いよいよ師走。寒くなってまいりましたが、風邪などお召しになっておられませんでしょうか。
NHK放送博物館・館長の川村です。風邪にもマケズ、今回も「放送技術の歴史と鉄道の関係」についてお話ししたいと思います。
前回はテレビ黎明期に全国にテレビを普及させるために走った「全国巡回ラジオ列車」をご紹介しました。
https://steranet.jp/articles/-/1120

テレビの普及を目的にした特別な列車ですが、「ラジオ列車」といいました。さて第2回は、テレビ放送を車内で見られるようにした列車、その名も「テレビカー」⁉の噺です。


列車の中でテレビが見られる「テレビカー」とは!?

日本でテレビの本放送が始まったのは、1953(昭和28)年のこと。受像機はまだまだ高根の花で、一般家庭には遠い存在でした。そんな中、1954(昭和29)年の春に東京都と千葉県を結ぶ京成電鉄が日本で初めて車内でテレビが見られる電車を走らせました。いわゆる街頭テレビの電車版です。テレビが設置されたのは京成電鉄の看板列車、特急「開運号」の車両として登場した1600形電車です。

京成電鉄の1600形電車。テレビのほか、リクライニングシートや売店も設置された豪華列車(画像提供 京成電鉄)

受像機は、日本初の民間テレビ局として1953(昭和28)年8月から放送を始めたばかりの日本テレビが設置したものです。まだ一般家庭にはテレビが普及しておらず、当時人気だったプロレス中継が列車の中で見られると大好評だったそうです。この日本初のテレビカーは、1967(昭和42)年まで運用されていました。

テレビ受像機は連結面の壁上部に設置されていた(画像提供 京成電鉄)

一方、日本の鉄道でもっとも長い間テレビカーを走らせたのは、関西の京阪電気鉄道です。京成電鉄に続いて、1954(昭和29)年8月から特急用車両1800形を使って試験的に導入を進め、9月からはすべての同型車両に設置しました。

京阪電気鉄道1800形電車の車内。出入口上部の壁面に白黒テレビが設置された

京阪電気鉄道では、主にNHKの番組を放映していました。相撲中継や野球中継が列車の中で見られるとあって、大いに人気を集めました。その後、車両が更新されても「京阪電車のテレビカー」は継承され続けたため、関西地区に住んでいる方にはなじみ深いかもしれません。

登場時からカラーテレビを設置していた旧3000系電車。現在も一部の車両は富山地方鉄道でテレビカーとして活躍中。

京阪電鉄のテレビカーは地上デジタル放送が始まってからも走り続けましたが、時代の変化とともにその役割を終え、2013(平成25)年をもって終了しました。テレビ放送開始直後からカラーの時代、デジタルの時代へ、世紀を超えて60年近くの間走り続けた「京阪特急」のテレビカーは、“テレビが見られる電車”の代名詞といえます。


移動体受信アンテナにより、車内でBS放送も!

列車の中でテレビを受信するというサービスは、衛星放送の時代になっても続きました。ただし、鉄道のように高速で走る移動体で放送衛星からの電波を受信するためには、列車の移動に合わせてパラボラアンテナを常に衛星に向ける必要がありました。
その難題を解決すべく、1988(昭和63)年にNHK放送技術研究所が開発したのが「車載用BS移動受信装置」です。当館にはその試作1号機が保存されています↓

BS移動受信アンテナの試作1号機。このケースの中に受信装置が格納されている。
ケース内部の可動式アンテナ本体と追尾装置

やや専門的な説明になりますが、この装置は高効率平面アンテナに電子追尾方式と機械追尾式の装置を組み合わせたもの。この試作機をもとに商品化されたアンテナが、JR東日本の特急「スーパーひたち」用の651系に搭載されました↓

常磐線の花形列車だった「スーパーひたち」。グリーン車ではBS放送が視聴できた。

このアンテナを設置したことで、「スーパーひたち」の車内ではグリーン車の座席に取り付けられた液晶テレビでBS放送を見ることができました。その後も観光バス用、自家用車用、さらには航空機用と小型化された追尾アンテナが開発され、高速で移動する交通機関でもBS放送を見ることができるようになりました。

しかし、2000年代に入るとワンセグやスマートフォンの普及により、列車に設置したテレビで番組を見るというニーズは徐々に少なくなります。時代とともに走り続けてきた「テレビカー」でしたが、今では一部を除いてその姿を消してしまいました。
まもなく70年の節目を迎えるテレビ放送の歴史のなかで、鉄道が果たした役割はきわめて大きなものだったのです。

(文・NHK放送博物館 館長 川村 誠)