3月12~19日はテレビ70コラボウィーク。
1953年2月に放送を始めたNHKと、同年8月にスタートした日本テレビが、テレビ70年を記念して相互に番組を乗り入れている。

12日:『NHKのど自慢』×『行列のできる相談所』コラボSP
14日:『踊る!さんま御殿』にNHKアナ
15日:『有吉の壁』でNHK潜り爆笑ネタ!
16日:『ぐるナイ』×『チコちゃんに叱られる!』
17日:『クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?』に朝ドラ子役
19日:日テレ×NHK TV70年特番『テレビとは、〇〇だ』

以上のように、両局のコラボは基本的にバラエティ番組だ。
実はバラエティはどんなネタでも融通無碍に番組化できる。しかも登場するタレントや有名人、番組の仕掛けで、番組を盛り上げることも可能だ。

かくしてテレビ70年の歴史の中で、もっとも放送時間を増やしたジャンルがバラエティだった。
テレビ70コラボウィークの特番が全てバラエティとなったのも象徴的なのである。

ただし同ジャンルは栄華を極めたが、近年は低迷している。
70年の歴史の中で、何が起こって来たのかを振り返る。


黎明期の悪戦苦闘

バラエティ番組の源流は2つ。
寄席や舞台の中継が1つ。もう1つは、ラジオの人気番組をそのままテレビ中継することだった。例えばテレビ開局の日、NHKはラジオで一番人気だった歌謡番組「今週の明星」を中継した。

テレビの初期は、スタジオや予算が足りなかった。
そのため既にあるパフォーマンスを、そのままテレビで映すことが主となった。お金だけでなく時間も人材も十分でない中、知恵も演出も不十分だったのである。

53年8月に開局した日本テレビも同様だった。
開局の日の番組は、舞踊・ミュージカルバラエティ・宝塚の舞台が続いた。ラジオ界からは“電気紙芝居”との揶揄が聞こえていたが、動いていれば何でももの珍しかったのがテレビだったのである。


TV的表現を求めて

ただしテレビ的なバラエティの模索は直ぐに始まる。
“見て楽しむ”最初の娯楽番組は、NHK「ジェスチャー」だった。問題の中身を身振り手振りで表現し、他の人が当てるゲームで、“映像がものを言う”初のバラエティだった。

海外から輸入番組も力を発揮した。
その最初が『私の秘密』だ。アメリカで人気の「MY SECRET」の日本版で、特異な登場者に回答者が質問して、その秘密を当てるクイズ番組だった。

日テレも同年、米国のクイズ番組を基に『なんでもやりまショー』を開始した。
他愛のないゲームを競うものだが、ナンセンスさが大衆に受け、出演者は1年先まで予約が埋まるほどだったという。

この番組で事件が起こった。
評論家の大宅壮一が、「一億白痴化運動が展開されている」と嚙みついたのである。「一億総白痴化」が流行語となったが、“下らない”のか“バカバカしさの創造”なのか、バラエティ番組は早い段階から二面性を持っていたのである。


TVバラエティ誕生

日本版バラエティは60年前後に誕生する。
米国の人気番組などに影響を受けた『光子の部屋』(日テレ58年)、『夢であいましょう』(NHK61年)、『シャボン玉ホリデー』(日テレ61年)などだ。音楽だけでなく、お笑いなど他の要素も入れ、ショーアップした娯楽番組となった。

次の節目は60年代末以降。
“お化け番組”と呼ばれる大ヒットが出始めた。筆頭は「8時だヨ!全員集合!」(TBS 69年)。ドリフターズによる公開生放送だった。

同年には「コント55号の裏番組をブッ飛ばせ」(日テレ)も始まった。
低俗番組の代表とされたが、実際に裏で放送していたNHKの大河ドラマを視聴率で上回るほど人気が出た。
萩本欽一は“素人いじり”の妙で人気番組を次々に送り出し、出演番組の一週間の視聴率が100%を超え、“視聴率100%男”の異名を取るまでになった。

