今回はニュース・情報番組を採り上げる。
理由はグラフにある通り、PUT(総個人視聴率)が下落傾向になる中、朝7時台・昼12時台・夕方6時台など、特定の時間は健闘している。
土日G帯(夜7~10時)は15年で13%以上も下がった。
平日G帯も7%を失った。ところがほぼ全局がニュースあるいは情報番組を並べる時間帯は、1~2%は下がったものの、かなり善戦している。
テレビ離れが言われる中、なぜこんなことが起こっているのか。
テレビ70年を俯瞰する中で考える。
初期のTVニュース
テレビ開局当時、ニュースは1日で昼と夕方の合計9分だけだった。
それまでは「読む」新聞と「聴く」ラジオの2つだったが、新たに「見ながら聴く」ニュースが登場した。
演出はシンプルだった。
ラジオの原稿をテレビ用に書き直し、それに合わせてスタジオカメラで文字・パターン・地図・写真(共同通信社提供)を映す程度。アナウンサーが画面に出ることもなかった。
フィルムによるニュースも週1本程度。
当初は日映新社の「映像ニュース」しかなかった。その後NHKの自主取材による「NHK映画ニュース」に移行するが、当初は現像に3日もかかり、とてもその日のニュースは映像化されなかった。
開局3年ほどで、テレビ局は自前の現像所を持つ。
その後60年までに各地方局にも現像施設が完成し、マイクロ波回線で地方からのニュース送出体制が整っていった。
ニュース映画から進化
60年に登場したNHK『きょうのニュース』は、テレビ報道に変化を与えた。
それまでは映像に拘るため、取材対象が事件・事故・イベントなどに限定されがちだった。ところが新番組は、写真・図表・統計を多用し、取材した記者が出演するなどして、ニュースの領域を広げたのである。
2年後にTBSは、夕方に『TBSニュースコープ』を始めた。
ジャーナリストが画面に出てニュースの背景などを解説する、日本初の本格的キャスターニュースだった。テレビ報道の流れを変えた番組で、以後“報道のTBS”と言われる契機となった番組である。
NET(現テレビ朝日)も新境地を切り拓いた。
64年スタートの『木島則夫モーニングショー』だ。生ワイドニュースという新しいスタイルを創り出した。司会者が「人間的な感情を自分の言葉で伝える」こと目指し、大成功をおさめた。
この番組は各局のニュースに影響を与える。
1年後にNHKが『スタジオ102』、フジテレビが『小川宏ショー』を始めた。以後、ワイドショー全盛時代を迎えることになるのである。
ニュース番組の拡充
70年代以降、報道番組は質量ともに拡充される。
70年の「よど号事件」「大阪万博」中継、72年の「あさま山荘事件」中継など、テレビ報道が社会に大きなインパクトを与え始めた。
さらに74年スタートの『ニュースセンター9時』。
“短大卒の主婦”がわかるニュースを目指すため、映像を多用し柔らかいニュースにも時間を割き、易しい表現に努めた。
それまでNHKニュースが対象とした視聴者は社会を動かすコア層だったが、普通の生活者を意識し始めた最初だった。
民放も夜帯に報道番組を増やす。
80年にTBS『報道特集』、日テレ『TV・EYE』、テレ朝『ビッグニュースショー いま世界は』が続いた。ENG(Electronic News Gathering)と呼ばれたカメラとVTRの組み合わせ、もしくは一体型が活躍し始め、ロケの機動性と速報性が格段に高まったことが前提にある。
朝の時間帯も報道系が増えて行く。
79年日テレ『ズームイン!!朝!』、80年NHK『ニュースワイド』、81年TBS『朝のホットライン』、82年フジ『モーニングワイド』などである。
この結果、平日の報道番組は、70年代初めの10時間余りから(6局計)、80年代半ばは20時間弱と倍増近くまで増えたのである。
ニュース戦争の時代
85年以降、報道系は朝だけでなく、夜帯や夕方に飛び火する。
