上田藍さん(41歳)は、女子トライアスロンの第一人者として、北京・ロンドン・リオデジャネイロのオリンピックに連続出場。今も過酷なレースに挑み続ける上田さんが、試練を強さに変えてきた日々を語ります。
聞き手/工藤三郎この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年12月号(11/18発売)より抜粋して紹介しています。
けがからのW字復帰
――東京五輪を目指していた2019年にけがをされた。
上田 3月のアブダビ(アラブ首長国連邦)の世界大会のバイクで落車して、肺気胸と脾臓の裂傷、外傷性のくも膜下出血という大けがをして。肺気胸の手術では、親指ほどの太さのチューブを体外から挿入したんです。その傷口の影響で体の可動域が狭くなってしまいましたが、すぐにリハビリを行い、6月のワールドカップで優勝しました。
ところが、狭まった可動域を補うために足裏に負荷がかかり、7月のレースで今度は足底腱膜を断裂してしまいます。それでも最速で治し、10月のワールドカップで優勝したんです。このように、2019年はV字復帰ならぬW字復帰の年になりました。
――本当にW字ですね。
上田 ところが、2020年は新型コロナの影響で東京五輪の最終選考レースが中止になり、五輪も延期になりました。私はレースに出場することでパフォーマンスを高めるタイプなので、レースが少ない中で仕上げていくのは非常に難しくて。「五輪に出場するんだ」という強い思いで戦いましたが、結局選考基準を満たせず、悔しい結果になりましたね。
――東京五輪出場を逃したあと、パリ五輪を目指さないことも決められたそうですね。
上田 私はバイクとランが得意な“後半追い上げ型*”ですが、東京五輪では“スイム先行型”で逃げきる選手が増えていたんです。トライアスロンは、同じタイプの選手で協力し合ってレースを作り上げる面もありますので、今後は勝算が低くなるかもしれません。得意種目を生かせるアイアンマンレースの方が世界で戦えると判断して、チャレンジすることにしました。
* レースはスイム→バイク→ランの順で行う。
うえだ・あい
1983(昭和58)年、京都市生まれ。中学では競泳、高校で陸上競技を行い、高校3年でトライアスロンに初挑戦。以降、日本トライアスロン選手権を7度制覇し、世界でも活躍。現在は舞台をアイアンマンレースに移して活躍中。
※この記事は2024年8月21日放送「笑顔のチャレンジャー」を再構成したものです。
過酷なレースに挑み続ける上田藍さん。トライアスロンとの出会い、試練を乗り越えるときの心の持ち方についても話しています。お話の続きは月刊誌『ラジオ深夜便』12月号をご覧ください。
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