
聞き手/工藤三郎
闘病のトップランナー
――昴さんが亡くなられたのが4月13日。日本陸上競技連盟のマラソン強化戦略プロジェクトリーダーとして、選手の強化に務めてこられたさなかの出来事でしたね。
瀬古 東京オリンピックがある中で、昴の病気も重なってしまって大変なところもありました。自分の息子が本当に生きるか死ぬかでここ一、二年やってましたから。ただ、そんな私の気持ちが現場の選手たちに、監督たちに伝わらないようにね、努めて明るく振る舞うようにしていました。「瀬古さん、そんなことあったんですか」って、よくオリンピックが終わったあと言われました。
――亡くなる直前に、『がんマラソンのトップランナー 伴走ぶっとび瀬古ファミリー!』という昴さんの著書が出版されました。いつごろからお書きになってたんですか?
瀬古 書き始めたのは亡くなる1年以上前かな。それまでは「昴、お前文章が上手なんだから本を書いたらどうか」って勧めたこともあるんです。でも昴は「自分の病気は心の中にしまいたいから、本なんか書かない」って拒否してたんだけど、あることがきっかけでね、書こうという気になったんですね。
――あること、というのは?
瀬古 本が出る前の年の元日にね、巡回診療に来られたお医者さんから、「昴くんの病気はね、私たちにとっても初めてのことが多くて勉強になってます。昴くんは、本当にこの病気のトップランナーだから」って言われたんです。で、そのときは何も思い浮かばなかったらしいんだけど、実業団駅伝のテレビ中継でトップの選手の映像を見たときに、彼は「あ、これが僕だ」と思ったんだそうです。がんマラソンのトップランナーが僕だと。それで、皆さんのためになるんだったら、自分が闘病中に経験したことや思ったことを本に書いてみたい、と考えるようになったんじゃないですかね。
――本のタイトルには、ホジキンリンパ腫という難病との闘いの先頭に立っている、という思いが込められているんですね。
瀬古 私もマラソンでトップランナーでしたけど、なかなかいい名前つけたなと。やっぱり8年、9年闘ってきましたからもうマラソンに近い。いや、それ以上に苦しみながら闘ってきたんだと思いますけどね。
――明るくユーモアにあふれた内容の本になっていますよね。
瀬古 本当につらい、痛い日々のことをおもしろおかしく表現してね、最後にはしっかりとオチをつけてうまく読みやすいように書いてて、いや、すごいなと思いましたね。でもね、文章はおもしろく読めるように書いてますけど、いやー、近くで見てるともうそんな状況じゃなかったですね。本当にもう、痛い、苦しい、つらい、それの繰り返しだったんで。多分ね、本を書くような余裕は本当はなかったんじゃないかと思います。
――痛みについては、本の中で「真っ暗闇で、それこそ台所の包丁が光って見えるほど。自分の殻に閉じこもり、毎晩全身の痛みにもんどりを打ちました」と書かれています。
瀬古 これねえ、私にはそういう痛みとか苦しみを見せなかったですね。本当は痛いんだろうけど、何で私に見せないのかなと思って。やっぱりライバルだと思ってたのかな、お父さんのこと。だから弱みを見せちゃいけないっていう、何かそういう葛藤があったのかもしれませんね。
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