だいぶ古くなりましたが、名優クリント・イーストウッドの若いころの作品に、『ダーティハリー』という映画がありました。ダーティという言葉には“よごれた・きたない・不正な”などのイミがあります。
イーストウッド演じるハリーは刑事ですが、捕まえた犯人がコネを使って警察の上層部や裁判官を抱きこみ、無罪放免になります。つまり法が不正をおこなうのです。
怒った警察官がグループをつくって、釈放された容疑者をつぎつぎと殺害します。警察官の考えは「法が不正をおこなったのだから、社会正義の名においてこれを正す」というものです。
ハリーはこのグループを追跡するのですが、心情は複雑です。みているぼくも複雑でした。ともすれば法の不正を正す警察官グループに心が傾くからです。
鳥羽院政下で、このグループとおなじきもちをもっていたのが、内大臣の藤原頼長です。かれはのちに左大臣・内覧(関白と同格)になりますが、司法に関心をもっていました。学問が深く、とても勉強家です。とくに“義の学問”を重んじ、道徳や倫理にきびしい人物でした。
義を重んずるということは秩序を重んずる、ということです。ですから清盛一族が金品によって出世するのを、
「なりあがり者」
といって軽蔑していました。とくにその金品を密貿易によって得ているのは、頼長にとってはゆるしがたいのです。
「いつかたたきつぶしてやる」
頼長はいつもそう思っていました。つまり“反平氏感情”が育っているのです。頼長はある殺人事件の犯人が、コネを使って無罪放免になったとき、部下に命じてこれを殺させています。まさに、『ダーティハリー』の警察官です。
「法の不正を社会正義によって正す」
ということの実行です。
頼長は“悪左府(悪い左大臣)”とよばれました。しかしぼくは“悪い”のではなく、“きびしい”という解釈をしています。
頼長は、
「法の不正で正直者がバカをみない社会」
の実現をめざしていたのです。ドラマでは山本耕史さんが頼長の本質をよく理解して好演しています。ファンのぼくにはうれしいことです。
(NHKウイークリーステラ 2012年4月6日号より)
1927(昭和2)年、東京生まれ。東京都庁に勤め、広報室長、企画調整局長、政策室長などを歴任。退職後、作家活動に入り、歴史小説家としてあらゆる時代・人物をテーマに作品を発表する。