みなさん、「NHK放送博物館」、通称「放博(ホウハク)」をご存じでしょうか? 聞いたことない? それは困ります!

ではこれから、私、「NHK放送博物館」の館長こと川村誠が、その歴史と館内のお宝(展示物)の数々を紹介していきましょう。この連載コラムをお読みいただくうちに、きっと皆さんも、「放博」を訪れてみたくなること請け合いです。 

コラム第1回では、「放博」の歴史についてご紹介したいと思います。

現在、「放博」がある場所は、日本で初めてラジオの本放送が送信された東京・港区たごやまです。この地で、1956(昭和31)年に世界初の放送専門の博物館として開館しました。放送事業者が設立した博物館としても世界的に珍しい施設です。

「放博」が立つ愛宕山は、自然の地形としては東京都23区内で最も標高の高い場所(25.69m)です。山頂の「愛宕神社」とともに都内の桜の名所としても知られ、春になると約20種類2000本の桜が咲き誇ります。

大正時代にはまだ周辺に高い建物はなく、遠くまで放送を送り出す好適地でした。ちなみに、放送局が建つ前までは、明治時代に開業した「愛宕館」というモダンな宿泊施設がありました。1923(大正12)年の関東大震災で展望台「愛宕塔」とともに倒壊してしまったため、放送局の建設地として利用されました。

愛宕館と愛宕塔(明治25年ころ)

そして1925(大正14)年7月に、日本で初めてラジオの本放送開始にあわせて、この地に建設されたのが東京放送局・JOAKの局舎です。今のNHKの前身となる社団法人としての「日本放送協会」が設立されたのは、その翌年のこと。私たちが愛宕山を「放送のふるさと」と呼ぶゆえんです。

当時の放送局舎は、現在駐車場となっている広場のあたりに2本の送信塔とともに建っていました。

旧東京中央放送局 局舎遠景(1936年)
当館で展示中の旧局舎模型

この送信塔は、昭和の日本を代表するタワー設計の第一人者、内藤多仲氏によるものです。東京タワーや大阪の通天閣、名古屋テレビ塔など、鉄骨構造による電波塔の設計を数多く手掛け、「塔博士」と呼ばれた人物です。

1938(昭和13)年に内幸町にNHK東京放送会館が完成した後、局舎は愛宕山分室として、NHK放送文化研究所などに使われてきました。その後、放送開始30周年を記念して「NHK放送博物館」が1956(昭和31)年に開館。1968(昭和43)年に現在の建物となり、2016(平成28)年に内部をリニューアル、現在に至ります。

約100年前にここ愛宕山から始まったNHKの放送は、関東大震災からの復興から始まり、長い戦争の時代、戦後の混乱から高度成長期を経て、デジタル化そしてインターネット全盛の現代となった現在も、メディアの中心的役割を担っています。

「NHK放送博物館」では、放送がたどってきた100年の歴史を、常設展をはじめさまざまな企画展やイベントを通じて、ダイナミックかつ感動的に知ることができます。いわば放送の「温故知新」を体験できるアミューズメントパークともいえるでしょう。(ちょっと言い過ぎでしょうか苦笑)

次回は、「放博」のお宝(展示物)をご紹介します。

「NHK放送博物館」
https://www.nhk.or.jp/museum/