2025年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の連載コラムは、5人の先生に担当いただき、それぞれの専門分野からドラマが描く時代・社会・政治・文化をわかりやすく解説いただきます。今回の担当は、湯浅淑子先生。担当テーマはおもに「近世の出版史」です。

 


 

東京墨田区にある「たばこと塩の博物館」で学芸員をしている湯浅淑子と申します。当博物館の展示では、版元(本の出版元・発行元)や出版統制に関わる「江戸の出版仕掛人」(1992〜2001年度)や、「200年前が面白い 寛政の出版界と山東さんとうきょうでん」(1995年度)などを担当してきました。

また、「幕末の風刺画」(1993年度)、「江戸のおもちゃ絵」(2020・2023年度)など、浮世絵版画としては王道ではない風刺画やおもちゃ絵などに焦点を当てた展示も企画しました。これらの展示をとおして、江戸時代の出版ルールや版元たちのこと、江戸時代の多彩な出版物について学んできました。

出版業の発達と出版物の普及というのは、江戸時代の特徴の一つだと思います。毎年多くの多種多様な出版物が作られ、貸本屋や本屋を通じて一般の人々が出版物を手にしていました。

例えば、幕末から明治初期にかけて日本に滞在したロシア人は、茶屋の娘が暇さえあれば本を読んでいたと手記に記しています。これからもわかるように、特別に高度な教育を受けていない人々も出版物を楽しんだ、楽しめた時代でした。

日本における多くの産業の例に漏れず、出版業も上方かみがた(京都や大坂周辺)でおこり、江戸時代初期にはまだ上方の方が江戸よりも発展していました。

割印わりいんちょう」という、江戸における本の販売許可記録があります。これによると、18世紀初頭の江戸で流通していた新刊本のうち、地元(江戸)で出版された本は3分の1強に過ぎず、残りは上方の本屋のものでした。しかしこの割合は次第に拮抗きっこうしていき、18世紀末以降は逆転します。

ここでいう本とは、仏書ぶつしょや学問書、うき草子(当世風の風俗や人情、愛欲、経済などを題材にしたおもに上方で出版された読み物)といった出版物のことです。

(上2点)演劇を元にした浮世草子『ろく曽我そがおんな黒船くろふねほんちょう会稽山かいけいざん』より 八文字自笑・江島其磧作 享保13年(1728)刊 八文字屋八左衛門版
国立国会図書館デジタルコレクションから転載

江戸には、上記とは別にほんというものがありました。地本とは「地物の出版物」という意味で、17世紀後半に誕生して*赤本あかほん*青本あおほん黒本くろほん*びょう*合巻ごうかんへと変化していくくさぞうや、墨摺すみずりからしょくずりへと発展していく浮世絵版画などはその代表です。

  • *赤本: いろの表紙の本で、おとぎばな​しや祝儀物、演劇物など、子どもを含む江戸庶民に向けた娯楽読み物
  • *青本・黒本: もえいろあるいは黒色の表紙の本で、浮世草子や人形じょう瑠璃るりなどもある、子どもを意識した江戸庶民に向けた娯楽読み物
  • *黄表紙: 萌黄色の表紙で、安永4年の『金々先生栄きんきんせんせいえい花夢がのゆめ』以降の草双紙のこと。当世風の滑稽や洒落などがもりこまれ、知識の高い成人、事情通に向けた読み物
  • *合巻: 忠義やかたきちなどを題材とし、長編化したため、数冊を合冊したもの。18世紀末ころから見られるようになる草双紙の最終形態。
絵草紙屋西村屋与八の店頭「彩色さいしきつのより 鳥居清長画 天明7年(1787)刊 西村屋与八版 国立国会図書館デジタルコレクションから転載

江戸では、上方由来の出版物を扱う本屋を書物問屋、江戸オリジナルの出版物を扱う本屋を地本問屋と呼び、それぞれが出版数を増加させていきました。

彼らは日本橋をはじめとする繁華街に店を設け、本を販売し、版元として出版も行いました。そして、江戸で流通する出版物は江戸の人々に楽しまれるばかりでなく、参勤交代で江戸に滞在している武士たちや、商売で江戸を訪れる地方の商人などをとおし、全国各地に広まっていきました。