80年代はMANZAIブームで流れが一変する。
フジテレビは81年に「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチコピーに、漫才出身の芸人でヒットを次々に飛ばした。『おれたちひょうきん族』(81年)、『笑っていいとも』(82年)などが代表だ。
同局はその後も『オールナイトフジ』で女子大生ブーム、『夕焼けニャンニャン』で女子高生ブームを巻き起こし、12年連続三冠王に輝いた。

フジの黄金期は、芸人の即興を主としたお笑いバラエティが支えたと言っても過言でなかった。


多様化と停滞

80年代後半、フジは新たな挑戦を受ける。
第1弾は85年には日テレが始めた『天才・たけしの元気が出るテレビ!! 』。市井の人にスポットをあて、現実味のあるドキュメント・バラエティの元祖となった。

同局は89年に『知ってるつもり?! 』も始める。
教養をネタにしたバラエティだが、90年『マジカル頭脳パワー』へとヒットが続いた。さらに92年に、『進め!電波少年』を始めた。フジが有名芸人によるスタジオバラエティで一時代を築いたとすれば、ブレーク前の芸人によるドキュメント・バラエティを、日テレはこの番組で確立したと言えよう。

フジも反撃を始める。
93年に料理をテーマにした「料理の鉄人」をヒットさせ、さらに“生きていく上では何の役にも立たない”雑学で『トリビアの泉』を飛ばす。

バラエティの多様化に少し変調が起きる。
は03年スタートの『アメトーーク』(テレ朝)がきっかけだ。“雛壇芸人”という言葉が生まれるが、各局にも類似の演出が増え、視聴者からは「どの局も似たり寄ったり」「面白くない」という声が出始めたのである。

実際この後、大ヒットバラエティが減る。
「アメトーークが4年連続で人気No1となったが、これは新たなバラエティが誕生していない証拠」と、状況を説明するバラエティ制作者もいた。


インターネットの劣後

バラエティの後退は、数字にも表れている。
例えば「年間高世帯視聴率番組30」だ。90年代はバラエティの通常放送がランクインしていた。95年を見ると、『マジカル頭脳パワー』が30.9%で18位、『投稿!特ホウ王国』が30%で22位だ。

ところが通常放送は次第にランクインできなくなる。
2022年では、ランクインしたバラエティはあるが、いずれもスペシャル番組だ。『24時間テレビ』が22.2%で14位、『芸能人格付けチェック』のお正月スペシャルが20.1%で19位、『M-1グランプリ』が17.9%で24位と、いずれも年1回の特別番組だ。

かつてバラエティは、「暇つぶし」のために視聴する人が多かった。
しかし今や、「暇つぶし」のためにYouTubeを見る人が激増した。自分の興味のある動画が無限といって良いほどあり、見たい時に見られるためだ。テレビのどのチャンネルも、WAU(一週間の利用者数)でYouTubeより下回るのが現実だ。

つまりバラエティには進化が必要だ。
『M-1グランプリ』のように日本一を決めるようなイベント性という道がある。『プレバト!!』のように、有名人が意外な才能を競う道もある。『水曜日のダウンタウン』のように、中毒性路線もあるかも知れない。

今や2000年代までの方程式が通じない。
「絶えず先行する番組を乗り越える新しい領域を開拓し」、「真剣に“バカバカしさ”を追求し、創造する」だけでは不十分となった。
つまりTVバラエティの中だけの競争では生き残れない。素人YouTuberがいれば、専門家が面白おかしく展開する講座もある。そしてテレビからYouTubeに領域を広げたクリエーターたちもいる。

テレビを超えて進化する。
TVバラエティは異次元の進化が求められているのである。

愛知県西尾市出身。1982年、東京大学文学部卒業後にNHK入局。番組制作現場にてドキュメンタリーの制作に従事した後、放送文化研究所、解説委員室、編成、Nスペ事務局を経て2014年より現職。デジタル化が進む中で、メディアがどう変貌するかを取材・分析。「次世代メディア研究所」主宰。著作には「放送十五講」(2011年/共著)、「メディアの将来を探る」(2014年/共著)。