今年3月、55年間レギュラーを務めた「笑点」(日本テレビ系列で、1966年から続く、お笑い演芸バラエティー)を卒業した落語家のはやしおうさん(86歳)。

高校卒業後、漫画家の清水こんさん(1912〜'74年。戦後『週刊朝日』で「かっぱ天国」を連載、かっぱのキャラクターがCMなどでも使用される代表作に)に弟子入りし、1960(昭和35)年に三代目桂三木助に入門。八代目林家正蔵門下に移ってからは、林家ぞうとして長年活躍し、2007(平成19)年に木久扇に改名。

木久扇さんが、これまでの思い出やこれからについて語ります。

聞き手/大倉順憲この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年9月号(8/18発売)より抜粋して紹介しています。


「笑点」は毎週が試験のようだった

――「笑点」のレギュラー、長い間お疲れさまでした。私も小さいころから日曜の夕方を楽しみに拝見していました。

木久扇 ありがとうございます。仕事で空港を利用すると、係の方に「おばあちゃんと見てました」なんてよく言われるんですよ。そしてとっても扱いがよくなってね、得するんです(笑)。

レギュラーを卒業した今は、そんくうの額に巻かれた輪っかがバカンと取れたみたいな、楽な気持ちですね。

――たがが外れたような感じですか。 

木久扇 そうですね。いつもおもしろい答えを言うのは大変なんですよ。私は最長老ですから、支えてきた責任感というか「おもしろくなくちゃ」っていうのがいつもありましてね。歌を入れたり、声色を変えたりと工夫して、一つの形を作っていったんです。

“うまい答え”一辺倒じゃなくて、「いやんばか~ん」としなを作ったり、「杉作、日本の夜明けは近い」なんて時代劇の言葉を使ったりと変化球を投げて。その意外性が当たったんでしょうね。

――最後のご出演で、何かほろりとくるコメントがあるのかなと思ったら「また来週~」。あれはよかったですね(笑)。最後まであのキャラクターを演じ続けた。卒業は自分で決断されたんですか?

木久扇 ある日ね、うちのおかみさんが私のおおを見てて「お父さん、もういいんじゃないの」って言ったんです。自分でも年齢的にどうかな、と考えるようになりました。日本で80歳すぎてテレビのレギュラー番組を持っている人って少ないんですよ。

 お礼状はすぐ書く、履物はそろえる

――愛されるキャラになるために、お弟子さんに伝授していることはありますか。

木久扇 いくつかありますね。お礼状はすぐに出すこと、とかね。

例えば福岡での仕事をいただいて、からめんたいか何かをお土産でもらうでしょ。そしたら帰りの飛行機で、お礼状書いちゃうんです。「大好物をいただきまして、お茶漬けが楽しみです。また呼んでいただけたらうれしいです」。いつも財布に切手を入れてますから、それを貼ってすぐ出します。やっぱりお礼は早さだと思います。電話もいいけど、書面で残ると気持ちが伝わるんですよね。

それから履物が乱れてたらそろえるんだよ、と言っています。ちょっとした動作ですが、生活の無駄なところがなくなります。

最近は弟子も住み込みじゃなくて通いが多いですね。弟子を住まわせると家が狭くなるし、お金がかかるしね。でも通いばかりだと、寄席が学校みたいになっちゃってね。昔も通いの外弟子はいました。朝早くから師匠の家に行き、掃除をしたものでしたが、今はそういうのもなくなりました。そうなると、細かい教えや子弟の絆はなくなっていきますよね。

――これからの落語界について、どうお考えですか。

木久扇 落語は笑わせるまで15分、20分とかかりますから、これからの人がそれを聞いてくれるかと考えると、なかなか難しい気もします。うちのお弟子さんでも食事のときうつむいてるからどうしたのかと思ったら、スマホ見ながらごはんを食べてる。すごい勢いで時代が変わっているのに、着物着て正座して長い話をすることが商売になるのかな、と思うこともありますね。

※この記事は2024年5月16日放送「人生長〜く、笑って、愛されて。」を再構成したものです。


落語家・林家木久扇さんインタビューの続きは月刊誌『ラジオ深夜便』9月号をご覧ください。これまでの思い出や、これからの落語などについて語っています。

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