月刊誌『ラジオ深夜便』にて、2022年4月号より連載している「渡辺俊雄の映画が教えてくれたこと」をステラnetにて特別掲載。「ラジオ深夜便」の創設に携わり、現在「ラジオ深夜便」の「真夜中の映画ばなし」に出演中の渡辺俊雄が、こよなく愛するラジオと映画を熱く語る。

高校は東京都立大学附属高校(現・桜修館) に進んだ。アナウンサーになるため「今度こそ放送部へ」と思ったが、中学3年間修業を積んだバレーボールへの愛着捨てがたく、つい体育館へ。バレーボール部の練習の最後、円陣を組んで発した掛け声は「アインス、ツバイ、ドライ!」。何だこれは、ドイツ語か。 格好いい! この掛け声に引かれて入部してしまったが、翌日、練習に参加して驚いた。

高校6人制のネットの高さは240センチ。中学時代の9人制より25センチも高いのだ。160センチそこそこしかない僕は必死にジャンプしても指の先がネットの先端に届くのが精いっぱいだった。それを見ていた先輩が「大丈夫だよ、守備だけでも頑張ってくれれば、貴重な戦力だからね」。その優しい言葉に励まされ、ボールを拾いまくり、正確なトスを上げる練習に集中した。

しかし新人戦に出場した秋ごろ、2学年上の兄が高校の野球部の練習がきつかったのか、腎臓病を患い長期入院した。このままバレーボールを続けて親に心配をかけられないと、僕も泣く泣く退部届を出した。

退部すると夕方に時間ができたので、映画愛が覚醒し〝名画座(注1)〞通いを始めた。新聞の映画欄を参考に銀座の並木座や池袋の文芸へ。後年には早稲田松竹、渋谷全線座にも通った。そこにはいかにも映画通らしき人々が集っていた。

ビデオがない時代、一度見逃した映画には二度とえないと覚悟していたので、体系的に過去の名作を鑑賞でき、入場料も安い名画座の存在はありがたかった (当時、封切映画の料金が 300〜400円に対して、多くの名画座は100〜200円程度だった )。

特に映画黄金時代の1950年代の名作群は、公開時まだ幼かったのでほとんど見ていなかった。小津安二郎、チャップリン、ヒッチコック、ジョン・フォード……まばゆいほどの名作に巡り合えたことに感謝したが、未熟な高校生の僕には世界最高の映画とされる小津監督の『東京物語(注2)』(1953年11月公開)さえ退屈に思えた。

名作はる人の成熟度の証しというのは本当だ。いちばん観たかったのは黒澤明監督の『七人の侍』(1954年4月公開 )だったが、207分という超大作だったためか、二本立て・三本立てが当たり前の名画座で再上映されることはなく、僕と同世代のほとんどの若者はアメリカでリメイクされた『荒野の七人 』(1961年5月日本公開 )を先に観ることになった。 映画は〝いつ作られたか〞も大事だが、〝いつ観られたか〞も大事な芸術なのである。

(注1)…主に旧作映画を上演する映画館。
(注2)…英国映画協会が10年に1度発表する「映画監督が選ぶベスト映画」部門で、2012年に『東京物語』が1位に輝いた。

(月刊誌『ラジオ深夜便』2022年12月号より)

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