プレミアムドラマ「しずかちゃんとパパ(5月1日に最終回放送)は、聴覚障がいのある父・純介(笑福亭鶴瓶)と2人で暮らす娘・静(吉岡里帆)が、少々変わり者のデベロッパー・圭一(中島裕翔)と織りなす笑いと涙の物語。

〈第5回のあらすじ〉
静(吉岡里帆)と圭一(中島裕翔)は初めてのデートに出る。商店街から離れないデートコースにやきもきし通しの静だが、圭一が見せたいものの正体を知り、純介(笑福亭鶴瓶)に圭一との交際を打ち明ける決心をする。

〈第6回のあらすじ〉
圭一が示した商店街の看板を残す計画に人々の心は揺れていた。そこへ真琴(藤井美菜)が現れる。実は梅子(萩尾みどり)の親戚だったのだ。静と鉢合わせした真琴は「優しい世界」と挑発するような言葉を投げかける。


第5・6回に描かれたのは、静の自身の過去への受容。そして自己への肯定だった。

「イラつくって怒られたり、こびてるとかあざといとか、うざいとかキモいとか怖いとか不幸自慢とか、めちゃくちゃ傷つく悪口を言われたり……」

「私、そういうのばっかなんですよね。無かったことにしたいことばっか」

そんな静だったが、圭一と出会い、自身を見つめ直す中で、ある変化が訪れる。

「過去って変えられない、って思ってたけど、変わっちゃいました。あそこで働いてて、悪口言われて、よかったです。ありがとうございます、変えてもらって」
* * *
「本当は好きなんです、私。大好きなんです、私のこと」

実は、私にも〝無かったことにしたい〟過去がある――。

高校に入学して間もなく、容姿を笑われたことがきっかけで学校に通えなくなった。
一部のクラスメイトにとって、私は「かわいそう」な子だったようだ。何かにつけて「かわいそ〜(笑)」とクスクスする声が聞こえた。

今でもあの声を思い出して、あの目線が向けられているような感覚に陥る時がある。
これ以上はもう思い出したくもない。無かったことにしたい、といまだに思っている。

教室に入るのが怖くて、学校の最寄り駅で同級生に気づかれるのも嫌で、途中下車して制服のまま、真っ昼間の映画館に入った日のこと。

思春期の少女の心の揺れ動きを描いたアニメの劇中で主人公が「私は、私が嫌い」とつぶやくシーン。
静まり返るシアターの中、私は嗚咽おえつした。

みんなが学校に行って勉強している間に、私は何をしているのだろう。
何でこんなところで泣いているのだろう。
こんな私のことを知ったら、親はもっと泣くだろう。
先生はあきれるに違いない。
みんなに迷惑をかけてまで私が生きている価値はなんだろう。
これじゃあ本当に私は「かわいそう」な子じゃないか。

一方的に投げられた「かわいそう」だったが、あの日、私は否定できる余裕も根拠も奪われかけていた。
ひどく惨めな気分だった。

上映前に設定したスマホの「機内モード」を解除する気にはさらさらなれなかった。
大人たちの心配の電話やメールが飛び込んでくるのは目に見えていた。放っておいてほしかった。
心配される価値もないのに心配してもらえるありがたさが、苦しかった。

まるで触らなくても痛く、いつまでも乾かない傷のようだ。
時々思い出される、カサブタにもなれない私の記憶。


あれから何年も経って、私も大人と呼べる年齢になった。
けれど、やっぱりあの時を思い出すと鼻の奥がツンとする。惨めったらしさがジワジワと染みていく。当時気に入って聴いていた曲を流してみても、懐かしさより先に息苦しさがフラッシュバックする。

日々流れてくる辛いニュースを見ては、他人をおもんぱかって、どこかで自分と重ねては心を痛めてしまう。気にせず受け流せばいいことが、受け流せなかったりもする。
〝燃費の悪い〟大人になった。

辛かった記憶は消えない。この先もずっと、私の一部として抱えて生きていくのだろう。
スマホのデータのように、選択して削除できるならそうしたいものだけれど、
人間だからそうもいかない。

でも、それも悪くないのかもしれない。
折り合いをつけるのが下手で不器用な私からこの性格を取ったら、何が残るのか?
絶対に戻りたくないと思うほどの過去が、私を私たらしめている。

辛い思い出は、基本的にはずっとその先も辛いものだ。
時間が経ったら痛みが消え去ってくれるなんて、そんな都合の良いことはたいてい起きない。
ただ、〝私は私というたった一人の存在である〟と肯定できるちょっとした材料にはなる。
「自分のことが大好き」とまでは思えなくても、悪くないかも、くらいに思えたら万々歳だ。

「大好きなんです、私のこと」
静のように、そう笑って伝えられる日が来たらと、心ひそかに思う。

1998年、東京都生まれ。大学院では「狂言に描かれる障がい者像と笑い」について研究。身体性別による差別と、それを取り巻く社会構造についても大きな関心を寄せる。女性の人権活動に多数参加。