テレ朝が同年から、22時台月~金の帯で『ニュースステーション』を始めたのがきっかけだった。
86年からTBSも22~23時台に帯ニュースを置き、現在の『NEWS23』につながった。フジも同年から深夜に帯ニュースを置き、現在の「Live News α」となっている。テレ東「ワールドビジネスサテライト」のスタートも88年だ。
日テレは元々、『きょうの出来事』を開局の翌年から放送し、現在の『NEWS ZERO』となっている。これで全局が夜帯に帯ニュースを置くようになったのである。
ニュース戦争は夕方にも飛び火した。
80年代にまず6時台に各局が次々と1時間ニュースを置き、90年代以降次第に枠を広げて行った。今や3時台に始まり、3時間以上ニュースを続けるケースも珍しくない。
かくしてニュースは拡張の一途をたどった。
今や午後帯では、ジャンル別で最大勢力となっている。
変化するニュースの位置づけ
ニュース膨張の背景には視聴率があった。
85年スタートのテレ朝『ニュースステーション』は、“ニュースの商品化の成功例”と言われた。89年から故筑紫哲也氏がキャスターを務めた『NEWS23』は、23時台にもかかわらずP帯並みの広告出稿料だったという。ニュースがそれだけ媒体価値をもたらしていた証左である。
ただしニュースのバラエティ化も進んだ。
90年代に2時間枠が当たり前となった夕方ニュースでは、芸能やグルメ情報が増えた。フジ『スーパーニュース』では、2000年に芸能コーナーが常設された。
『報道ステーション』でも、近年は引退したアスリートを起用している。『NEWS ZERO』に至っては、曜日キャスターにアイドルを起用するなど、視聴者受けを意識した演出を採用している。
インターネット普及の影響も出て来た。
米国では2000年頃から、TVニュースの中で「詳細はネットで」という表現が目立つようになった。日本でもテレビ局がニュースサイトの充実を図っている。
さらにNHKは、「画面右上のQRコードで詳しいウェブ記事がご覧になれます」と紹介するようになっている。
このようにニュースは、メディア環境の変化で変化してきた。
そして朝7時台、昼12時台、夕方6時台など、食事をしながら、あるいは食事の支度をしながら見る番組として、根強い支持を集めてきた。
いわば“ながら視聴”用であり、自由な時間に“敢えて見る”番組としては、視聴率を後退させてきた。
さらにもう1点、問題を積み残している。
若年層がニュースをあまり見ていない点だ。
NHK『ニュース7』は、20年以上前から若者に見られないことが課題となっていた。『ニュースセンター9時』がかつて実施した視聴者層の拡大に成功しないまま時間が経ち、今や60歳以上が視聴者の6割ほどを占めるに至っている。そしてZ世代(25歳以下)は4%ほどしかいない。
人口構成を大きく逸脱しているが、このままでは今後の視聴者減を免れないだろう。
『報道ステーション』は比較的バランスが良い。
そして『NEWS ZERO』だと、Z世代14%、60歳以上22%と、実際の人口構成にかなり近づく。それでも全体でみると、若年層のテレビ離れと同様にTVニュース離れは深刻だ。ネットのニュースサイトや、SNSでニュースに出会うことで十分と考える若者が増え、TVニュースは成す術がないままとなっている。
他の番組ジャンルと同様に、ニュースも大変革期に直面している。
こうした状況をどう打破するか、テレビ報道の次のイノベーションに期待したい。
愛知県西尾市出身。1982年、東京大学文学部卒業後にNHK入局。番組制作現場にてドキュメンタリーの制作に従事した後、放送文化研究所、解説委員室、編成、Nスペ事務局を経て2014年より現職。デジタル化が進む中で、メディアがどう変貌するかを取材・分析。「次世代メディア研究所」主宰。著作には「放送十五講」(2011年/共著)、「メディアの将来を探る」(2014年/共著)。