月刊誌『ラジオ深夜便』にて、2022年4月号より連載している「渡辺俊雄の映画が教えてくれたこと」をステラnetにて特別掲載。「ラジオ深夜便」の創設に携わり、現在「ラジオ深夜便」の「真夜中の映画ばなし」に出演中の渡辺俊雄が、こよなく愛するラジオと映画を熱く語る。

はじめまして、渡辺俊雄と申します。実は 「ラジオ深夜便」とは縁が深いのですが、この雑誌に寄稿するのは初めてなので、まずは自己紹介を兼ねて、なぜ私が映画とラジオをこよなく愛するのか語ってまいりましょう。

生まれは1949年7月、東京都世田谷区三軒茶屋の商店街で生まれました。実家は文房具屋で、映画全盛期だった少年時代には近所に映画館が沢山ありました。東映、大映、松竹、東宝系があり、それぞれ個性的な映画を連日上映していました。中でも、東映の時代劇は衝撃的でした。 当時ラジオにかじりついて聞いていた『新諸国物語 笛吹童子』が映画になったのです。

NHKラジオの放送は1953年1月〜12月 でしたが、映画はすぐ翌年4月に公開され、週替わりで全3部作を順次公開し大ヒット。最近話題の『めつやいば』をも上回る熱気がありました。

まだ幼い私は父親の肩車で見ましたが、殺到する観客で入口のドアが締め切らないほどの超満員状態でした。

後に私が大学で映画の研究を始めると、当時まだ新興の弱小会社だった東映が中村錦之助という歌舞伎出身の若者を主演に迎え、片岡千恵蔵や市川もん主演の目玉映画の添え物として子ども向けの映画を作ったら、たまたま大ヒットしたというのです。

当初は子ども目当ての「じゃりすくい」と同業他社から馬鹿にされたそうですが、ここに後に東映の大社長となる岡田茂という人物のけいがんがあったと思うのです。

戦後すぐの1947年から49年まで、毎年265万人以上の新生児が続々と誕生し、後に「団塊の世代」と呼ばれることになるからです。
この数字は昨年の新生児が80万人ほどだということを考えると驚異的です。あの頃はどこへ行っても子どもだらけで小学校の教室もにぎやかでした。

岡田茂社長とは、私が「衛星映画劇場」の支配人になって「日本映画誕生100年」の記念番組を制作する時に映画各社の取りまとめ役としてお世話になりました。「日本映画界のドン」と呼ばれただけあって大柄で怖そうでしたが、腹を割って話すと、「俺にまかせておけ」という器の大きさを感じさせる方でした。一昨年71歳で亡くなったご子息で東映会長の岡田裕介氏も私と同い年なので、いまにして思えば『笛吹童子』は子どもに絶対受けるという確信があったのでしょう。

それにしても戦後すぐの映画界の動きの素早さは見事で1952年4月〜54年4月、NHKで放送されたラジオドラマ「君の名は」もいちはやく松竹がラジオ放送中の1953年に映画化し、9月公開の第1部、12月公開の第2部を合わせた配給収入はダントツの1位、2位を独占しています。

この当時の映画を年とった今見ると、いろいろなことに気づかされます。戦国時代を背景にした『笛吹童子』の主人公、中村錦之助が演じた菊丸は笛の名手で非戦論者。「私は戦いは嫌だ」と断言して武器を捨て、笛の音で濁りや汚れに満ちた人の心を洗い流そうとするのです。

これは、長くつらい戦争を終えたばかりの日本人の「もう戦いは沢山だ」という心を反映していたように思います。今でも時々『笛吹童子』の主題歌が聴こえるような気がします。

渡辺俊雄(わたなべ・としお)
1949(昭和24)年、東京生まれ。’72年NHKにアナウンサーとして入局。地方局に勤務後、’88年東京ラジオセンターへ。「ラジオ深夜便」の創設に携わったあと、アナウンス室を経て「衛星映画劇場」支配人に就任。「ラジオ深夜便」の「真夜中の映画ばなし」に出演中。

(月刊誌『ラジオ深夜便』2022年4月号より)

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