携帯端末に目まぐるしく流れ来るニュースの数々。刻一刻と移り変わる世界情勢。世界とは何か。歴史とは何か——。時代を読み解き、今このときを生きる審美眼を養う特別コラム第8回。
執筆するのは、NHKスペシャル「新・映像の世紀」「戦後ゼロ年東京ブラックホール」をはじめ、多くの名作ドキュメンタリーを手がけてきた映像ディレクター・著作家の貴志謙介氏。全30回(予定)にわたり、ウクライナを軸に世界情勢とその背景にある歴史をひもといてゆく。

1935年冬、パリ。小さななテーブルには、焼き栗、白ワインのグラス。
カフェの一角で、ひとりの青年がもの思いにふけっています。
空はうつろ、しかし青年の表情は明るい。

青年の名は、大澤壽人(おおさわ ひさと)。パリ楽壇にデビューした新進作曲家です。

24歳で日本を発ってから、足かけ6年の歳月が過ぎていました。その間、無我夢中で音楽にのめりこみ、華やかな成功を実現しました。
ボストンでは、泉のごとく楽想が湧き、斬新な交響曲やコンチェルトを発表。耳の肥えた音楽人を驚かせました。
1933年には、日本人としてはじめてボストン交響楽団を指揮。小澤征爾(おざわ せいじ)がボストン響を振る40年も前のことです。

その翌年、28歳の大澤は、周囲から強く勧められ、パリへ渡ります。パリでは、ヨーロッパ最高の音楽教師ナディア・ブーランジェの指導を受けました。

ブーランジェの門人は、20世紀を代表する革新的な音楽家ばかりです。作曲家のレナード・バーンスタイン、アーロン・コープランド、指揮者のダニエル・バレンボイム。ミニマル・ミュージックの鬼才フィリップ・グラス。ジャズ界の至宝キース・ジャレット。タンゴの革命家アストル・ピアソラ。

大澤壽人も伝説の教師から多くを学んだのでしょう、新作をひっさげて、大胆にもパリ楽壇にデビューします。
高度な作曲技術、斬新な楽想は、オルテュール・オネゲル、ジャック・イベールらパリの名だたる巨匠の心をとらえ、絶賛されました。
日本人の作曲家としては、前代未聞の快挙、というべきではないでしょうか。

そのままパリの楽壇に根をおろせば、快進撃を続けることができたでしょう。

しかしながら、天の時はめぐりあわせが良くなかった。
1935年。ヨーロッパは風雲急を告げていました。
いくら音楽漬けの大澤でも、街を行きかう人々の表情に恐怖の影がさしていることに気づいたはずです。

ふたりの独裁者 ムッソリーニとヒトラー(1940年)(米国公立文書館(NARA)所蔵)

この年、アドルフ・ヒトラーは公然と再軍備を宣言し、ヴェルサイユ条約を踏みにじりました。
べニート・ムッソリーニはエチオピアに侵攻。大戦の予感に、だれもがおびえはじめました。

国際法を踏みにじったムッソリーニの侵略は、いろいろな点で、ロシアのウクライナ侵攻に似ています。

エチオピアのハイレ・セラシエ皇帝は「いま問われているのは世界の道義心だ」と演説。国連総会の出席者に感銘をあたえました。ウクライナのゼレンスキー大統領のみごとなスピーチを連想します。
それに対する国際連盟の回答は「経済制裁」でした。そこも似ています。

ところが英米仏をはじめとして、制裁の足並みがそろいません。すでに1931年の満州事変のときから、国際連盟の無力は、だれの眼にもあきらかでした。

軍事力にものをいわせて国際法をふみにじっても、罰せられることはない。
ムッソリーニの侵略は、満州事変と同様、最悪の「手本」となり、領土拡大に野心を燃やすヒトラーやスターリンの野望に火をつけました。

今回のウクライナ侵攻でも、もしロシアの国際法違反が罰せられないなら、「まねをする独裁国家」が現れないともかぎりません。
20世紀の悪夢が大規模に再演されるなら希望はありません。わたしたちは、いま、その瀬戸際に立っています。

ムッソリーニは「ローマ帝国の再建」、ヒトラーは「東方植民計画」という悪夢のような領土拡大計画を企てていました。いずれもウラジーミル・プーチンの考えと響き合う、危険な侵略思想でした。

