いよいよ中盤の佳境に入った「鎌倉殿の13人」

三谷幸喜が書き下ろす大河ドラマは今回が3作目。1作目「新選組!」('04年)も2作目「真田丸」('16年)も、従来の固定化されたイメージを刷新するユニークな描き方で、しかもコメディ要素も加味され、若年層も楽しめる時代劇になっていた。

「鎌倉殿の13人」も前半は、ユニークなセリフや人物像で魅了した。
例えば「首チョンパ」など、現代語のような生き生きしたセリフが思わぬタイミングで飛び出した。主人公の義時(小栗旬)も、父・時政(坂東彌十郎)、兄・宗時(片岡愛之助)、姉・政子(小池栄子)などに振り回されるちょっと弱気な性格で描かれた。
視聴者が「こんな人いるいる」と、自分の身の回りに投影して見られるように作られていたのである。

ところが物語が進むにつれ、血なまぐさい鎌倉時代の本領が発揮されるようになる。
登場人物が次々と殺されたり、死んだりするようになったのである。例えば善児(梶原善)は、八重(新垣結衣)の子・千鶴丸を溺死させた。「坂東武者の世」を志した宗時も暗殺し、さらに主だった伊東すけちか(浅野和之)と息子・すけきよ(竹財輝之助)も殺害する。
これらの非道な行為を、表情一つ変えず淡々と完遂するため、ネット上では「アサシン(暗殺者)」の異名をとるようになった。


“死”オンパレード

そう、「鎌倉殿の13人」は軽妙な語り口で始まりながら、実は“死”を「これでもかこれでもか」と見せる物語でもあったのである。

その凄惨な物語は、第20~22回に重要な登場人物が次々に死ぬという形で、中盤のクライマックスを迎えた。
義経(菅田将暉・第20回)、八重(新垣結衣・第21回)、後白河法皇(西田敏行・第22回)の死である。

第20回「帰ってきた義経」は、序盤から不穏だった。
フィアンセの義高(市川染五郎)を亡くした大姫(南沙良)は、屈託なく遊んでいた時にせみの抜け殻を見せられて突然落ち込む。
その頃、平泉では藤原ひでひら(田中泯)が亡くなり、状況が大きく動き始める。頼朝(大泉洋)は、平泉に逃げ込んだ義経を殺すと決めた。

鎌倉につかまった静御前(石橋静河)。
身元がバレないよう、義時に下手に踊るように指示されたが、途中で本気を出して踊ってしまう。政子が「女子(おなご)の覚悟」と語った舞である。
しかし4か月後に生まれた男子は善児が殺害、静御前も失踪し行方不明になってしまった。

義時の思惑通り、この話で義経は鎌倉殿に激怒する。
返す刀で義時は、義経の首をとり鎌倉殿に送るようやすひら(山本浩司)を仕向ける。

その頃、義経は妻の里(三浦透子)を刺してしまう。
京で義経と静御前を襲わせたことを白状したからだ。

そして第20回のクライマックスは義経の最期。
泰衡の軍に取り囲まれた館に呼ばれた義時との最後の会話シーンだ。兄との関係と鎌倉攻めの作戦を語る義経。最後はすがすがしい笑顔が印象的なシーンだった。

こうした死のシーンは、人々を見入らせた。
スイッチメディアが調べる注視率(画面に目を向けている視聴者の比率)だと、多くが60%前後になっている。
“死に様”にそこまでの生き方や感情が重なり、見る人を釘付けにしていたことがわかる。


“死に様”で魅了

第21回「仏の眼差し」では、八重の死が描かれた。

八重は親を亡くした孤児たちの世話に奔走していた。
しかし母を独り占めできずにスネる息子・金剛。「あなたが一番大事」と抱きしめる八重。

別の日、八重は河原に子どもたちを連れて行った。
三浦義村(山本耕史)も娘を遊ばせていた。ところが世話をして来た鶴丸が溺れかける。亡くなった我が子千鶴丸とダブって見えた八重は川に飛び込み助けるが、鶴丸を義村に託した後に流されてしまった。

