「恋しない⼈間なんていない」
そんな何気ないひと⾔が、誰かにとっては当たり前ではないことに気づかされる。⽇常的に無意識に使っている便利な⾔葉や、当たり前だと思っていることは、ほかの誰かにとっては当たり前ではなく、深く傷つく原因の⼀つでもある――。

よるドラ「恋せぬふたり」は、そんな考え⽅を、そっと教えてくれるドラマだ。

スーパーまるまるの本社営業戦略課で働く兒⽟さく(岸井ゆきの)は、企画開発した商品を実際に⾒るため、上司と後輩の3⼈でスーパーを訪れる。上司が商品を⾒ながら言った、「恋しない⼈間なんていない」という何気ない⾔葉に対し、そこで出会った⻘果部⾨の店員・⾼橋さとる(⾼橋⼀⽣)は、「いると思いますよ。恋しない⼈間」とつぶやく。

その後、咲⼦は「アロマンティック」「アセクシュアル」*という、“恋をしない⼈間”を表す⾔葉をはじめて知る。この⾔葉と出会うきっかけをあたえてくれた⾼橋と咲⼦の関係性は今後どうなっていくのか……!? というのが、第1回のあらすじ。

「アロマンティック」と「アセクシュアル」という⾔葉。⼀度は⽿にした方もいるのではないだろうか。 ドラマは、そんな言葉を知らない⼈にとっても、わかりやすい内容になっていた。私⾃⾝、そうだったのか、と改めて勉強する機会になった。

――ところで、当事者としてはどのような感情を抱くのか。かくいう私は、LGBTQの「T」であるトランスジェンダーとして⽣きている。

仮に、トランスジェンダーの立場から見ると、どうしても違和感を覚えてしまう部分もある。今後のドラマの展開の中で、⼤きなくくりでまとめてしまうのではなく、一人ひとりに個性があるのと同じように、⼀つのセクシュアリティーの中にもさまざまな個性が存在するということを描いてほしい。

アロマンティックやアセクシュアルの人にとって、⾒ていてつらくない内容や⾔葉選びに配慮することが、伝わるものを大きくするのではないかと私は感じた。

また、このドラマでは、「恋愛をするのが当たり前」「異性と結婚をして⼦どもを産む」「普通の家庭を築いていく」といったようなステレオタイプ的な考え⽅が、さまざまな場⾯で登場する。

LGBTQ の当事者である私にとって、この「普通」や「当たり前」を語っているシーンは、どれももどかしい気持ちになってしまう。これは、ドラマの世界だけでなく、⽇々の⽣活でも感じていることだ。

また逆に、私自身も無意識に⾃分の当たり前や使いやすい⾔葉選びをして相⼿を傷つけてしまった経験もある。固定概念や偏った価値観は、⼀歩間違えると思ってもみないトラブルにつながるおそれがある。

ふだん当たり前だと感じている⾔葉や⾏動は、あくまでも⾃分の価値観であって、それを誰かと共有するとき、⼀⽅的にぶつけてはいけない――。「恋せぬふたり」を見てあらためてそう思った。

*“アロマンティック”とは、恋愛的指向の一つで他者に恋愛感情を抱かないこと。“アセクシュアル”とは、性的指向の一つで他者に性的にひかれないこと。どちらの面でも他者にひかれない人を、「アロマンティック・アセクシュアル」と呼ぶ。

1999年、茨城県生まれ。女子校出身のトランスジェンダー。当事者としての経験をもとに、理解ある社会の実現に向けて当事者から性に悩み戸惑う方、それを支えようとする方への考えを発信する活動に従事する。