今年7月9日に行われた福井県若狭町での「ラジオ深夜便のつどい」、後藤繁榮アンカーと伺うはずが、直前の体調不良で欠席を余儀なくされました。福井は昭和50年、アナウンサーの第一歩を踏み出した思い出の地。

赴任すると地元の皆さんは「今度の新人アナは」と気になるようで、ある日取材の帰りにバスを待っていると、後ろに並んだ年配の男性から「 徳田さんだね? ニュースの中で〝上まわって〞をあなたは 〝うわまって〞 と言っている」とご注意が。以来50年近くった今でも原稿にこの言葉が出てくるとあのバス停を思い出し、「上まわって」と傍点を打っています。ありがとうございました。

そして初めての一人暮らし、赴任当初アパートが見つかるまで同期職員の下宿に居候。〝賄いなし〞でしたが、ある早出の朝、おばあちゃんが「何もないけど食べてきね(食べて行きなさい)」と簡単な朝ごはんを出してくれました。以来おばあちゃんが亡くなってもご縁が続き、何年かに一度顔を出すと「よう来なったなあ」と福井弁で歓待してくれます。田舎のない私は実家に帰ったような気さえするのです。

今回伺うはずだった若狭地方のいちばんの思い出は赴任2年目の夏の「地蔵盆(注)」取材でした。子どもたちが辻々つじつじのお地蔵さんに思い思いに色を付ける〝化粧地蔵〞の行事です。お地蔵さんを中心に子どもたちが「参ってんの参ってんの、参らにゃ通さんぞー」とかねと太鼓で呼びかけて、道行く人にお賽銭さいせんを入れてもらいます。その様子をディレクターが写真を撮り、私が録音機でインタビューや周辺の音を集めます。写真で構成するテレビ番組と、それとは別に構成したラジオ番組の2本を作るわけで、15分番組なのに10倍の量のテープを回したり、ディレクターと地元の人たちとの会話に聞き入っていると「何で(テープを) 回さないんだ!」と叱られたり、録音したテープに重ねて録音したり。番組作りを学んだ貴重な経験でした。

今回その若狭を訪れるのを楽しみにしていましたのに残念!ぜひまた「地蔵盆」のころに伺います。

(注)毎年8月23日、小浜市内の各地で行われる、子どもが主役の祭り。子どもたちの無病息災を願う。

(とくだ・あきら 第1・3・5日曜担当)

この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2023年9月号に掲載されたものです。

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