皆さん、こんにちは。NHK放送博物館・館長の川村です。
秋も深まり、今年も残すところわずかとなってまいりました。ところで、2022年は日本と中国の国交正常化や沖縄の本土復帰から50年の節目。そして、日本の鉄道が開業して150 年の節目にもあたり、これまで以上に鉄道への関心が高まっています。
1872(明治5)年10月14日に新橋・横浜間で開業した日本の鉄道は、これまで多くのNHK番組の題材としても取り上げられてきました。今回は、放送技術の歴史と鉄道の関係について、当館の「お宝」(展示)を交えてお話ししたいと思います。
■テレビの普及に貢献した「ラジオ列車」!?
今年の鉄道開業150年に続いて、来年2023年は日本のテレビ放送開始70年の節目となります。テレビ黎明期、鉄道は全国にテレビを普及させるために大きな役割を果たしました。それが上の写真の「全国巡回ラジオ列車」です。
「ラジオ列車」の名前の由来は、本放送開始を前にしたテレビジョンの「理解促進と普及」が目的だったからです。当館3階ヒストリーゾーンの「テレビの実験時代」コーナーには、この「ラジオ列車」に関する展示があります。
もう少し詳しくご紹介しましょう。
記録によると、このテレビの普及を目的とした「ラジオ列車」(ややこしいですね)は、当時の国鉄の全面協力のもと、有線式のテレビ送受信装置を搭載した客車2両で編成されており、機関車のけん引によって全国を巡回しました。
客車2両は当時の国鉄・大船工機部(のちの大船工場)でラジオ列車専用に改造されたもので、1950年4月の東京駅での公開をかわきりに、5月から8月にかけて全国15都市でテレビの受信公開を行いました。その当時の巡回スケジュールが「NHKラジオ年鑑1951年版」に掲載されています。
これを見ると防府、小樽といった県庁所在地以外の都市でも公開していたことがわかりますね。「ラジオ列車」は、このように全国主要都市の駅構内に列車を滞在させて、搭載されたテレビカメラで撮影した映像を有線接続によって車内の受像機で映し出すというデモンストレーションを行いました。その様子が写真に残されています。列車が駅構内の引き込み線に停車していて、その前には仮設のステージが組まれテレビカメラが設置されているのがわかります。
ステージ上の真四角なカメラの横には「テレビジョン仮スタジオ」と書かれた看板が見えます。
ちなみに、この列車が止まっている公開会場は現在の東京駅八重洲口のあたりです。今の東京駅からは想像できない風景ですよね。続いて、客車の中も見ていきましょう。
客車の照明器具がいかにも昭和レトロで懐かしい感じです。写真ではわかりにくいですが「テレビジョン受像機」という看板の真下に受像機が展示されています。
2両編成のうち、1号車にはスタジオ機能とカメラなどの制御機器が設置されており、片側に設けられた通路からスタジオや機器類を見学できました。また2号車には直径30cmのブラウン管式受像機が6台並べられ、有線接続されたテレビカメラで映した映像を車内で見ることができました。当館所蔵の日本放送協会発行の技術専門誌『放送技術』1950年7月号に、車内の様子がわかる写真記事が掲載されています。
自動販売機のようにも見えるこの大きな箱が受像機です。今のテレビとはだいぶイメージが違いますね。この「ラジオ列車」に関しては、前掲の『放送技術』に当時の技術職員による記録記事が連載されていて、テレビジョンを初めて見た各地の人たちの様子や実施にあたっての苦労がつづられています。
この「ラジオ列車」、期間中に全国でなんと! 140万人もの人たちが見学したとのこと。テレビの黎明期、鉄道は全国各地の人たちにテレビを知ってもらうために大活躍をしたのであります。
さて、次回は衛星放送と鉄道の噺をご紹介します。
なお、もーっと古い時代の放送と鉄道の関係については、NHK放送博物館のホームページ「館長だより」でご紹介しています。ぜひ、ご覧ください。
https://www.nhk.or.jp/museum/topics/kancho.html
(文・NHK放送博物館 館長 川村 誠)