
2歳3か月からバイオリンを始め、12歳でプロデビューしたバイオリニストの千住真理子さん(63歳)。天才少女といわれながらも、20代ではバイオリンを演奏できない挫折の日々も経験しました。つらい時期を経たからこそ今があるという千住さんに、これまでのバイオリン人生と、母が残してくれた大切な言葉、そしてこれからの思いを伺いました。
聞き手 森田美由紀この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2025年5月号(4/18発売)より抜粋して紹介しています。
バイオリンと勉強の両立に悩んだ10代
──12歳でデビューされた千住さん。もう50周年、やっと50周年。どちらですか?
千住 私としてはやっと50周年です。いろいろなことがあったので、何度も人生を生きてきたような気がします。例えば10代の自分なんて別人のように感じます。
──1975(昭和50)年1月、千住さんが12歳のとき、第1回「若い芽のコンサート」でNHK交響楽団と共演されました。
千住 はっきり覚えています。私が小さかったせいもあって、ステージがとても広く感じました。ステージの中央にたどりつくまでずいぶん時間がかかって、両親や周りの大人たちから、「そんなに時間がかかったら、みんなに迷惑をかけるよ」と言われて、何回も大股で速く歩く練習をしました。
──よく共演されるピアノの山洞智さんが、気付くと隣に真理子さんがいないとおっしゃるくらいの早足。その理由はデビューコンサートにあったのですね。ほかに印象に残っていることはありますか。
千住 ライトがとても強かったです。スポットライトがあまりに強いので、目を閉じて演奏しました。楽譜は暗譜していたので問題なく、落ち着いて弾けました。そのせいか今もよく目を閉じて弾いています。
人生やめるか、バイオリンやめるか
──華々しく脚光を浴びた10代を経て、20歳で非常に大きな壁にぶつかりました。
千住 精神的にも肉体的にも限界でした。10代はまだ体が出来上がっていないので、1日14時間も弾くと筋肉がボロボロになるんです。毎晩湿布を貼って母にマッサージをしてもらっても、体中が痛くて眠れないほどでした。そんな日々が何年も続くと、「一生こんな毎日が続くのだろうか」と考えて、20歳で、「人生をやめるか、バイオリンをやめるか」とまで思い詰めるようになってしまいました。
母に相談したら、「あなたを苦しめるためにバイオリンをやらせたんじゃない」と、一緒に泣いてくれたんです。そして、家族会議をしてバイオリンをやめることにしました。
──実際にはどんな状態だったのでしょうか。
千住 ステージに上がるとものすごいプレッシャーで、どんな音を出しても「私が出したい音とは違う」と感じてしまうんです。ローティーンのころは何でも気楽に弾けちゃう女の子だったのですが、だんだん思い悩む演奏になってしまって。新聞などに「どうした千住真理子」という批評が出ると、それを読んでますます弾けなくなる。悪循環です。
友達には「ポキンと折れたね」と言われました。一生弾かない決心で、「これ、もう売ってきていいから」とバイオリンを母に預けました。そのときは再び弾くことになるとは夢にも思わなかったです。
※この記事は2025年1月14日放送「50年、その先をみつめて」を再構成したものです。
バイオリン復活のきっかけ、最愛の母との別れなど、千住さんのお話の続きは月刊誌『ラジオ深夜便』5月号をご覧ください。
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