(上2点)当時の流行語「こいつは日本(=すばらしいという意味)」をタイトルにした黄表紙『此奴こいつ日本にっぽん』より 四方(大田南畝)作 北尾政美画 天明4年(1784)刊 蔦屋重三郎版 *天明3年刊の『寿塩屋婚礼』の改題本という
国立国会図書館デジタルコレクションから転載

書物問屋や地本問屋は日々、本の作者や絵師と交流し、ちまたでは何が流行はやっているか、どのように宣伝すると効果的か、などの情報を集め工夫を重ねていたことでしょう。版元に焦点を当てて出版物を見ていると、特定の作者や絵師とのつながりが見て取れることもありますし、それぞれ得意なジャンルがわかることもあります。

江戸時代の出版物の大部分は、木版もくはん印刷によるものです。墨摺すみずりの本であれば一丁(表裏2ページ分に相当。原稿用紙を半分に折った体裁イメージです)に1枚のはん色摺いろずりの本や浮世絵版画であれば、使用する色の数だけ板木を彫らなければなりません。

板木一枚一枚がほりたちによって彫られ、その後、すりたちによって摺られ、印刷物ができます。彫師や摺師は、名前が表に出ることが少ない職人たちですが、彼らの腕が悪ければ、せっかくの版下(下書きを経て制作された最終稿で、これを直接板木に貼ります)が台無しになりますし、出版物の印象が変わってしまうことさえあります。

実際、摺師出身といわれる版元・もり治兵衛じへえは、彫師仲間に軽視されていたのか腕の良い彫師がつかず、「森治の悪彫」という悪口を言われていたようです。このように、作者や絵師との付き合いばかりでなく、彫師や摺師とのつながりについても、版元の果たす役割は大きかったことがわかります。

出版物にとってとても重要な存在だった版元ですが、著名な作者や絵師に比べて詳細な経歴のわかっている版元はさほど多くありません。

その中で大河ドラマ「べらぼう」の主人公・つたじゅうざぶろうは、ドラマの時代考証を務める中央大学の鈴木俊幸先生の研究により、もっともその動向が明らかになっている版元と言えるでしょう。鈴木先生は蔦重が版元の出版物を1点1点丹念に調査され、そこから見える版元としての特徴を論じてこられました。

寛政かんせい改革で処罰されたことや、謎の絵師・*とうしゅうさい写楽しゃらくの版元であることがよく取り上げられる蔦重ですが、鈴木先生の一連の研究から、むしろもっと若い頃の出版物に商売上手であった証があり、流行に敏感かつ流行を作り出す能力に長けていたことが明らかになっています。ドラマでも、きっと若々しい才気あふれる蔦屋重三郎が描かれることでしょう。

このたび本コラムにて、版元のことや出版統制について執筆することとなりました。蔦重と同じ時代に活躍したほかの版元たちの特徴や、寛政改革での出版物に対する法令について取り上げ、この時代の出版物の面白さをお伝えできればと思います。

1年間、どうぞよろしくお願いいたします。

*東洲斎写楽の「洲」は、江戸時代には「しゅう」ではなく濁音の「じゅう」と読まれていた可能性が高く、「とうじゅうさいしゃらく」とする研究者も少なくありませんが、ここでは慣用的に現在一般に知られている読み方としています。

参考文献:『江戸の本屋さん』(今田洋三著 日本放送出版協会)
     『回想の明治維新 ロシア人革命家の手記』(メーチニコフ著 岩波書店)

 

たばこと塩の博物館 主任学芸員。日本近世史、風刺画やおもちゃ絵などについて研究している。東京学芸大学教育学部卒。著書・論文に「支配勘定大田直次郎」(『大田南畝の世界』展図録所収)、「江戸のおもちゃ絵」(『書物・印刷・本屋――日中韓をめぐる本の文化史』所収 勉誠社)、「とてつる拳と鯰絵」(『鯰絵のイマジネーション』展図録所収)など。