そのころのウクライナにとってもっとも恐るべき「計画」は、いうまでもなく、ヒトラーの「東方植民計画」でした。
ウクライナ、ロシア、ポーランド、チェコなど、ドイツの東方にひろがる広大な土地をすべてドイツの植民地にする。そこで暮らす諸民族を、根こそぎ奴隷にするという計画です。奴隷になることを拒めば、虐殺します。

このヒトラーの妄想がウクライナにもたらした、想像を絶する悲劇は、ほとんど忘れられています。この連載の後半であらためてふれたいとおもいます。

ともあれ、ヨーロッパが戦争で火だるまになれば、音楽どころではなくなります。大澤が1936年の時点で帰国したのは賢明であったのかもしれません。

すでに満州事変の頃から、大澤は、戦争におびえていました。日記にこうあります。「満洲問題で心配する」「日本人排斥」「犬養首相が殺された(1932年の5・15事件)」「日本は無茶むちゃになった様な気がする」

3歳年下の貴志康一はすでに1935年、ベルリンから帰国していました。大澤もパリ楽壇へ復帰することを心に誓いつつ、1936年、帰国の途に就きました。

帰国後、東京でひらかれた「帰朝演奏会」で、さっそく大澤の作品が披露されました。ウクライナ出身のピアニスト、レオ・シロタが独奏を引き受け、貴志康一のときのように、若き天才をサポートしました。

ところが・・・東京での演奏会は思わしくない結果に終わりました。大澤のあたらしい音楽は、日本の音楽界には、受け入れられなかったのです。
当時の東京楽壇は、大澤の革新的な音楽語法を「欠陥」とみなしました。

その当時、ボストンやパリでこれほど高く評価されている作曲家はいませんでした。大澤もまさか、自分が東京楽壇に拒まれるとは予想していなかったでしょう。

ただ、大澤は、関西とボストンとパリしか知りません。東京楽壇の複雑な事情には免疫がなく、楽壇の大御所とも縁がありません。

そもそも、日本の音楽界を牛耳る官製の東京音楽学校(今の東京藝術大学)は、ドイツ音楽の牙城でした。

ドイツ以外の音楽、あるいは20世紀の音楽、とりわけドビュッシー、ストラヴィンスキー、シェーンベルクなど、大澤が大きな影響を受けた革新的な音楽にたいしては、いまだ関心も感受性も成熟してはいませんでした。

音楽学者の岡田暁生さんによれば、東京音楽学校では「戦後になるまで卒業試験でドビュッシーを弾くことさえ許されなかった」といいます。(「ドイツ音楽からの脱出?」2006)

大澤は、華やかなパリ楽壇から一転、戦争一色の日本に投げ込まれます。
戦時体制下の日本では、作曲家は、音楽による戦意高揚に動員されます。
つづく敗戦後の混乱のなかでは、だれもが生きていく手立てを見つけることに精一杯で音楽家として身をたてること自体が危うくなります。

身動きがとれない大澤はパリ楽壇への復帰を果たす夢を断念しました。

戦後の大澤は関西を拠点に、指揮や、映画音楽、放送など多彩な活動を始め、どの分野でも才能を発揮しますが、東京の楽壇には冷遇されました。

戦後の関西には、ウクライナの亡命音楽家が創造した音楽家のネットワークはすでになく、文化や経済の東京一極集中がすすみ、「阪神間モダニズム」の強力な発信力も、失われていたのです。

大澤は1953年、47歳の歳の若さで世を去りました。

死後、大澤の作品は、ほぼ完全に忘れられました。およそ半世紀のあいだ、数々の傑作は、研究も批評も演奏もされず、埋もれてしまいました。

大澤壽人(神戸女学院所蔵資料)

ところがどうでしょう。21世紀になって、にわかに大澤の作品が脚光を浴び、ながく忘れられていた名前がよみがえったのです。

大澤家に残された楽譜を発掘し、CDや演奏会をプロデュース、再評価のうねりを作ったのは、音楽評論家の片山杜秀さんです。

片山さんは言います。日本の楽壇が大澤を忘れてきたことは、「作曲家の業績に対してあまりにも非礼というほかない極端なものだった」と。(「作曲家のこと」2004)片山さんばかりでなく、いまこそ大澤を本格的に再評価すべきと考える音楽人は増えています。

