補助線って何か、ご存知の方も少なくないだろう。
数学で図形の問題を解く際、出題された図にはないが、解くために便宜的に書き加える直線や円などの線のこと。
表面に出ていない課題を浮かび上がらせる役割を果たしてくれていた。
『大奥』に登場する3人の将軍は、まさに補助線上を生きていないだろうか。
江戸幕府の中枢が男女逆転したことで、権力の理不尽さとそこに身命を賭す者たちの愚かさや悲しさが浮き彫りになる。
その補助線を担っているのが三代将軍家光を演じる堀田真由、五代綱吉の仲里依紗、そして八代吉宗の冨永愛だった。
冨永愛の存在感
まず初回に吉宗として登場した冨永愛が圧倒的な存在感だった。
番組途中で脱落した視聴者の比率を示す流出率で証明してみよう。
初回「八代将軍吉宗・水野祐之進編」はずば抜けて低い。特に番組後半の平均は1%を下回っており、いずれも1%台だった2~6話との違いが際立つ。
3人の役者で比較してみよう。
本来は演ずる役が異なるので、安易に比較するのはフェアではない。ところが『大奥』では、3人に共通するシーンがあるため、視聴者に与えるインパクトなどが比べ易い。
黄金の鈴が鳴り響き、左右に居並ぶ御中﨟(おちゅうろう)を睥睨しながら将軍が進む“御成”の場面だ。
ファッションモデル仕込みのすっとした姿勢。
そしてきりっと睨む男前が登場すると、流出率は一挙に0.5%台へと急降下。「しびれた」「最高にカッコいい」などのつぶやきがタイムラインに並んだ。
この吉宗“御成”シーンは5分ほどあったが、平均流出率は0.6%台。他の二人の“御成”は1分ほどと短くても0.8%台だったのと比べ、断トツだったのである。
初回は後半もすごかった。
水野祐之進(中島裕翔)との夜伽のシーン、6話まで破られていない流出率0.517%が出た。そして祐之進を打ち首にしたと見せかけて大奥から解放し、幼なじみのお信(白石聖)と結ばれるように取り計らった。
大奥という制度の理不尽さを浮き彫りにしてくれた構成だった。
堀田真由が問いかけたもの
男女逆転大奥は、三代将軍家光から始まったという設定だ。
将軍の死を隠すため、春日局(斉藤由貴)は息子・稲葉正勝(眞島秀和)が亡くなったことにし、家光の隠し子だった知恵(堀田真由)を将軍の身代わりに仕立てた。全ては徳川の世を守り、悲惨だった戦国時代に逆戻りさせてはいけないという信念からだった。
ところが春日局の正義は、いくつかの悲劇を生んだ。
知恵は母を殺され、男として生きることを強いられ、屈折した思いを抱いて長ずる。やがて男将軍の人生を受け入れ、表面的には権力者を自覚するものの、それを支えた万里小路有功/お万(福士蒼汰)の悲劇を内包した。
無理やり還俗させられたために、僧としての理想をゆがめられ、俗人的な煩悩に悩まされる人生を歩む存在だ。
女家光は、有功を“身と心の乖離”で悩ませ続けた。
しかも最終的な解脱は、女家光の死によってなされる。幼くして男将軍という堀田真由が演じた補助線は、人の情という自然を鮮やかに浮かび上がらせたのである。
仲里依紗の衝撃
二人を継いだのが仲里依紗の五代将軍・綱吉。
女将軍の三代目でもあるためか、“御成”は衝撃的だった。凛々しさが全面に出た富永吉宗と異なり、好色がにじみ出る女性性が際立った。
実はその瞬間だけで比べると、2人の流出率には大差がない。視聴者としては、波乱の予感に満ちた登場だったのである。
その予想は的中する。
綱吉の“御成”は、もう一度出てくるが、男を物色しつつも「もう飽きた」と宣う。
さらに御用人・牧野の夫を寝取るは、その息子にも食指を伸ばす。同時に綱吉の父・桂昌院(竜雷太)は、柳沢吉保(倉科カナ)と出来ているという乱れ様だ。
いずれのシーンも、視聴者が釘付けにされてしまっていた。
ただし第6話「五代将軍綱吉・右衛門佐編」で変調する。
前半17分で愛娘の松姫が死んでしまう。桂昌院は次の子を作れと急かす。子を亡くした悲しみを癒やす間もなく、覚悟を新たにする綱吉。視聴者にも辛さ伝わるシーンと思いきや、直後に新しい男と激しい濡れ場を展開してみせる。
ただし、ここは正視に耐えないと感じた視聴者が少なくなかったようだ。流出率が跳ね上がってしまったが、NHKドラマの視聴者には刺激が強すぎたのかも知れない。
次に父・桂昌院がこだわる“器量”が、綱吉のトラウマと示す場面が続く。
ところが二人目が生まれないのは、その桂昌院が部屋子・玉栄だった頃の殺生が原因とされた。かくして生類憐みの令という狂った政策が始まるが、綱吉の子作りもどんどん脱線していく。
男二人を同時に相手にし、さらに男同士で「睦い合え」と命ずるに至る。
こうした爛れた状況の中、「辱め」「卑しい」などの意味が問われる。
毎夜毎夜、将軍が夜の営みを聞かれるのは「辱め」ではないのかと問う。男を喜ばせるためにありとあらゆる手を尽くす将軍は「卑しい」存在だろうと迫る。
綱吉という補助線は、体制のための子作りという理不尽を浮かび上がらせた。
一見妖艶なシーンだが、実は当事者たちの心が壊れていたことを視聴者に思い知らせた。
6話には右衛門佐(山本耕史)が登場する。
「種付けをするためだけ」ではなく、「真の男の頂き」に立つという野心を持った男だ。ところが好色と見えた綱吉の心の真実に触れ、二人の関係は変わり始めようとしている。
補助線が見せた課題を解くのは、実はこの右衛門佐かも知れない。
男女逆転という難問を、補助線に助けられつつ、我々視聴者も右衛門佐と一緒に解いてみたい。
愛知県西尾市出身。1982年、東京大学文学部卒業後にNHK入局。番組制作現場にてドキュメンタリーの制作に従事した後、放送文化研究所、解説委員室、編成、Nスペ事務局を経て2014年より現職。デジタル化が進む中で、メディアがどう変貌するかを取材・分析。「次世代メディア研究所」主宰。著作には「放送十五講」(2011年/共著)、「メディアの将来を探る」(2014年/共著)。