孤独な子ども時代。
母・樹木希林との生活は
内田也哉子さんは、自分の持つ雰囲気がほかの人と違うといつごろ気づいたのでしょうか?
内田 自分が育った家庭環境が、全く普通ではない環境だったので、その影響が大きいと思います。一人っ子で、両親は離婚はしていないんですけど、母が女手一つで育ててくれたので、孤独な子ども時代でしたね。小学校低学年からずっと鍵っ子で、家に一人で帰って、夜ご飯もある程度母が準備してくれていましたけど、最後の仕上げをして、一人でご飯を作っていました。
小学生のころ、お母さんにそばにいてほしいという思いはなかったですか?
内田 母は性格的に気丈で、ベタベタ子どもをかわいがるというのではなく、ピシッとメッセージだけ伝えたらドライみたいな感じで。だから、温かいお母さんというイメージではなく、とても厳しかったので、甘えたいとは思いませんでしたね。でも、「これをやっちゃダメ、あれをやっちゃダメ」ということを一切言わない母で、「勉強しなさい」も言われなかったし、「家に何時までに帰ってきなさい」も言われなかった。幼いころからとても大きな自由を授けられた代わりに、その自由の重責をわりと早いうちから知ってしまったという感じでしたね。
希林さんは、子どもの力を信じていらっしゃったんでしょうね。
内田 そもそも私を子どもとして扱っていなかったと思います。幼いころから、大人と話すような語り口で私に何でも話してくれました。これは子どもだから言わない、教えないとか、そういうこともなかったと思います。ずっと母と子の関係性は、ある一定の距離感を保ったまま。近すぎて苦しいということもなかったです。もちろん肝心なときはいろいろなアドバイスをくれたので、ほどよい距離感を保てていたんでしょうね。
本木雅弘と結婚後、思わぬ離婚危機に⁉︎
この春、内田さんは脳科学者・中野信子さんとの対談をまとめた『なんで家族を続けるの?』(文春新書)を出版されました。15歳で出会った本木さんとの結婚についても書かれていましたが、当時は結婚というものをどのように考えていましたか?
内田 全く結婚は考えていなかったですよ。まだ中学3年生ですから。初めて結婚という話が出たのは17歳のときでしたけど、まだちゃんと恋もしてないのに、私のほうがびっくりして腰が抜けそうになったくらい。でも、母に結婚の話をしたら、「そういうのもアリね」と。「家庭を築くことを先にして、子育てから手が離れたら好きな仕事を見つけるというのもいいんじゃない」って。きっと母は、「結婚とか人との出会いって、計画してできるものじゃないから、流れを受け止めることも大切。この結婚も大事なご縁だと感じ取る」ということを私に伝えたかったんだと思うんですよね。
結婚後、しばらくして離婚も考えたと本に書かれていましたが、理想と現実は違いましたか?
内田 全然違いましたね。まず私自身、父親が家庭の風景にいなかったことにより、男性が家の中にいるということが全くイメージできていなかった。ある意味、カルチャーショックですね。あと、私はすごく夫と何かを見たり、味わったり、経験したりして共感したいタイプだったんですけど、夫の場合は、共感できることもすてきだけど、人間だから違うのは当たり前。違うからこそ面白いんじゃないと。結婚して25年ちょっとたちましたけど、今でこそその考えになるほどなと思いますね。私の両親はすごく似た者同士で、見た目と雰囲気は違うけど、魂の部分の激しさが似ていて。だからこそ、ぶつかって離れてしまったんでしょうね。だから私からすると、異なる本木の考えが新鮮で。そういうふうに考えていったら、家庭だけじゃなく社会に出て出会う人たちとも、違う考えを持つ人たちとも、その心持ちでいればいいんだなという学びをもらいましたね。
子育てのつらい時期を救った母からの言葉
初めての子育ては、思うようにいかなくてつらい時期もありましたか?
内田 つらい時期は長かったですね。ただ、夫も時間があるときは協力してくれたし、母も途中から同居して、2世帯になったんですね。それは母からの提案で。「子どもたちが育っていく中で、せっかく年寄りがここにいるんだから、いろいろなジェネレーションが家庭の中にいるというのを試してみない」と言われて。むしろ母は一人で生きるのが得意だし、好きだったから、一緒に住まなくてもよかったんでしょうけど。私たちが危うく見えたんでしょうね。子育てで紆余曲折があるたびに、通りすがった母が投げたひと言によって、「あっ、何だそういう考え方もあったんだ」と楽になることも。若い世代から年配まで交ざり合って生きることは、とても豊かなことだというのを、身をもって体験できました。
これから長い人生を歩んでいかれるときに、道しるべとなるものは何でしょうか?
内田 ここまで母や父から、たくさんのことを教わり成長できて、そして今は自分の家庭を築き、子どもたちからたくさんのことを学んで、栄養を蓄えてきた気がするんですね。母が亡くなる前に教えてくれたんですけど、「もうそろそろあなたは、誰かの役に立てることは何なのかを見つけて、少しずつお返ししていけるといいね」と言ってくれて。ほんとにそのとおりだと思うので、何か隣の人がうれしくなるようなこと、少し緊張していた心がほぐれるようなこと、そういうふうな目の向け方をして生きていけたら、もっともっと人生を豊かにできるだろうなと思っています。
(NHKウイークリーステラ 2021年7月23日号より)