大澤の魂は、21世紀に亡命していたのかもしれません。

ふりかえれば、大澤が1936年の帰国後に失速したことさえ、不審でなりません。時代が大澤を受け入れる力を失っていたのでしょうか。

おもえば大澤が帰国した1936年の日本では、音楽ばかりでなく、世の中の空気じたいがドイツ一辺倒にかたむいていました。ナチスへの急速な接近です。

1938年のプロパガンダ葉書“日独伊 仲良し三国”

1936年11月25日、日独防共協定が締結され、1938年にはヒトラーユーゲントが来日。3か月にわたり、ナチスへの熱狂的な歓迎がつづきました。

革新的な芸術家を排除するナチスの強権的な文化統制が推奨され、文化人の間では、ナチスに学べという声が急速にひろがりました。

ナチスは、ユダヤ系の亡命音楽人を演奏会から排除するよう日本政府に圧力をかけました。ソビエトは「仮想敵国」とされ、ソビエトから逃れたウクライナの音楽家にまで危機が訪れようとしていました。

貴志康一や大澤壽人を助け、日本の音楽界に多大な貢献をはたしたピアニスト、レオ・シロタ。朝比奈隆を育てた指揮者エマヌエル・メッテル。世界的なヴァイオリンの巨匠アレクサンドル・モギレフスキー。

かれら楽壇の恩人に対し、いわれのない差別や、執念深い警察の監視や訊問がはじまりました。

神戸で実現した亡命音楽家と日本人との「幸福な出会い」は、音をたてて崩れようとしていたのです。

次回は、戦争の時代に翻弄された、亡命音楽家レオ・シロタの運命をたどります。(第9回へ続く)

【FEEL ! WORLD①】
7月28日、ウクライナの詩人・ソングライターGIib Babichが戦死したというニュースが飛び込んできました。民衆に愛された詩人にしてジャーナリスト、そして志願兵でした。多くのウクライナ人に悲しみと衝撃が広がっています。

Glib Babichの最後の作品「モルファール」を、ウクライナの人気バンドKOZAK SYSTEMが絶唱しています。

モルファールという名の精霊に託して、戦場における兵士の心情、ふかい悲しみが吐露されます。

https://www.youtube.com/watch?v=L1xwIsPmFeI
(「モルファール」オフィシャル・ビデオ)

「戦場で自分の無力にうめき苦しんだ」
「わたしには兵士を墓に埋めることさえできない」
「戦死した兵士と焼き尽くされた土地」
「死んだ英雄は何の役に立つのか?」
「死んだものをよみがえらせることはできない」
「モルファールは嵐のように泣き叫ぶ・・・これは戦争!」
「元気を出せモルファール! われらは雲のごとく立ち上がった」
「土は兵士をおおい 真っ黒な武器をコウノトリに変えていく」
「兵士の翼のように コウノトリは飛び去った」

【FEEL ! WORLD②】

NHKの藤原ディレクターが侵攻の始まった翌月からウクライナに入り、ロシアとのし烈な情報戦を5か月にわたって、見つめました。8月7日(日)の放送です。

NHKスペシャル「戦火の放送局 ~ウクライナ 記者たちの闘い~」
【放送日時】8月7日(日) NHK総合 午後9:00~9:49
(再放送予定 8月11日(木) 午前2:30-3:19 ※水曜深夜)
【公式HP】https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/XXRQVZQRKG/

ウクライナの公共放送「ススピーリネ」を現地で長期取材。母国が戦場になったとき、記者たちは何を思い、何を伝え、何と戦ったのでしょうか。

京都大学文学部卒業、1981年にNHKに入局。特集番組の制作に従事。NHK特集「山口組」、ハイビジョン特集「笑う沖縄・百年の物語」、最近作にNHKスペシャル「新・映像の世紀」「戦後ゼロ年東京ブラックホール」「東京ブラックホールII破壊と創造の1964年」などがある。ユネスコ賞、バンフ国際映像祭グランプリ、ワールド・メディア・フェスティバル2019インターメディア・グローブ金賞など受賞多数。現在はフリーランスの映像ディレクター・著作家として活動。著書に『戦後ゼロ年東京ブラックホール』『1964東京ブラックホール』がある。