知らせを受け慌てふためく政子たち。
その頃、夫の義時は伊豆で運慶(相島一之)が作った仏の顔を見て、八重を思い出していた。

第21回は、血なまぐさい物語に対するしょくざいエピソードだ。
孤児たちの面倒をみる八重。千鶴丸を助けられなかった代わりに鶴丸を助けて絶命してしまった。権力闘争の犠牲者たちを救う存在だが、まさに新垣結衣の表情に重なる仏が一連の状況を見守っていたのである。

やはり重要なシーンは、50%前後と高い注視率になった。
死そのものを描かないものの、視聴者には三谷幸喜の意図が届いていたようだ。

ところが第22回「義時の生きる道」は、全く別の描き方だった。
後白河法皇の臨終シーンだが、西田敏行の表情アップが上下逆さまの映像で出てくる。これも高い注視率となるが、「乱世をかき乱すだけかき乱し、日本一の大天狗と言われた後白河法皇が死んだ」という長澤まさみのナレーションも祇園精舎の鐘のように響き渡る。


流出率から見えるもの

各シーンに対する視聴者の反応は、流出率からもうかがい知れる。
注視率は画面に注目するというプラスの反応を測定するものだが、インテージが測定する流出率は、その場面で見るのをやめた人の比率を測定している。
つまり「つまらない」「飽きた」などのマイナスの反応を知ることができる。

これによると、第20回では義経が里を殺すシーンが流出率最低だった。
“戦神”の義経は、「サイコパス」的狂気を感じさせてきたが、そんな彼が嫉妬に狂う妻の狂気で頼朝と決定的にすれ違った。
それを知った瞬間、義経は本当に一線を超えてしまった。救いのない悲しさに満ちたシーンに、視聴者がフリーズしていたことがわかる。

第21回での八重の死では、流出率はひときわ低かった。
知らせを受けた政子たちの慌てふためいたシーンだったが、新垣結衣を失いたくないという視聴者の周章ろうばいぶりがデータに重なったようだ。
世の理不尽は直截に描かなくとも、間接的表現がより人の心を打つことがあるとわからせてくれる回と言えよう。


三谷マジックにハマった人々

以上の中盤クライマックスで、特定の人々は物語にハマっていた。
スイッチメディアは男女年層別の視聴率以外に、特定層の視聴率も測定できる。それによると、まず個人視聴率は初回が一番高く、じわじわ下がっていたが、20回を経ても7割前後を保ったのは他の大河ドラマと比べても健闘していると言えよう。

次に個人全体を分母とした場合の「歴史好き」層。
三谷大河は「コメディ大河」と酷評する人もいるが、歴史好きを標ぼうする人々の視聴率をみると決して右肩下がりではない。このような歴史の楽しみ方もあると言えそうだ。

注目すべきは若年層の動向。
T&1層(13~34)歳でみると、ほぼ横ばいで健闘していることがわかる。しかもT&1層を分母に、特定層の比率をトレースすると、右肩上がり気味で第20~22回がピークとなっている層もある。
「ドラマ好き」「社会問題に関心あり」「何事もベストを尽くす」といった層である。若年層のエンタメ好きも振り向かせ、しかも真面目で前向きな層にリーチしていたことがわかる。

典型的な大河でなく新手の演出や意外な切り口が、新たな視聴者層を一定程度惹きつけるということだろう。
時代が移り、視聴者が変化していく中、大河ドラマにもやれることがいろいろあると示唆するようなデータだ。
制作陣のイノベーション力に期待したい。

愛知県西尾市出身。1982年、東京大学文学部卒業後にNHK入局。番組制作現場にてドキュメンタリーの制作に従事した後、放送文化研究所、解説委員室、編成、Nスペ事務局を経て2014年より現職。デジタル化が進む中で、メディアがどう変貌するかを取材・分析。「次世代メディア研究所」主宰。著作には「放送十五講」(2011年/共著)、「メディアの将来を探る」(2014年/共著)。