なかじまもりさん (75歳) は、銭湯の壁面に背景画を描く銭湯絵師です。最盛期には全国で15人ほどいたともいわれる銭湯絵師ですが、今では3人に。その一人である中島さんに、仕事のおもしろさや今後についてうかがいました。
聞き手/遠田恵子

きょう描いた絵がいちばんの出来。
毎日満足して帰ります

――銭湯絵師とはどんな職業ですか。

中島 公衆浴場、つまり銭湯の壁面に大きな背景画を描く仕事です。壁で隔てられた男女の浴場の壁面が一枚の絵になるように描くので、横幅15メートル、高さ5メートルくらいですね。男女それぞれ7メートルぐらいの幅の絵を、壁に掛けたはしごに座り、その位置をずらしながら描いていきます。1枚に約3時間、両方で6時間ぐらいで描き上げます。

昔ははけで描いてましたが30代で右指にけがをして持てなくなりまして。困っていたとき塗装屋さんが使っているローラーを見て、ローラーも使いながら描き始めました。富士山には大事な雲もうまく描けますよ。

――銭湯の壁画というと富士山が定番ですね。

中島 はい。55年この仕事をしてますが、これまで5500点ほど描いたでしょうか。20代のころは銭湯がたくさんあったので、日曜以外、毎日。男女の浴場で別の絵を描くんですが、どちらかが富士山です。

――この仕事の最大の魅力は何ですか。

中島 それはもう、大きな絵を描けることです。それに日本全国たくさんの場所に僕の絵があるのもいいですね。個展を開くといっても、普通は場所が限られます。

――では難しさはどんなところですか。

中島 浴場をいかに広く、明るく見せるか。お客さんに露天風呂に入った気分でゆったりしていただくことを考えています。例えば壁面の幅が狭いお風呂屋さんでは、川を描くんです。渓流のある奥行きのある絵にします。逆に広い浴場は、海を描いて立体的により広く見せるようにします。

――工夫しだいで浴場の見え方が違ってくるのですね。これまででいちばんの出来は?

中島 よくそう聞かれるんですが、いつも「きょう描いたこの絵がいちばん」と答えています。同じ絵は描かない。毎回どこか少し変えています。だからその日描いた絵に満足して帰ってくるんです。

――毎回、達成感があるんですね。

中島 ところが何年かして描き換えの時期に行くと、「前の絵はちょっと……」って思う。それで早くその上に新しい絵を描きたくなる。その繰り返しです。だから自分が描いた銭湯にはめったに入らないですね。「あ、あそこ直したい」ってなってゆっくりつかっていられないんです(笑)。


はけを手に持ったままスッピンコロリンと逝きたい

――海外でも描かれたとうかがいました。

中島 4年ほど前でしょうか、ロンドンの日本料理店から依頼が来て、4、5軒の壁面に富士山を描きました。営業中に、いわば実演のように描いていたんですが、店内のお客さんも、窓からのぞく道ゆく人も驚いていましたね。描くスピードの速さと、あっというまに仕上がる富士山の美しさ。

――描く場所が、今後もっと広がるかもしれませんね。挫折やつらかったことは?

中島 一度もありません。師匠や兄弟子に叱られたこともない。楽観的かもしれませんが、好きなことをやっているからでしょうね。

――ご自身の終いについては、どうお考えですか。

中島 できたらはけを持ったままスッピンコロリンと逝きたい(笑)。そしてできればどこか富士山の周辺に散骨してほしい。いつでも富士山を見上げていられたら本当にいいですよね。僕の人生から、もう外せないものなんですよ。

▼中島さんが描いた富士山はこちらの記事から!
https://steranet.jp/articles/-/1537

中島盛夫 (なかじま・もりお)

1945(昭和20)年、福島県飯舘村出身。'64年に上京、背景画師の故・丸山喜久男氏に師事し26歳で独立。初めてローラー使いを考案し、背景画制作の時間短縮に貢献。日本を代表する背景画師の一人として、銭湯絵のほか幅広いフィールドで活躍中。2016(平成28)年「現代の名工」に選ばれる。

※この記事は、2020年10月14・21日放送「ラジオ深夜便」の「わたし終いの極意」を再構成したものです。
(月刊誌『ラジオ深夜便』2021年2月号より)

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