「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の放送が始まった。主人公・蔦屋重三郎を演じるのは、大河ドラマ初出演にして初主演となる、横浜流星だ。いま何を思い、大役に向き合っているのか。撮影現場の様子も含め、「江戸を生きる」ことへの決意を語ってもらった。
蔦重のいちばんの魅力は、自分ではなく、誰かのために動けるところ
——大河ドラマ主演のオファーを、どのように受け止められましたか?
もちろん光栄でしたが、「なぜ、自分を選んでいただいたのだろう?」という驚きの方が大きかったです。多くの方は、NHKの作品に携わったうえで大河ドラマに抜擢されてきたと思うのですが、自分はNHK作品に携わったことがないのに、初出演で主演。今でも疑問に思っていますが、選んでいただいたからには、責任と覚悟を持って、この作品に取り組みたいと思っています。
クランクインから約半年、作品と向き合って感じているのは、いい意味で「大河ドラマらしくない」ということです。新しい大河ドラマになっているので、これまでの大河ドラマのファンの方々はもちろん、そうじゃない方々にも楽しんでいただけたらうれしいですし、それを伝えるのが自分の使命だと感じています。
——横浜さんが感じる新しさとは?
大河ドラマならではのスケール感はありますが、江戸時代中期を舞台にした物語で、派手な戦がない代わりに「商いの戦」になっています。ビジネス・ストーリーであり、喜劇的な部分もあり、展開がスピーディーで、エンターテインメントとして楽しめる作品になっています。森下(佳子)先生が作り上げた江戸に生きる人々はとても陽気で……。
大河ドラマには、若者たちが構えてしまうような“お堅いイメージ”があったんですけど、「べらぼう」には一切ありません。だから、これまで大河ドラマを見ていなかった方や、自分と同世代の方々にも見ていただきたいと思っていて、そのためにはどうお届けすればいいのか、常に考えています。
——主人公の蔦屋重三郎は、圧倒的な知名度を持っているわけではありませんが、横浜さんから見て「ここがすごい」というところはありますか?
確かに誰もがよく知っている存在ではありませんが、蔦重は江戸の文化を豊かにする多くの功績を残していて、「江戸のメディア王」「出版王」とも言われています。今で言うなら出版社の社長であり、プロデュースも営業も全て自分で担う、多才な人物でした。
ひとりで何役もこなせたのは、彼がもともと持っている資質にあると思います。底抜けに明るくて、情に厚く、責任感が強く、挑戦して失敗してもへこたれないメンタルがあって……。それだけでなく、泥臭さやダサさもあって、みんなが「こう生きたい」と思えるような男です。
その中でも僕が思う彼のいちばんの魅力は、「自分ではなく、誰かのために動ける」ところだと思います。吉原の町やそこで働く女性たち、絵師たち、そして世の中のために……。
とにかく、行動力が凄まじい。第1回の最後に、老中の田沼意次(渡辺謙)と会うシーンがありましたが、今で言うと一市民が総理大臣に会いに行って自分の意見を言うようなもの。
毎回毎回、彼の行動力には驚かされますし、その理由を深く掘り下げたときに、やはり「誰かのために」ということがあって、人間としてすごくリスペクトしています。自分もそういう人間でありたいと思える人物なので、見てくださる方々も感情移入しやすいと思います。
蔦重の人生はあまりにも波乱万丈すぎて、演じていて心も体も疲れます(笑)
——蔦重を演じるにあたってどんな準備をされましたか?
蔦重が題材になった作品に触れたり、実際に彼が生まれ育った場所に行って空気を感じたり、史料を読んだり、専門家の先生に会って話を聞いたり……。それから、別のドラマで共演した阿部寛さんが映画『HOKUSAI』で蔦重を演じられていたので、いろいろとお話を聞きました。
それらを大事に取り入れながら、森下先生が作られた脚本の世界で蔦重として生きることがいちばんなので、自分にしかできない蔦重を生きられたらと思っています。
——阿部寛さんからはどんなアドバイスを?
阿部さんからは「流星らしく!」という一言でした(笑)。流星らしく、世に広めてくれ、と。その言葉に、阿部さんの思いが込められていると思うので、ちゃんと汲み取りたいと思っています。
現在、「べらぼう」は蔦重の青年期を収録しています。阿部さんが生きた蔦重は少し後の時期なので、そこは森下先生が台本にどう作られるかまだわかりませんが、台本を読んだうえで落とし込めたらいいなとは思っています。
——映像作品での時代劇は初めてだと思いますが、表現で苦労する点は?
