メディアで「LGBTQ」といった言葉がよく見られるようになりました。それぞれ、Lesbian(レズビアン:同性愛の女性)/Gay(ゲイ:同性愛の男性)/Bi-sexual(バイセクシュアル:両性愛)/Transgender(トランスジェンダー:出生時に割り当てられた性別から移行して生きる人)/QueerまたはQuestioning(クィア:異性愛や男女二元論に一致しない、させない人。クエスチョニング:自分のジェンダー・アイデンティティーや性的指向に迷ったり、探したりしている人)の頭文字をとったものです。性的マイノリティーの総称として使われがちですが、もともとは、社会的に弱い立場かつ少数だからこその連帯を示すための言葉です。

海外ドラマ〈ファースト・デイ わたしはハナ!〉は、トランスジェンダーで、中学に進級したばかりの女の子・ハナが主人公。舞台はオーストラリア。ハナはヨーロッパ系の白人ですが、中国系やインド系の同級生もいて、さまざまな民族・国にルーツを持つ人々が共存する風通しの良さがうかがえます。

おしゃべり、キックボード、誕生パーティー……ハナは新しい友達と楽しく過ごしています。その一方で、男女別のトイレではなく保健室そばのトイレを使うよう、校長から求められ、小学校時代の同級生によってトランスだと広められる不安を抱えてもいます。本人の同意を取らずに、他人が勝手に、誰かの性別や性的指向について話題にする行為はアウティングといって、特に性的マイノリティーの人々を傷つけ、死に追いやる危険もあります。

トランスジェンダーについて、「心と身体の性別が一致しない」という説明がよくされますが、注意が必要です。一般的には出生時に、外形上の特徴、主に性器の視認のみを根拠に「性別」は判断されます。これが「出生時に性別を割り当てる」ということ。

しかし、「男/女」に備わっていると信じられている生殖機能は外からは見えませんし、ほとんどの人が「生物学的に」検査されていません。成長していくと生殖能力がないとわかる人もいれば、声の低い女性も力の弱い男性もいます。

つまり、いろんな身体や生き方があるにもかかわらず、便宜上「男か女か」と割りふっているわけです。社会・文化的な「男/女らしさ」と同じように、身体にも「らしさ」の規範があります。出生時の性のみを「普通」「自然」とはせず、多様な性の可能性を考慮して、トランスについて「心と身体の性別が一致しない」ではなく、「出生時に(社会的に)割り当てられた性別から移行して……」と表現するのが望ましいと言われています。

トランスだと知られるのをハナがおびえるのは、彼女を「元○性」とし、その規範からズレているから「おかしい」「異常」とする価値観がまだまだ根深いからでしょう。一方、ハナは女の子なのに女子トイレを使えない状況こそおかしい、作中でそう言ってくれる友達の存在はとても心強いはず。マジョリティーにとって不都合のない仕組みや習慣に、マイノリティー側が一方的に合わせるのではなく、いろんな人にとってよりよいかたちに変えていける可能性こそ豊か。そう信じられる物語だと思います。

(NHK ウイークリーステラ 2021年7月9日号より)

1982年、高知県生まれ。ライター。ジェンダー、セクシュアリティ、フェミニズムの視点から小説、映画、TVドラマの評、論考を執筆。『キネマ旬報』『新潮』『現代思想』『ユリイカ』などに寄稿。近著に『「テレビは見ない」というけれど』(共著/青弓社)。