲者の大半は女性、そして子どもたちです。さらに、逃げまどう難民の大群をめがけて、空から機銃掃射が浴びせられました。

独ソは、1939年ポーランドに侵攻(第二次大戦勃発)。
英仏はただちにドイツに宣戦布告。世界大戦の炎が燃え上がる。
ヒトラーはドイツ軍の兵士にこう訓示した。『一切の哀れみには心を閉ざせ!』

スタニスワフ(現在はウクライナのイヴァノフランコフスク)で暮らす三家族は、決死の思いで、狭い地下室に逃れます。たえまなく続くすさまじい爆音に、恐怖がつのります。おびえたこどもたちは、懸命に歌を歌って恐怖をまぎらわせます。
だれもが、いまのウクライナにおもいをはせるでしょう。

地下室で息をひそめる三家族 いまのウクライナとそっくりだ。
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ヒトラーとスターリンの「蜜月」

1939年9月17日、今度は50万のソ連赤軍がポーランドに侵攻します。
ポーランド軍はすでにドイツに惨敗しており、赤軍と戦う力はありません。

ポーランド東部をやすやすと手に入れたソ連はブレストでドイツ軍と合流。
独ソは友好条約に調印。ポーランド分割の境界線を決め、乾杯しました。

ナチスの盟友・ソ連は、ドイツに、大量の資源、および武器を供与しました。
ソ連は、ファシストのこのうえなき支援者であったのです。
「ナチス・ドイツとの絆は血で固められている」スターリンのことばです。

独ソの蜜月ぶりをしめす写真があります。占領地ブレストで、手をたずさえて軍事パレードをおこない、同盟の強力な絆を誇示しています。

独ソの蜜月 左がナチの士官 右が赤軍(ソ連軍)の士官 
1939年10月 ブレスト・リトフスク


スターリンとプーチンの「情報操作」

1939年9月28日ワルシャワが陥落し、ポーランドは地上から消滅しました。
バルト三国、ルーマニア領ベッサラビアも、ソ連に併合・割譲されました。
ふたつの全体主義国家による占領地での支配はおなじように苛烈をきわめ、競い合うように強制移送と大量銃殺をエスカレートさせていきます。

ちなみに、ソ連崩壊にいたるまでのおよそ半世紀、ソビエトは、領土拡大をめぐる「秘密議定書」の存在をかたくなに否定し続けました。
都合の悪い事実をなかったことにする、ソ連の常套手段というべきです。

そもそも、ソビエトの公式史観では、「第二次世界大戦は1939年ではなく1941年に始まった」とします。
しかし、1939年にソビエトがナチス・ドイツと結託して世界大戦をはじめたのは、だれにも消すことのできない歴史的事実です。

ソ連に支配された「流血地帯」の人々は今も「負の遺産」に苦しんでいます。
侵略、占領、虐殺を正当化するソ連の主張など、だれも受け入れません。

ところがソ連の公式史観は、KGB工作員だったプーチンにうけつがれ、いまも生きています。
国際法をふみにじってクリミアへ侵攻した2014年、プーチンはあらたな法律にサインしました。
『1939年から41年のあいだにソ連がポーランドに侵攻し、バルト三国を占領し、
戦争犯罪をおかしたと発言すれば国家に対する犯罪行為になる』
と決めたのです。

過去の侵略を隠蔽すれば現在の侵略を正当化できるというのでしょうか?

さらにプーチンは、2021年6月30日、「第二次大戦に関する旧ソ連とナチス・ドイツの行動を同列に扱うことを禁じる新法」を発効させました。

新法のねらいは、「ナチスとソ連との密約が第二次世界大戦をひきおこした」という議論を、権力で、封印することにあります。
プーチンは、スターリン時代さながら、国家に都合のよい歴史観を国民におしつけ、国民から、ものをかんがえる自由を奪っているのです。

すでに独ソの「秘密議定書」は公開され、密約の内容は露見しています。欧州議会はすでに2019年9月に、ナチスとソ連という「2つの全体主義体制」による密約が大戦に道を開いたとする決議を採択しています。
独ソの「秘密議定書」が公開され、密約の内容が露見しているにもかかわらず、ロシアは、独ソ戦の勝利を国威発揚に利用するばかりで、ナチの強力な同盟国であった責任を重く受け止める気配はありません。


