大河ドラマ「平清盛」では、ついに平忠盛が亡くなりました。惜しむひとが多いでしょう。ぼくもそのひとりです。忠盛の生涯は“忍”の一字につきます。でもなにに対して忍んだのでしょう。ひとことでいえば“不条理”としかいいようのない、この世のしくみ(制度)に対してです。
とくに身分制度はこの世に生まれたときから人間を支配し、理屈をこえて人間をくぎづけにしました。忠盛も“貴族の番犬”に位置づけられて、
「なぜなのだ?」
となんども悲痛な叫びをあげたにちがいありません。
しかし、忠盛はクールでした。
「武士の地位の向上」
は、父正盛以来の悲願です。そしてその悲願は忠盛たち伊勢平氏の悲願であり、全国に散在する平氏の悲願であり、また源氏をも含む“武士の悲願”でもありました。
この悲願達成のために、忠盛のとった態度は「一歩後退二歩前進」です。あるいは「積小為大(小を積んで大となす)」です。さらにいえば後年の徳川家康の有名な人生観、「人の一生は重き荷を負いて遠き道を行くがごとし。必ず急ぐべからず」に通ずるものがあります。必ず“急ぐべからず”なのです。
忠盛は現実を直視します。こわすべき壁は3つあります。モノの壁・しくみの壁・心の壁です。いちばんやっかいなのは“心の壁”で、先入観や固定観念です。身分差別はそういう観念の固まりといえます。
忠盛はこの心の壁をこわすために、
・周囲に理解者を得る
・そのためには、自分が行動でしめし、協力者を得る
という、非常に時間のかかる、また忍耐力を必要とするむずかしいしごとに挑戦しました。
そして、あるていど成功しました。これは跡継ぎの清盛によって完成させよう、という忠盛なりの悲願なのです。つまり忠盛は、
「自分一代でこの事業(悲願の達成)を完成させよう」
とは、はじめから考えていないのです。
父正盛の志をつぎ、子の清盛によって完成させるべき事業の、“ブリッジ(橋)”の役割に徹したのです。
この姿勢は現代の多くの改革にも役立つでしょう。“猪突”や“ワメキ”だけでは世の中はかわりません。父の教訓をどう生かすか、それが清盛のこんごの課題です。
(NHKウイークリーステラ 2012年4月27日号より)
1927(昭和2)年、東京生まれ。東京都庁に勤め、広報室長、企画調整局長、政策室長などを歴任。退職後、作家活動に入り、歴史小説家としてあらゆる時代・人物をテーマに作品を発表する。