執筆するのは、NHKスペシャル「新・映像の世紀」「戦後ゼロ年東京ブラックホール」をはじめ、多くの名作ドキュメンタリーを手がけてきた映像ディレクター・著作家の貴志謙介氏。全30回(予定)にわたり、ウクライナを軸に世界情勢とその背景にある歴史をひもといてゆく。
移民をふくめて5000万人におよぶとされるウクライナ人は、1991年まで、独立国家を実現することができませんでした。おもえばウクライナ人は、ユダヤ人、アルメニア人のように、20世紀を象徴するディアスポラ(民族の離散)の民でした。
いまから104年前。長くロシア帝国の圧政に苦しんできたウクライナ人は、「ウクライナ国民共和国」の独立を宣言しました。しかし、レーニンひきいるボルシェビキ(共産党)はウクライナを侵略し、知識人や民族主義者を惨殺しました。わずか2年足らずで、ウクライナの独立国家は滅ぼされました。ボルシェビキは、ロシア帝国にとってかわり、ヨーロッパ有数の穀倉地であるウクライナをわがものにしようと企てたのです。
その後ウクライナは長きにわたり、いわば「国内植民地」としてモスクワに支配されることになりました。20世紀におけるウクライナの悲劇は、このときからはじまります。
ところで、ウクライナ人の音楽家をふくむ亡命者は、どんなルートで神戸にやってきたのでしょうか。ロシアから西へ向かい、欧米へ離散した人たちもいれば、いまだ革命勢力の支配がおよばない極東へ向かった人たちもいました。
彼らはまず、「極東のパリ」とよばれた極東ロシアの国際都市ハルビンをめざしました。ハルビンには交響楽団があり、才能ゆたかな亡命音楽家が生きていく余地があったのです。音楽の才能がなくとも、そこに都市生活があれば、なんらかの仕事をみつけて糊口をしのぐことができるはず。
とはいえ、しだいに革命ロシアの勢力が浸透してきます。亡命者にとっては、極東の安全もあやうくなります。さらに安住の地をもとめるなら、東へ向かい、日本やアメリカをめざすほかありません。そうしたおおきなうねりのなかで、海を渡って、神戸や横浜、東京に腰を落ち着ける人々が数千人もいたのです。
その結果、「白系ロシア人」とよばれた亡命者は、イギリス人やアメリカ人を追い越し、当時の日本に居留する、最大の外国人集団になりました。
さらに1923年。関東大震災がおきると、東京や横浜をあきらめ、神戸に移住する亡命者が激増します。神戸は日本における「亡命者の首都」になりました。
(第4回へ続く)
【FEEL ! WORLD】
ロシア革命から逃れ、神戸にたどり着いたウクラニアンは、その後どのような生活を送ったのでしょうか。そして、日本文化にどのような影響を与えたのでしょうか。まもなく放送される以下の番組を見ていただければ、詳しく知ることができます。
「亡命のウクラニアン 百年の記憶」
【放送日時】7月8日(金) NHK-BS1 午前0:00~0:27 ※7(木)深夜全国放送
【公式HP】https://www.nhk.jp/p/osaka-nessisen/ts/X4X48GXNX2/episode/te/Z51YGJN255/
深江文化村で肩を寄せ合う亡命ウクライナ人の再現シーンです。在日ウクライナ人のみなさんが協力してくださり、史実に基づいて演出しました。みなさん、昔を演じながら、今に思いを馳せていらっしゃいました。(貴志)
京都大学文学部卒業、1981年にNHKに入局。特集番組の制作に従事。NHK特集「山口組」、ハイビジョン特集「笑う沖縄・百年の物語」、BS特集「革命のサウンドトラック エジプト・闘う若者たちの歌」、最近作にNHKスペシャル「新・映像の世紀」「戦後ゼロ年東京ブラックホール」「東京ブラックホールII破壊と創造の1964年」などがある。ユネスコ賞、バンフ国際映像祭グランプリ、ワールド・メディア・フェスティバル2019インターメディア・グローブ金賞など受賞多数。現在はフリーランスの映像ディレクター・著作家として活動。著書に『戦後ゼロ年東京ブラックホール』『1964東京ブラックホール』がある。2023年3月放送の「ETV特集・ソフィア 百年の記憶」では、ウクライナ百年の歴史リサーチ、映像演出を担当。