1968年、上智大学の文学部英文学科に進み、今度こそアナウンサー修業をするべく放送研究会に入った。
大学には外国人教授が多く、英語での授業は当たり前。これまで外国人と接したことがなかった僕は、ついていけるだろうかと不安でいっぱいだった。そんな中、新学期早々「宗教学」の授業で教授から意外な言葉が発せられた(もちろん英語で)。
「皆さんに宿題を出します。今、『PLANET OF THE APES (プラネット・オブ・ジ・エイプス)』という映画が上映されているので観てきてください。次回はその映画について、英語で議論しましょう!」。おお、やっと自分の得意な分野の話になったと喜んだが、英語で意見など言えるのだろうか?
『猿の惑星』(1968年4月公開)は抜群におもしろかった。宇宙飛行士であるチャールトン・ヘストンが不時着したのは猿に支配されている惑星。人間は原始人のような姿をして、奴隷として扱われていた。主人公はそこから脱走を試みるが……。そこが核戦争後の荒廃した地球だったことが判明する驚愕のラスト。砂浜に埋まった自由の女神像が映し出された瞬間は、お見事! と心の中で叫んだほどだ。当時は今のような特殊メークやVFX(注1)がなく、猿にふんした俳優たちのメークが話題になった(注2)。一方で東西冷戦や人種差別といった社会的な問題への痛烈な皮肉を含んだ映画でもあった。
授業で語りたいことは山ほどあったが、英語でそれを表現することができない。実はほぼ同じ時期にもう1本、映画ファンには忘れられない名作が封切られていた。『2001年宇宙の旅』である。級友の中にはこの映画にまで言及し、果敢に英語で議論に参加する者もいて、自分の英語力の足りなさを痛感した。これでは“猿の惑星”に迷い込んだチャールトン・ヘストンと同じではないかとへこんだ。
それでも、大学の授業は楽しかった。級友たちは皆、英語は達者だが日本語になると急にお国ことばが飛び出して、ほほえましかった。
しかしその年、大学紛争が激しさを増し、やがてロックアウト(大学閉鎖) に。授業は全面的に休止となり、教室という行き場を失った級友の多くが故郷へ帰った。東京出身の僕にとっては、その日から映画館が教室になった。
毎日、昼間は映画を観て、夜は家業の文房具屋でアルバイトという生活が続いた。英語の映画さえ観ていれば少しは英語が上達するだろうという甘い考えだったが、フランス映画やイタリア映画、独立系の日本映画にはまってしまう。僕の英語力が伸びるはずもなかった。
(注1)映画やドラマなどで映像をデジタル加工するVisual Effects(視覚効果)のこと。
(注2)1969年の第41回アカデミー賞でメーキャップ担当のジョン・チェンバースが名誉賞を受賞。
(月刊誌『ラジオ深夜便』2023年2月号より)
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