赤軍にだまされて

1940年、三家族が暮らす街スタニスワフ(現在はウクライナのイヴァノフランコフスク)はすでにソ連に併合されていました。

大戦勃発直後、テレサの父親ヴァツワフはポーランドの将校ゆえ、所属の部隊へ向かいました。だが翌年になっても帰らず、連絡もありません。
いったい、何があったのでしょうか。

テレサも母ワンダも不安と焦燥をつのらせるばかりです。
この映画では、ポーランド人の父親の「その後」は、表現としては暗示にとどまっており、詳細は必ずしもあきらかにされていません。
おそらくポーランドやウクライナの観客には、そのことを事細かに描かずとも、何があったかについて、共通の理解があるとおもわれます。

今回は、「流血地帯」のポーランド人やウクライナ人、とりわけ知識人や軍の士官になにがおきたかをふりかえり、テレサの父が強いられたであろう理不尽な運命に思いをはせたいとおもいます。

じつはポーランド軍の将校は、ソ連にだまされて、秘かに虐殺されていたのです。

映画では、虐殺のシーンは描かれませんが、家族のもとからひとり、またひとりと姿を消していくおそろしさは、深く伝わってきます。


罪をナチスに押しつけた 

「キャロル・オブ・ザ・ベルズ」とは対照的に、ソ連による迫害を、史実に即して、ストレートに映像化した作品もあります。
まず挙げるべきは、ポーランドの世界的巨匠アンジェイ・ワイダの傑作「カティンの森」でしょう。ポーランドの将校がソ連の秘密警察に銃殺されるまでを再現した、戦慄すべき作品です。ソ連が罪をナチスになすりつける欺瞞も告発します。

1939年、ソ連侵攻の直後、一万五千人のポーランド軍人が列車につめこまれ、NKVD(ソビエト秘密警察)の管理する三つの収容所へ連行されました。

*NKVDはKGBの前身 ソ連の恐怖政治を担った組織

翌1940年、NKVDの悪名高き「元締め」べリアが冷酷な命令を下し、ソ連は捕虜の97%にあたる1万4587名を秘密裏に殺害しました。
捕虜の多くは、銃殺される直前まで、殺されるとは夢にも思っていませんでした。

大量虐殺を担当したソビエト秘密警察の総帥べリア ひざに抱いているのはスターリンの娘

スターリンは、すでに1930年代に、ウクライナ人はじめ多くの民族を標的にして、飢餓殺人(ホロドモール)、大量処刑、強制移送など、史上空前の残虐行為に手を染め一千万の人命を奪ったとされています。

ウラルの集団墓穴から発見された遺骨 NKVDによる大量銃殺の犠牲者 

しかしソ連は、こうした大罪を嘘と秘密で塗りかため、巧妙に世界の眼から隠していました。世界は、ソ連の悪質な手口への認識があまりにも甘かったのです。

1940年4月、コゼリスク収容所からバスに乗せられた数千人のポーランド軍人は、NKVDの管理する「カティンの森」に連行されました。

NKVD兵士が捕虜の腕をつかみ、狙撃兵が捕虜の首に銃弾を撃ち込みます。

まるで工場の流れ作業をこなすかのように、処刑は黙々と続けられました。
ポーランドは多民族国家ゆえ、殺された将校のなかに、多くのユダヤ人、ウクライナ人、ベラルーシ人もいました。

死の直前、捕虜の多くは、震える声で、聖書のことばをとなえます。

正直言えば、処刑のシーンがリアルすぎて、息苦しくなりました。
それが映画であり、撮影であり、演出であることを、いくら自分に言い聞かせても、画面に充満する残虐さに、吐き気を押さえることができません。

