皆さん、こんにちは。NHK放送博物館館長の川村です。
先日、台風2号と前線による影響で、東海から関東にかけて記録的な豪雨となり、土砂災害警戒が広範囲に発表されました。今後、私たちは、ますます気象情報と密接にかかわりながら暮らしていくことになりそうです。

今回、最初にご紹介するのは、そんな「気象情報」にまつわる当館の「お宝」です。以前、このコラム#2でも一部を紹介しました。
▶その第一歩はラジオからはじまった!放送気象情報の「お宝」がザクザク

日本で初めてラジオ放送が始まったのは1925(大正14)年3月。
この日から試験放送を始めた東京放送局は、いよいよ7月に現在放送博物館の立っている愛宕山から本放送をスタートさせます。  

当館で展示している本放送初日の番組表によると、午前10時から陸軍戸山学校軍楽隊軍楽隊による「君が代」の演奏の後、東京放送局初代総裁の後藤新平による開局のあいさつが放送されています。

ところが、その記念すべき放送の前、午前9時から「1.天気予報」とあり、気象情報が本放送最初の番組として載っています。実は気象情報は日本で初めてラジオの本放送が始まったその日のオープニングに放送されていました。つまり日本初のラジオ番組は「天気予報」だったのです!

もちろんこの当時の予報は今ほど正確ではありませんでしたが、ラジオの天気予報は各地の観測点の気象情報を伝える「気象通報」とあわせて今後の天候を知る上で貴重な情報源でした。

当館にはこの「気象通報」に関する貴重な資料が残されています。それがこれ、『ラヂオ氣象通報のしおり』です。

これは1930年(昭和5年)に日本気象学普及協会という団体が発行、当時の東京中央放送局が編集したもので気象用語の解説、気象通報が放送されるまでの流れの解説や天気図の見方が書かれています。いわば「天気のテキスト」のようなものともいえるでしょう。

さて、続いては音楽番組の「はじめて」です。
ラジオの本放送が始まったこの日、ご紹介した天気予報に続いて放送されたのは、「君が代」の演奏と後藤総裁のあいさつ、続いて陸軍戸山学校軍楽隊による吹奏楽の演奏でした。こちらは日本のラジオ本放送最初の「音楽番組」ということになります。

演奏された曲目は「A.行進曲 ゼ・スナッパーズ ヘイウード作曲」「B.カンタベリーの鐘 アンクリフ作曲」「C.喜歌劇 マダム・ポンパドーア抜粋 レオ・ファール作曲」と続き、そのあとも作曲家「アーキバルド・ジョイス」「ケテルベイ」「シルバーマン」「ストロング」の作による全7曲が演奏されました。

ただこの7曲の作曲家、現在では一般の人たちにはあまりなじみのない名前ばかりではないでしょうか? 当時の資料を調べたところアンクリフ、アーキバルド(アーチボルド)・ジョイス、ケテルベイ(ケテルビー)とストロングは軽音楽を中心として活躍していた作曲家でした。さらにレオ・ファール(レオ・ファル)は当時流行していたオペレッタの世界で名をはせた作曲家。あとの2人の作曲家の詳細はわかりませんでした。

「愛宕山時代の東京放送局・洋楽演奏室」ここから音楽番組が放送された。

この時間に演奏された曲はいわゆる軽音楽で、重厚なクラシックの演奏ではありませんでした。当時の陸軍軍楽隊はこのような軽音楽を好んで演奏していたという事ですから、しいて言えばそのほかの作品も含めてどれもこの時代の最先端の音楽だったのではないでしょうか。

特に最後の2曲は「流行ワンステップ」という表題があり、これは当時流行していた(社交ダンスの)ダンスミュージックだったようです。ということはラジオ放送初日からかなり「尖った」流行の最先端を放送したのかもしれませんね。

ちなみにこの日の午後の音楽番組は、後にNHK交響楽団の前身である「新交響楽団」の常任指揮者となる近衛秀麿指揮、近衛シンフォニー・オーケストラ演奏によるベートーベン交響曲第5番「運命」が放送されました。こちらは日本の放送における「交響楽団の初めての演奏」という事になります。

なおこの日「日本初の音楽番組」で演奏した陸軍戸山学校音楽隊は明治時代に創設された当時の日本陸軍を代表する軍楽隊で、太平洋戦争末期に学徒動員で徴兵された芥川也寸志や團伊玖磨も所属していました。

それでは最後は「講座番組」の「はじめて」です。2021 年の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」でも取り上げられたラジオ英語講座は日本のラジオ放送開始直後から始まりました。            

初期の英語講座(秋季)のテキスト(1925年)

東京放送局初代総裁の後藤新平は、放送に対する抱負として4つの機能を上げました。そのうちの2つが「文化の機会均等」「教育の社会化」でした。英語講座は、こうした放送が果たすべき機能の一つとしてラジオ放送開始とともに始まりました。第1回は本放送開始の1週間後、7月20日(月)に放送されました。

この日本初のラジオ英語講座の講師は、岡倉天心の弟で英語学者の岡倉由三郎が担当しました。

日本初のラジオ英語講座を担当した岡倉由三郎

岡倉のように、当時の著名な講師がラジオの音声を通じて指導してもらえる「英語講座」は実際の発音を学ぶことができるということで、評判を呼びました。そして「ラジオ講座」は語学だけにとどまらず、さまざまな分野に広がっていきます。当館にはこんな展示物もあります。        

「運動講座」や「釣り講座」のテキストです。この時代の人たちは何でもラジオで学ぶことができました。

このように1925年に始まったラジオは、「講座番組」というヒット番組によって一般の人たちに幅広く浸透していきました。この「講座番組」の世界についてはまた改めてご紹介していきます。

参考資料:N響100年史(NHK交響楽団フィルハーモニー22年1月号)


コラム「放送百年秘話」は、月刊誌『ラジオ深夜便』にも連載します。
第3回は、7月号(6月16日 定価420円)に掲載。こちらもどうぞお楽しみに!
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