2025年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の連載コラムは、5人の先生に担当いただき、それぞれの専門分野からドラマが描く時代・社会・政治・文化をわかりやすく解説いただきます。今回の担当は、小林ふみ子先生。担当テーマはおもに「江戸文芸」です。

 


 

皆さん、はじめまして。法政大学の小林ふみ子と申します。

ついに大河ドラマも民間活力に目を向ける時代なのか、つたじゅう三郎ざぶろうなる江戸の一町人が主人公になる展開となった2025年。そもそも彼が活躍した18世紀後半がどんな状況だったのか、多少なりとも知っていらっしゃる方はなかなかの「つう」でしょう。

ちなみに、「通」ということばは、この時代の流行語です。ただし現代とは異なり、独特の美意識を表す用語でした。

さて蔦重が活躍したのは、江戸文芸として比較的有名な十返舎一じっぺんしゃいっ東海とうかい道中どうちゅう膝栗ひざくり』や、きょくていきん南総なんそうさとはっ犬伝けんでん』の出版より少し前のことです。蔦重時代の江戸文芸というと、教科書でもかろうじて書名があげられるくらいで、多くの方にとってはほとんどなじみがないのが現状でしょう。

とはいえ、遊び心にあふれた楽しい作品ぞろい。私のコラムでは、この時期の江戸文芸の研究者のひとりとして、蔦重らが出版した本がどのようなものなのか、どんな作者が書いたのかを、その背景とともにご紹介していきたいと思います。

その前に、蔦屋重三郎が活躍する舞台・江戸について把握しておきましょう。

江戸は、幕府(当時の言いかたでは「こう」)が所在した日本随一の大都市で、人口も100万人を超えて安定期に入っていました。小さな町や村が点在するくらいだった関東平野に徳川とくがわ家康いえやすが本格的に都市を建設しはじめてから1世紀半、ようやく江戸らしい独自の文芸・文化が華開いてきたころです。

鍬形くわがた蕙斎けいさい(北尾政美まさよし)「江戸名所之絵」 きょう3年(1803)刊 個人蔵
隅田川東岸の向島、現在の東京スカイツリーあたりに視点をおいて江戸の全貌を想像して描いた鳥瞰図。

ここで「通」な皆さんは、江戸には蔦重の時代よりずっと前から浮世絵師・菱川ひしかわ師宣もろのぶがいたじゃないか、代々の市川團十郎が人気を誇った江戸歌舞伎かぶきがあるじゃないか、と思われるかも知れません。しかし、いずれも独自性はあるものの、洗練された上方かみがた(京都や大坂付近)文化の比ではない、新興都市らしい力強くも素朴な文化でした。

師宣とほぼ同じころ、俳諧はいかい(現代の俳句のもと)をしいのひとつとして、その文芸性を高める大きな役割を果たしたまつしょうしょうごく・伊賀から江戸にくだってきたのも、新興都市にあらたな可能性を求めたがゆえのことだったのです。

このドラマの舞台となる18世紀中頃の江戸を象徴するのが、なにより「江戸っ子」ということばの誕生でしょう。この語が確認できる最古の文献はめい8(1771)年のせんりゅうで、この時期になってようやく江戸が、他国に誇れる都市になったことを端的に表しています。

もう一つ、この時期の江戸の文化的発展を示すのがしょくずり木版画、いわゆるにしきの発明です。それまでも数色の色摺いろずりはありましたが、紙全体に多くの色を施した多色摺は目新しく、あずま(江戸は東都などとも呼ばれました)ならではの、錦のように美しい特産品「東錦絵」と賞賛されたのです。

おおなんぼけ先生文集』 明和4年(1767)刊 個人蔵 より「東の錦絵をむ」冒頭 大田南畝が数え19歳にして出版した狂詩(滑稽な漢詩体の詩)集から「東錦絵」を題にしたもの。この詩の大意は「たちまち東錦絵へと流行が移って、それまでの素朴な紅摺絵は1枚も売れない時代となった。今や鳥居派がどうして春信にかなうだろうか。いまどきの男女の姿をさながら描きだしているのだから」。※赤枠は編集部

文芸の世界でも、江戸独自のジャンルがこの時期に発展します。

先にも触れた川柳は、浅草の雑俳(遊戯的な俳諧)の師匠・からなにがしが「川柳」という筆名を用いて発想の面白さを競いあう投句(投稿)形式の大会を主催して人気を博したことに始まります。その成果が続々と出版され、彼の筆名がジャンル名となったものです。江戸落語のもとになる笑い話集が数多く出版されるようになったのも、この時期です。

とりわけ蔦重の成功は、江戸独自の文芸・さく(通俗文学の総称)の誕生と密接に関わっています。江戸の娯楽的読み物である「戯作」の語義は、(学芸という)本業から脇道にそれた“たわむれ”の著述という意味です。江戸の「町人文化」イメージに反して、当初、これをリードしたのは武士を中心とする知識階層でした。

以前は、はら西鶴さいかくなど上方流の読みものがポピュラーでしたが、だんだん江戸で作られた戯作作品が人気を集めるようになり、18世紀前半から半ばにかけて、世間のアラを探しては面白おかしく描き出すだんぼんが人気を博しました。

そこに、あり余る才智と筆力をふりかざして威勢よく参入したのが、このドラマにも登場するひら源内げんないです。また、遊廓での遊びが盛んになるなか、色街での会話をいきいきと描き出した多くの洒落しゃれぼんも登場します。

その後、流行などの大人の笑いを盛りこんだ絵入り読み物・びょうというジャンルの誕生、加えて江戸狂歌(滑稽な発想や言語遊戯を和歌の形式に盛り込んだもの)の流行が、蔦重成功の重要なカギになっていきます。

とりあえず押さえておきたいのは、蔦重が登場したのは、ちょうど江戸という都市に新たなものを生み出す文化的な機運がみなぎった時代だったということです。

大河ドラマはフィクション作品ですから、時代考証の裏付けを得ながらも、虚実ないまぜの“江戸”が私たちの目の前に立ちあがり、そこで波乱に満ちた蔦屋重三郎の約50年の生涯が描かれていくはずです。

ドラマと本コラムを照らしあわせていただくことで、皆さんがかつて教科書で学んだ江戸時代像をアップデートしてもらえるよう、ほかの執筆者とともに努めていきたいと思います。1年間のおつきあい、どうかよろしくお願いいたします。

 

参考文献:中野三敏『十八世紀の江戸文芸――雅と俗の成熟』(岩波書店)
     渡辺浩『東アジアの王権と思想』(東京大学出版会)

 

法政大学文学部教授。日本近世文芸、18世紀後半~19世紀はじめの江戸文芸と挿絵文化を研究している。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。2003年に第29回日本古典文学会賞、2023年に第17回国際浮世絵学会 学会賞を受賞。著書に『天明狂歌研究』(汲古書院)、『大田南畝 江戸に狂歌の花咲かす』(角川ソフィア文庫)、『へんちくりん江戸挿絵本』(集英社インターナショナル)など。