遺体は森の中に掘られた集団墓穴にゴミのように放り込まれます。

カティンの森で見つかった犠牲者の遺体

このような行為を平然と実行できる人間存在とはいったい何なのか。


「未来」を殺戮する独ソ

このとき、虐殺された将校の三分の二は、予備役でした。その多くは、ポーランド社会を支える医師や弁護士、科学者、大学教授、政治家でした。ソ連は、ポーランド知識人を抹殺することで、支配を容易にしようとくわだてたのです。
ソ連はウクライナでも、徹底的に、知識人や文化人を虐殺しています。

ソ連の秘密警察は、遺体といっしょに、大量虐殺の記憶も墓穴に埋めてしまいました。秘密警察の暴虐があかるみにでたのは、ようやくソ連崩壊後のことにすぎません。いまもなお全貌は解明されていないのです。

ワイダの映画では、真実が解明されるまでのプロセスも克明に描かれます。
虐殺を命じただけでなく、知らんぷりを決め込んだスターリンの罪深さに、いまさらながら、だれもが戦慄をおぼえるでしょう。

こうした残虐行為は決して過去のものではありません。
たとえば、昨年、ロシアの兵士は、ウクライナのブチャやイジウムで、民間人の後頭部を撃ちました。その残虐なふるまいは、まさしくスターリン時代の再演です。


民間人も標的に

「キャロル・オブ・ザ・ベルズ」の物語へ戻ります。
スタニスワフ(現在はウクライナのイヴァノフランコフスク)で暮らす三家族のうち、ポーランド人の家族から、まず父親が姿を消しました。
そして、夫の生存を祈る妻ワンダにも、ソ連の秘密警察の魔手がのびます。

すでにスタニスワフの街は、ソ連の占領軍に支配されています。ソ連兵は、ロシア語を話さないというだけで、市民に暴力をふるいます。

ある夜、NKVDの兵士がふたり、突然ワンダの部屋に侵入しました。
そして、「15分以内に荷物をまとめろ、鞄はひとつだけだ」と強要しました。

行く先はわかりません。おそらく遠く離れたグラーグ(強制収容所)に連行されるのでしょう。シベリアかカザフスタン、あるいは北極圏でしょうか。

イェール大学のスナイダー教授によれば、「1939-1941年の2年間にわたり、ソ連は31万5000人のポーランド国民を強制移住させ、1万人を逮捕し、3万人を殺し、さらに2万5千人を勾留中に死に追いやった」事実が確認されています。

ポーランド軍人の妻であり、テレサの母であるワンダは、連行される直前、懸命に口実をもうけてソフィアの部屋へ駆け込みます。
ワンダは、内心の動揺を押し殺し、小声で必死にソフィアに訴えます。
「おねがい!・・・娘テレサを守って・・・」

テレサの不安、恐怖、胸が張り裂けるような悲しみがつたわってきます。
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テレサは、偶然ソフィアの部屋で遊んでいて、奇跡的に難をのがれました。
けれども、両親がいなくなった衝撃で、涙がとまりません。

ある日突然、孤児になってしまったポーランド人の娘テレサ。
当時、ポーランドには、テレサのような境遇の子どもが、数えきれないほどいました。ソフィアは、命をかけて彼女を守り抜くことを決意します。

もし少女がソ連に拉致されていたら、なにがおきていたでしょうか。

いまなおロシアは、ウクライナの占領地から保護を名目に多くの子どもたちをロシアへ連れ去り、ロシア式の「再教育」をほどこし、ロシア国家の世界観を押し付けようとしています。
ウクライナ人の親は胸がはりさける思いでしょう。
ウクライナの子供たちを救おうとする親たちを支援するNGO団体「セーブ・ウクライナ」のミコラ・クレバ氏は、「ロシアはこどもたちををロシア化し、将来、ウクライナに刃向かう武器にしようとしている」と非難しています。

調査によればロシアは、子供たちに、「ウクライナ侵攻の責任は、ナチスとNATOにある」と教えます。「ロシアの国歌を強制的に歌わせ、ロシアを正当化する歴史を教え込む」「ウクライナでの残虐行為に責任のあるロシアの軍人に感謝する手紙を書かせる」。「学校に軍事訓練が組み込まれることもある」。チェチェン共和国に送られる子どももいるといいます。

