谷村新司さんは1948(昭和23)年、大阪府生まれ。堀内孝雄さん、矢沢透さんとバンド「アリス」を結成して1972年にデビュー。以降、『チャンピオン』をはじめ数々のヒット曲を飛ばします。アリスの活動休止後は、ソロのアーティストとしても多くの人を魅了し続けました。2023(令和5)年の新春インタビューをご紹介します。
聞き手/徳田章
この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年2月号(1/18発売)より抜粋して紹介しています。
*谷村新司さんは2023年10月8日、74歳でお亡くなりになりました。謹んでお悔やみ申し上げます。

 


――1978年12月にリリースした『チャンピオン』がチャート1位になりました。谷村さんとしては、頂上に登ったようなお気持ちだったんですか?

谷村 いや、あんまりそういうのはなかったです。1位になったことは素直にうれしいな、とは思いましたけど、それに振り回されないようにっていう思いの方が強かったですね。

――結構、冷静に自分の足元を見ることができていたと。

谷村 そうですね、すごく冷静に「今、はやっているんだな」と思っていました。で、流行が終わったら次は廃れていくので、そういうことに左右されずに、自分たちが何をしたいのかをちゃんと見据えてやっていこう、とずっと考えていました。

周りは「次も『チャンピオン』みたいな曲を」って期待するんですけど、反対にあえて違う曲を作って新たな魅力を出していくような、そんなチャレンジを絶えずしていきたいと思っていました。

安定しないことがエネルギーの源

――ソロとしての代表曲といえば『昴―すばる―』ですね。この曲にはどんな思いを込めたのでしょうか?

谷村 伝えたかったのは「みんな、いろんな夢を持って生きていくんだけど、年齢とともにそれを諦めざるを得ないときもある。そんなときは、その夢を僕に預けてください。それを背負って行けるとこまで行ってみます」っていうことです。それが、「我は行く」という歌詞の本意なんですね。

――『陽はまた昇る』や『群青』など、谷村さんはスケールの大きな歌をたくさん作る方だな、と思っていました。

谷村 それが僕の方向性の一つでもあります。でもみんながそう思い込んだところで、今度は『忘れていいの─愛の幕切れ─』という別の方向性の女歌を作ったりしました。

――方向性は一つに決めちゃった方が楽かなと思うんですけど。

谷村 いやあ、僕は耐えられないですね、多分飽きますよ。言葉はよくないんですけど、アーティストは〝ファンをどれだけ感動的に裏切り続けられるか″が大事だと思うんです。ただ、感動がなければ単なる裏切りになってしまうので、そうならないように万全を期して準備していますね。
※この記事は2023年1月1・2日放送「芸の道 輝きつづけて~新春スペシャル」を再構成したものです。

「我は行く、夢のその先へ」谷村新司さんのお話の続きは月刊誌『ラジオ深夜便』2月号をご覧ください。

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