「アナウンサー百年百話」
放送予定(4月)
ラジオ第2 毎週(水)午後10:00~10:15
(再放送・土)午後3:45~4:00
(再々放送・水)午前10:30~10:45
2025年の「放送100年」にむけて、その歴史をアナウンサーの「ことば」で振り返る「アナウンサー百年百話」。今年度最初のテーマは、「NHKのど自慢」(この4月から廣瀬智美アナウンサーと二宮直輝アナウンサーが新司会を務める)。その公開収録が、東京港区愛宕山のNHK放送博物館で行われた。
ゲストは、「NHKのど自慢」の司会を10年間担当した小田切千アナウンサーとその前に担当した徳田章アナウンサー。
司会は「のど自慢」が大好きという片山千恵子アナウンサー。
♪ 誕生当時から受け継がれる「のど自慢」の精神
「のど自慢」が誕生したのは、終戦の翌年、1946年1月19日。「マイクを民衆へ」という考えのもと、市井の人々の声を届ける「のど自慢素人音楽会」がNHKラジオでスタートした。
第1回の司会は高橋圭三アナウンサー、プロデューサーは三枝健剛さん(作曲家・三枝成彰さんのお父さま)でした――片山アナが解説すると、会場からは「ほぉっ~」と声が上がる。
その頃のアナウンサーは番組の進行に徹しており、出場者を次々と送り出すことが主な仕事だった。ところが1948年8月、シベリアからの復員兵が、その場の誰も知らない歌を歌ったとき、どうしても話を聞いてみたいとインタビューに駆け寄ったアナウンサーがいた。大野臻太郎アナウンサー。のちにレコード化され大ヒットした『異国の丘』をめぐるエピソードだ。
やがて、「のど自慢」は司会者と出場者との短いやりとりが一つの名物になっていく。このスタイルを確立したのは、1949年から17年間司会を務めた宮田輝アナウンサーだった。
当時の出場者は25組(現在は18組)、短いやりとりとともに歌唱指導もしていたというから、ものすごく密度の濃い番組だったのだろう。
宮田輝アナウンサーに「のど自慢」で褒められたことがきっかけで、大歌手になった人物がいる。当時、北海道の高校生だった北島三郎さんだ。北島さんが当時のことをインタビューで語っている。
鐘は二つしか鳴らなかったけど、あの時優しく『いい声してたんだけどね、惜しかったね』と。あの有名な宮田輝さんが褒めてくれたんだから、これひょっとしたら俺、歌手になれるんじゃねえかな、と。だからプロになってから「のど自慢」に(ゲストとして)行っても、なんかほぐれちゃうんだよね~
宮田輝アナウンサーがかけた言葉は、北島三郎さんの人生のエールとなったのだ。
♪ 人間ドキュメンタリー「のど自慢」
宮田アナからのバトンを受けて、その後同じく17年間司会を務めたのが、のちに「ミスターのど自慢」といわれた金子辰雄アナウンサー。司会者となった1970年、「のど自慢」の大改革が行われた。歌のうまい下手を競うだけでなく、番組を盛り上げた出場者に贈られる「熱演賞」(現在の「審査員特別賞」)を創設。さらにカラオケブームも相まって、それまで8%だった視聴率は25%まで大幅にアップした。
金子アナの驚くべきエピソードがある。出場者が歌うすべての歌詞を、フルコーラスで覚えていたというのだ。万が一、出場者が歌詞を忘れてしまったときに、そっと支えるために。その豪快、かつ繊細な人物エピソードは、ぜひ放送でお聞きいただきたい。
徳田アナは、そんな金子アナウンサーから、直接薫陶を受けたひとり。徳田アナによれば、金子アナは当日の朝、誰よりも早く来て、「まってたよ~」と出場者みんなを歓迎し、現場を盛り上げていたそうだ。
その後、司会は、吉川精一、宮川泰夫、宮本隆治、各アナウンサーに引き継がれていく。
宮本アナウンサーのあと、2007年から司会を引き継いだ徳田アナは「その人でなければ、決して語られないことば」が出るように、努力を続けたという。
東日本大震災から半年後の2011年9月、岩手県久慈市で「のど自慢」が開催された。徳田アナはその時のことを鮮明に覚えていると語る。出場者の1人でシラス漁をしていた漁師の方が歌う場面が会場に映し出される。徳田アナが話を聞くと、津波で船がダメになり、沈み込んでいたお父さんを元気づけようと、奥さんがはがきを書いて応募してくれたのだという。
その「お父さん」と徳田アナが、12年ぶりに電話で話すことに――。会場からはすすり泣きの声も。感動のやり取りを、ぜひ番組で聞いてほしい。
♪ 家族のように、やさしく寄り添う「のど自慢」
そして、徳田アナウンサーからのバトンを受けたのが、小田切千アナウンサー。「こんなにも歌が好きな人がいるのか」「こんなにも嬉しいんだ――」。担当して早々、出場者たちの熱量に圧倒されたという。
会場に映し出されたのは、見事合格した2人の女子高生に舞台上で小田切アナが抱きつかれる様子。ゲスト歌手の石川さゆりさんが「小田切さんがお父さんみたい」と笑いながら話す。もう1つ、沖縄で行われた「のど自慢」のシーンでも、小田切アナは女子高生に抱きつかれていた。小田切アナは思い出してまた涙。会場もまた涙となった。(詳細は、ぜひ放送で)
そして、この3年はコロナ禍の影響をもろに受けたのど自慢。7か月間の休止期間を経て、少しずつ番組は復活した。「のど自慢ってみんなで“密”を楽しむ番組、つながりを作る番組なのに……」。小田切アナは悔しい思いをにじませながらも、今こそ必要とされる番組が「のど自慢」だと語る。
話を聞くほどに、小田切アナの立ち位置は「家族か親戚」のよう。出場者みんなで作る「大家族」だ。いまの時代、「のど自慢」は、新たなつながりを作るお手伝いをしているのかもしれない。
「のど自慢」の出場者たちによって作られる「同窓会」があるという。それはNHKとは関係なく、出場者同志が仲良くなって、自然発生的に生まれるそうだ。「のど自慢」は、この時代を生きる人々の「絆」を今も紡いでいる。
「のど自慢~どんな時代も、明るく、楽しく、元気よく出場してもらう!~」
4月5日(水)第一話 「のど自慢誕生物語」~宮田輝アナウンサー時代
4月12日(水)第二話 「人間ドキュメンタリー・のど自慢」~転換期・金子辰雄アナウンサーの時代~
4月19日(水)第三話 「日本を元気にする!のど自慢」~昭和後期から平成・徳田章アナウンサーの時代~
4月26日(水)第四話 「心と心を“つなぐ”のど自慢」~平成後期から令和・小田切千アナウンサーの時代~
(取材・文 NHKサービスセンター 阿部陽子)