『シクラメンのかほり』や『あいさんさん』など、数々の名曲を生み出してきたぐらけいさんは、銀行に勤めながら27歳のときにアルバム『青春〜砂漠の少年〜』でデビューしました。
布施明さんや美空ひばりさんらにも楽曲を提供、世に送り出した曲は約2000曲に上るそうです。2021年、歌手活動からの引退を発表して世間を驚かせた小椋さんに、引退の真意やこれまでの歩みをうかがいました。(前編はこちらから)
聞き手/嶋村由紀夫

銀行退職後、東大に学士入学

——勤めていた銀行を1993(平成5)年に退職なさいますよね。その理由というのは?

小椋 「もう僕が銀行にいる意味はなくなった」と思ったのが辞めた理由ですね。若い日に、僕は「大企業に入って組織で汚されていく人間を自ら体験しながら、自分と周囲を見渡して創造的な表現者として生きていこう」と考え、それをずーっとやってきたわけです。

でも40代に入ると、企業内存在である自分と周囲の人間、上下の人間、みんな見渡してみて「もう全部分かってきちゃったな」と感じるようになったんです。『平家物語』 に「見るべきほどのことは見つ」という言葉があるんですが、その実感が僕の中にもあって。

——銀行を退職後、東京大学法学部に再入学されたそうですね。

小椋 本当は文学部で哲学を勉強したかったんですが、学士入学では外国語の試験が2科目あるんですね。仕事で使っていた英語はともかく、もう1科目の勉強が間に合いそうにありません。若い日に通っていた法学部への編入なら面接だけで済むので、まず法学部に入ることにしました。入ってしまえば、他学部の講義は勝手に聴講できますから。

——2度目の法学部はいかがでしたか。

小椋 法学部に入ったからには、もう1回しっかり法学を勉強してみようと思って授業に出たら、これが「何で学生時代はあんなに法律が嫌いだったんだろう」と思うぐらいおもしろいんですよ。なので欠席せずに授業に出て、終わったら毎日東大の図書館でずっと勉強して帰る、という日々を送りました。そうやってせっせと通ったもんだから、本当は2年間で卒業なんですが、1年で単位を取りきって卒業となりました。それで今度は覚悟して受験勉強をしまして、翌年文学部に入り直したんです。


70歳で開いた「生前葬コンサート」

——2014年には「生前葬コンサート」を開かれましたね。

小椋 あれは70歳のときですね。「70歳まで生きたからもういいかな、ケリつけたいな」と思ったんです。そもそも初めて人前でおおっぴらに歌ったのがNHKホールでしたから、締めくくりもNHKホールで、ということで「生前葬コンサート」を4日間にわたってやりました。自分で自分の葬式をあげたようなもんでしたね。

で、4日間無事に歌い終わって翌日あたりに死ねていれば僕の人生そこで完結だったんですけどね、そこからまた生き延びちゃって今に至っています。

——今年、新しいアルバム『もういいかい』を出しましたよね。このタイトルの意味は?

小椋 音楽活動はこのへんでもういいだろうっていうことです(笑)。

——音楽活動をやめられたあと、何をしようと考えてらっしゃるんですか。

小椋 いや、何も考えてないですよ。ほんと何したらいいんでしょうかね。遺言書もちゃんと書きましたし身の回りのものも7割方処分しましたから、もう死に支度は済んでます。

ファイナル・コンサート・ツアーだけは無事にね、存分に歌いたいと思いますが、それが終わったらもういつでもいいですね。ただ、別に輝かしく死んでいきたいなんて思ってないんで、静かにね、できれば痛まず苦しまず死んでいきたいですね(笑)。

——小椋さんの息子さんは、奥様との時間を長く持ってほしいとお望みのようです。

小椋 ああ、それはきっと自然にそうなりますね。僕は決して良い夫じゃなかったかもしれないから、まあ、できれば最後ぐらい良い夫でいようかなとは思ってますけどね。

インタビューを終えて/嶋村由紀夫
私も学生時代に小椋さんの曲を友達とたくさん聞いて歌ったものです。優しい歌詞、包み込む歌声。憧れの小椋さんとのお話は幸せな時間でした。歌手引退は寂しいですが、歌作りは楽しみながら続けていただけたらと思います。

※この記事は、2021年8月19日放送「ラジオ深夜便」の「歌手引退・もういいかい」を再構成したものです。
(月刊誌『ラジオ深夜便』2021年12月号より)

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