鉄道や道路が発達し、汽車やトラックが陸上を走りまわる前は、“ヒトは土の道、モノは水の道”といわれていました。物流は水上(海や川)輸送が多かったのです。船のほうが多種多量のモノをはこべたからです。

そうなると当然、
「自分の労働をすくなくして儲けを多くしよう」
と考えるワルいヤツが出てきます。“賊”は、水上にも出てきました。海賊・川賊・湖賊などの水上の賊です。とくに日本の物流の動脈といっていい瀬戸内海には、本州側から四国・九州側にまで、たくさんの海賊の基地ができました。

そしてモノを輸送する船の航行の情報をキャッチすると、すぐ出撃します。先を争って船をおそうのです。ルールもなにもありません。はやい者勝ちです。始末におえませんでした。

こういう状況をみていて、
・海賊をこらしめることは国家や国民のためになる。
・あわせて一族の名をたかめ、関係者の信頼を得ることができる。

と考えたのが清盛の祖父・正盛や父・忠盛でした。“番犬から人間へ”の悲願をもつ一族にすれば、
「それがいちばんはやい番犬からの脱出法だ」
と思えたのです。貴族社会で必要なのは、“地盤・看板・カバン”の3バンです。伝統のある基盤・家柄、家名・財力(カネ)です。

正盛や忠盛はここに目をつけました。たしかに貴族には地盤と看板はありますが、実はカバンのなかはほとんどカラで貧しいのです。そして武力はありません。ですから口ばかり達者になり、自分より身分のひくい者をバカにするのです。

イラスト/太田冬美

正盛と忠盛は、
「武士の特性である武力を行使して海賊を退治しよう」
と思いたちました。しかしそのためには、
・これを国家的事業に位置づける。
・実施者は平氏であることを明確にする。

ということが大切です。忠盛はこの政治工作に成功します。平氏軍ではありません。朝廷の命をうけた官軍(政府軍)として出撃していくのです。武士が組織として国家公務員化された、最初のしごとでした。

(NHKウイークリーステラ 2012年2月10日号より)

1927(昭和2)年、東京生まれ。東京都庁に勤め、広報室長、企画調整局長、政策室長などを歴任。退職後、作家活動に入り、歴史小説家としてあらゆる時代・人物をテーマに作品を発表する。