国際刑事裁判所(ICC)は、今年3月、プーチン露大統領が「子どもの連れ去り」に関与した疑いがあるとして逮捕状を出しました。
しかしロシアは「子どもを保護している」と正当化し、事態は悪化しています。
ロシアは、子供を戦利品の一部とみなしているのでしょうか。子どもの連行・洗脳は、ロシア人によって、今もくりかえされている卑劣な人権犯罪です。

かつて日本軍の兵士も、「戦利品の一部」としてシベリアに拉致され、奴隷労働を強いられました。プーチンはどこまでソビエト帝国へ回帰していくのでしょうか。

日本の敗戦後、66万人の兵士が10年間、シベリアや北極圏で辛酸をなめた。地獄の苦しみは収容所に送られたウクライナ人やポーランド人と変わらない。

地の果てのグラーグ(強制収容所)で

1939年12月4日、ソ連共産党政治局は、ソ連の支配に危険をもたらす怖れのあるポーランド人を強制追放せよと命じました。
警察官、退役軍人、公務員、およびその家族が対象とされました。

記録によれば「1940年2月の夜、NKVD(ソ連の秘密警察)は、夜中に銃をつきつけて13万9794人を拉致し、トイレもない貨車にむりやり押し込んで、はるかシベリアまで移送」しました。その道中で力尽き、「5000人が絶命」しました。 

ユダヤ人も独ソ両方から迫害されました。「1940年6月に強制移住させられた7万339人のうち、84%がユダヤ人」でした。

行先は、グラーグ(強制労働収容所)。スターリン期には数千のグラーグに数百万人が送りこまれました。収容所は、秘密警察とともに、ソビエトの「強制弾圧システム」の核心というべき恐怖の源泉です。

子どもにも、女性にも、高齢者にも、容赦はありません。
1930年代には、スターリンに抵抗したウクライナ人が大量に収容所に送られました。拷問、飢餓、疫病、処刑。半年で1万1千人が墓穴に投げ込まれました。

人びとからすべての希望と自由を奪ったソ連のグラーグ(強制労働収容所)

極北のグラーグには、かつて流刑にされたウクライナ農民の遺骨が散乱していました。ソ連では、おなじ悲劇がいくたびもくりかえされていくのです。

記録によれば、1939年から1941年の2年間で、2万1892人のポーランド国民(ユダヤ人、ウクライナ人がふくまれる)がソ連の犠牲になりました。


ソ連が去り、ナチスが来た

1941年6月22日。ソ連とドイツの蜜月が終わりを告げ、ヒトラーはソ連との戦争に踏み切ります。独ソ戦は、史上もっとも悲惨な戦いといわれます。

独ソ戦がはじまる

もともとヒトラーはいずれソ連を占領し、スラブ系の民族を皆殺しにして、代わりにドイツ人を入植させるという、狂気の計画に執着していました。
独ソの激突は兵士だけでなく、戦場となった土地に暮らす膨大な人々に、耐えがたい苦しみを与えることになります。

たとえソ連兵が去っても。そこへ、ナチスが侵攻してくるのです。
地獄へ落とされた三家族にとって、さらに怖しい苦難の日々がやってきます。

1941年 ナチスの軍団が 近づいていることを知り、首都キーウから逃げ出すウクライナ人

(第三回に続く)

京都大学文学部卒業、1981年にNHKに入局。特集番組の制作に従事。NHK特集「山口組」、ハイビジョン特集「笑う沖縄・百年の物語」、BS特集「革命のサウンドトラック エジプト・闘う若者たちの歌」、最近作にNHKスペシャル「新・映像の世紀」「戦後ゼロ年東京ブラックホール」「東京ブラックホールII破壊と創造の1964年」などがある。ユネスコ賞、バンフ国際映像祭グランプリ、ワールド・メディア・フェスティバル2019インターメディア・グローブ金賞など受賞多数。現在はフリーランスの映像ディレクター・著作家として活動。著書に『戦後ゼロ年東京ブラックホール』『1964東京ブラックホール』がある。2023年3月放送の「ETV特集・ソフィア 百年の記憶」では、ウクライナ百年の歴史リサーチ、映像演出を担当。