松重豊さん(60歳)は、福岡県の高校から東京の大学に進学、演劇学を学びました。卒業後、演出家の故・蜷川幸雄さんが主宰するスタジオに所属、俳優の道を歩み始めます。以後、舞台や映画、テレビドラマなど数多くの作品に出演、その確かな演技には定評があります。松重さんにとって役者業とはどういうものなのでしょうか。
聞き手/桜井洋子この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2023年12月号(11/17発売)より抜粋して紹介しています。
――ご著書の『空洞のなかみ』では、役者のお仕事は「容れもんの中に入れたり出したり」するようなものだという記述もあります。
松重 役者というのは自分が何かを「したい」とか「こうありたい」とか思うんじゃなくて、ただ器となって、その中に役がたまたま出たり入ったりするのを繰り返しているのだと思うんです。よくインタビューで「どんな役がやりたいですか」などと聞かれるんですが、僕には全くそういうものがありません。役はそのときのタイミングで与えられるものだし、役作りについても、「作る必要はないものだ」と思ってます。
若いころは無理やり役を作ろうとしたこともありましたが、自分の想像力はたかが知れている。「もっといろんなものから受け取れよ」ということが年齢とともにだんだん分かってきたんです。
例えば映画やドラマのセット。美術デザイナーが置いてくれたもののアイデアから何か盗むことだってできるし、相手の役者の目の動きやしぐさから何かを感じることもできる。いろんなものから自分の芝居を変えることができるし、それがおもしろさなんです。そこに気付けるかどうかだと思うんですよね、役者は。
もちろん自分のせりふを覚えてくるのはいちばん大事ですが、それ以外はそういうものを感じる感受性があることでお芝居ができるし、それがおもしろいからやっている。だから究極には、できれば空っぽの状態でカメラの前に立ちたいなと思っています。
――でも若いころは“自分が自分が”ということもありませんでしたか。
松重 自意識っていうものがどれだけ自分の枷になっているか、それを捨て去ることからしか始まらないぞと気付くまでに、やっぱり時間はかかりました。何かを期待されてるんだろうなと思って、それに応えようとよかれと考えてやるんですけど、それが見る側にとっては余計なものだったり、トゥーマッチだったり。だけど何もしないで、ただその場にいるのはすごく勇気のいることなんです。「何もしないでそこに立ってろよ」と言われたとき、それが本当にできるようになるかどうか、そこのせめぎ合いですね。※この記事は2023年8月31日(初回放送2021年5月29日)放送「“私の人生手帖”アンコール」を再構成したものです。
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