所作です。例えば、文の開き方であったり、風呂敷の包み方であったり、本当に難しい。
もうひとつ大変なのが、江戸ことば。普段使う言葉ではないので、自分になじませて、ちゃんと「蔦重として」言えるよう大事にしています。
いろいろな監修の方々の協力を得てやっていますが、僕は江戸時代を生きていないし、この目で見ていないので、それが正解なのかどうかはわかりません。だから、形だけに囚われることなく、蔦重らしく自由に生きていけたらな、と思っています。
蔦重の人生はあまりにも波乱万丈すぎて、演じていて心も体も疲れます(笑)。やっぱり体が資本ですし、最後までやりきる体力を維持しないと、と感じています。
蔦重が負けずに立ち向かっていく姿に、自分も背中を押されている
——蔦重が生きた江戸時代については、どういう印象を持っていますか?
想像でしかありませんが、森下先生が作られた世界に生きる蔦重としてなら、いい時代だったと思います。不自由なところはあるけれど、みんながそれぞれ“自分”というものを持ち、人との交流を大切にしていました。現代のように情報に流されてしまうこともとなく、強い意志を持って生きていたと思うんです。戦もないですし。
現代とそう離れていない時代でもあるので、この作品を見てくださる方々にも、近く感じられるようなところもあると思います。
——可能なら、江戸時代も生きてみたい?
そうですね。この時代に生きていたら、どんなふうに過ごしているのかな、と思うこともあって、単純に江戸で生きてみたいと思いました。理不尽なことがある一方で、人との濃い交流があるので。今はスマホひとつで何でもできてしまうけど、直接会って話をすることを大事にしたいと、常々思っています。
——江戸時代の格差についてはどういうふうに考えていますか?
格差はどの時代もなくならないし、どうしたらなくなるのか、自分でもわかりません。ただ、目の前にある格差に「そうだよな」と諦めるのではなく、その中でもがいて、動くことが大事なのかなと思ってます。
自分も年を重ねてきて、自分の心の中で思うことはたくさんありますが、それを飲み込むんじゃなくて、ちゃんと発信していく。そうすることで何かが変わるわけではないかもしれないけど、そんなのやってみなきゃわからないし、そういう部分は自分も大事にしています。だから、蔦重が負けずに立ち向かっていく姿には、いつも背中を押されています。
——いろんな作家や絵師たちも登場してきますが、江戸の文化についての印象は?
人々がエンターテインメントを欲している点が、コロナ禍のころと似ているな、と思いました。それを感じたからこそ、蔦重は動けたのかな、と。世の中に「楽しい」を送り出したかったのだと思っています。
——「江戸のメディア王」のように、横浜さんご自身が「○○王」という称号を得られるとしたら、どんな称号がうれしいですか?
「王」になったらそれで終わってしまうので、自分は王にはならず、全てにおいていつまでも高みを目指していたいと思っています。
1年半作品に向き合うことが、自分にとって大きな挑戦であり贅沢な時間
——蔦重を演じるにあたって監督からどんな指示がありましたか。
監督からは、基本「明るく!」と言われています。そこは蔦重の良さでもあるので大事にしています。ただ、自分は朝が弱くて……(苦笑)。テンションを上げたつもりでも、「ちょっと暗いな~」と。そこが今いちばんの課題で、なんとか朝に強くなって、明るくできればいいなと思っています。撮影をしているうちに、どんどん上がっていくんですけどね(笑)。
——田沼意次役の渡辺謙さんから学ばれたことはありますか?
謙さんとは、この作品の前に『国宝』という映画で共演させていただいて、謙さんが僕の父親役だったんです。そのときに一緒に食事に行き、いろいろとお話させてもらいました。当時、僕は27歳だったので、「ちょうど流星と同じ年に、俺も『独眼竜政宗』をやったよ」と。
謙さんからは「とにかく、まっすぐ全力でやればいい」という力強い言葉をいただいたので、その言葉を信じて、今、蔦重を生きています。撮影現場でも、謙さんの佇まいやお芝居を見て学ぶことが多いので、共演シーンそのものは多くはないのですが、その時間を大切にしています。
——蔦重役に関して、挑戦と捉えていることはありますか?
1年間の放送、撮影自体は約1年半にわたるので、それだけ長い期間を作品と蔦重に向き合うことが大きな挑戦だと思っています。
10年ほど前に戦隊ものに出演させていただいて、その作品も1年半くらいやっていたんです。そこで自分は芝居の楽しさを知り、この世界で生きていこう、というふうに決めたので、こうして10年経った今、また同じような経験ができることに何か運命を感じています。それは役者として幸せなことなので、その思いを大事にしながら、皆さんに愛される蔦重を作っていきたいと思っています。