執筆するのは、NHKスペシャル「新・映像の世紀」「戦後ゼロ年東京ブラックホール」をはじめ、多くの名作ドキュメンタリーを手がけてきた映像ディレクター・著作家の貴志謙介氏。全30回(予定)にわたり、ウクライナを軸に世界情勢とその背景にある歴史をひもといてゆく。
先日、「横綱大鵬の父親はウクライナ人」という新聞記事を読み、ウクライナと北海道に思いがけない縁のあることを知りました。
そのとき、走馬灯のように脳裏によみがえったのは、神戸とウクライナをめぐる、百年にわたる驚くべき物語でした。
神戸には、北海道よりも、はるかに奥深いウクライナとの縁があったのです。
いまでは忘れられていますが、神戸には「深江文化村」とよばれる一角がありました。そこにはかつて、ロシア革命で日本に亡命した、いわゆる「白系ロシア人」の暮らす洋館がならび、英国庭園をおもわせる緑の中庭をとり囲んでいました。
残念ながら、その美しい景観は1995年の阪神大震災によって失われ、いまは洋館二棟(国の登録有形文化財)を残すのみで、往年の面影はありません。
わたしは神戸の大震災のとき、深江で被災者に弁当を配るボランティアをしていたので、今もこのあたりを歩くと、廃墟と残骸のすさまじい光景がよみがえります。
しかし「深江生活文化史料館」に残されている写真をみれば、戦前の風景が驚くほど違っていたことがわかります。白く輝く砂浜、あざやかな緑の松林。深江文化村一帯は、神戸でもひときわ瀟洒な海辺の別荘地だったのです。
「ボクらは『異人村』言うとった。外国人の集まるクラブがあって音楽会やパーティが開かれたり。海辺へ行くと青い目の外人さんが日光浴してた」
深江で生まれ育った自治会長の森口さんが、親の世代から何度も聞かされた話です。
国際貿易の玄関だったミナト神戸に近い、風光明美な国際リゾート。往年の文化村は、庶民には近寄りがたい別世界だったのでしょう。
ただ、忘れてはならないことがあります。ここへやってきた外国人がバカンスをもとめてやってきた人たちではないということです。それどころか、革命と内戦、血なまぐさい暴力の吹き荒れるロシアから命からがら逃れてきた亡命者だったのです。かれらは「白系ロシア人」と総称されていました。
「白系ロシア人」とは、どのような人たちだったのでしょうか。一般には、第一次大戦の前後、ロシア革命の恐怖から逃れ、世界に離散した亡命者を指します。革命軍すなわち赤軍の「赤」に対して、革命を受け入れない人々を「白」と呼んだのです。
もっとも、その内実は、さまざまな民族の寄せ集めでした。ロシア人ばかりでなく、ウクライナ人もいれば、ポーランド人、リトアニア人、チェコ人、ルーマニア人、セルビア人、ユダヤ人、タタール人など、旧ロシア帝国の多様な民族が含まれていました。
ところが亡命者を登録した日本の内務省は、厳密な区別をせず、十把ひとからげに「白系ロシア人」とみなしていました。
もちろん民族は違っても、厳寒のシベリアの大地を横断し、地球を半周するほどの距離を越えてきた苦難の旅人であることには変わりがありません。
(第3回へ続く)
写真協力:公益財団法人 日本ユニセフ協会
ユニセフは、ウクライナと周辺国の国境付近に子どもたちと家族への支援拠点を設置するなど、ウクライナ国内外で人道支援を届けています。
https://www.youtube.com/watch?v=f7APQd5BBFo
世界中の難民の保護や支援に取り組むUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が最新のデータを公表しました。ウクライナの難民がすでに800万人に近づいているというのです。きわめて深刻な事態です。
UNHCRは、難民の心情を描いた2分24秒のショート・フィルムを制作しました。ぜひご覧ください。この作品のなかで演じている俳優は、すべてウクライナの難民です。ラストシーンを皆さんはどうご覧になるでしょうか。
京都大学文学部卒業、1981年にNHKに入局。特集番組の制作に従事。NHK特集「山口組」、ハイビジョン特集「笑う沖縄・百年の物語」、BS特集「革命のサウンドトラック エジプト・闘う若者たちの歌」、最近作にNHKスペシャル「新・映像の世紀」「戦後ゼロ年東京ブラックホール」「東京ブラックホールII破壊と創造の1964年」などがある。ユネスコ賞、バンフ国際映像祭グランプリ、ワールド・メディア・フェスティバル2019インターメディア・グローブ金賞など受賞多数。現在はフリーランスの映像ディレクター・著作家として活動。著書に『戦後ゼロ年東京ブラックホール』『1964東京ブラックホール』がある。2023年3月放送の「ETV特集・ソフィア 百年の記憶」では、ウクライナ百年の歴史リサーチ、映像演出を担当。