2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」とはまったく別の視点で、平安時代末期を描いたのが2012年大河ドラマ「平清盛」だ。その放送時に、NHKウイークリーステラにて人気を博した歴史コラム、「童門冬二のメディア瓦版」を特別に掲載!

「京の五条の橋の上 大の男の弁慶は 長いナギナタふりあげて 牛若めがけて切りかかる (2番略) 前やうしろや右左 ここと思えばまたあちら ツバメのような早業に 鬼の弁慶あやまった」

ぼくが小学校時代にうたった明治以来の文部省(いまの文部科学省)編集の『尋常小学唱歌集』のなかにある歌です。
題は〝牛若丸〟です。義経の幼名です。ふたりがはじめて出会ったときの事件を描いています。

伝承によれば〝悪僧〟と名高い弁慶は、「名刀を1000本集めたい」 という目標を立てていました。それも自分の武力によって奪いとるのです。999本まで集め、もう1本で念願がかなうというところまできました。ある日弁慶は、京都の五条大橋にやってきました。

そこで出会ったのが牛若丸です。牛若丸は黄金づくりの名刀を腰にさしていました。舌なめずりをした弁慶はおそいかかりました。しかし、くらやまできびしい修行をした牛若丸は、ヒラリヒラリと身をかわし、ついに弁慶を負かします。

くやしがった弁慶は、翌日清水寺にさんけいする牛若丸をもういちどおそいますが、また負けて降参し、牛若丸のけらいになることを誓います。

イラスト/太田冬美

現在鴨川にかか った五条大橋には、 ふたりの銅像がつくられていますが、 研究者はいくつかの疑問を提起します。

・当時五条大橋は いまの位置にはなかったこと
・もともと五条大橋は清水寺へ参詣する庶民のために架けられたものであり〝清水橋〟とか〝勧進橋〟とかよばれていたこと
・それを天正年間に豊臣秀吉が対岸に大仏殿をつくり、その参詣者のために、橋をすこし下流につけかえさせたこと
・このあたりの鴨川東岸(東山側)は六波羅で、平家の本拠です。そんなところで源氏の子孫である義経が、派手な決闘をやるだろうか

という疑問です。

ぼくにはなんともいえませんが、弁慶そのものもナゾにみちています。出生は熊野にかかわりをもち、捨て子で御所の貴人に育てられた、などいろいろな伝説があります。
清盛もおなじですが、そんなナゾを超えた活躍に注目したいと思います。

(NHKウイークリーステラ 2012年10月12日号より)

1927(昭和2)年、東京生まれ。東京都庁に勤め、広報室長、企画調整局長、政策室長などを歴任。退職後、作家活動に入り、歴史小説家としてあらゆる時代・人物をテーマに作品を発表する。