6月に発生した地震の中で、災害時の放送を見直す契機となった事例として、今回は、1978年6月12日の宮城県沖地震を挙げたいと思います。
この年の宮城県沖地震は、電気・ガス・水道・通信といった、生活を維持するための「ライフライン」の被害が大きく注目された地震災害でもありました。ライフラインがマヒしたことから、被災地の住民は不便な生活を強いられ、必要な情報も十分に得られず、地震発生の当日は、真っ暗な中で夜を過ごさなければなりませんでした。
そこで、NHK仙台放送局は、被災地の住民の多くが見ることのできないテレビでは被災地外(全国)向けの情報を伝え、被災地の住民の多くが聴くことのできるラジオでは被災地向けの情報を伝えることにしました。
前回とりあげた1964年の新潟地震では、一般の人々からの強い希望から、放送局が個人の安否情報の放送をはじめました。この宮城県沖地震では、放送局側が自発的に、「身近なところに何か情報がございましたら、NHK東北本部(=仙台放送局)までご連絡ください」などと一般の人々に情報の提供を呼びかけました。
そして、個人の安否だけではなく、「懐中電灯ですごしている方が大勢おいでかと思います。仙台市上杉の電気屋さんでは電池の販売を一人2個に制限しています」「地震でドアが開かなくなって家の中に入れないという方。
無料で修理作業を行います。仙台市向山、〇〇商会」といった通常では扱わない個人の店の商品やサービスにまで触れた生活情報を放送し、高く評価されました(アナウンスの内容は、2003年2月放送の「NHKスペシャル テレビは災害をどう伝えてきたか」を参考にしました。一部修正しています)。
さて、当時、静岡に住んでいた中学生の私には、ここで挙げたような被災地向けの情報がテレビで放送されていた記憶があります。私の間違いでなければ、被災地向けの情報が全国に流れていた時間があったということです。
スタジオでアナウンサーが淡々と原稿を読むだけの映像でしたが、建物が壊れている映像よりも、火災の映像よりも臨場感があり、強く印象に残りました。
携帯電話やインターネットが普及し、情報を発信・受信する手段が増えた現在でも、メディアの特性などから考えると、災害時には、ラジオは被災地向けの情報が中心の放送、テレビは被災地外向けの情報が中心の放送という体制をとることは有効だと思います。
ただし、被災地外向けの放送といっても、物理的な被害の映像を中心に伝える必要はないのかもしれません。被災地の住民が求めている生活情報を被災地外にも伝えることで、被災地外の人々が、その災害で起きている問題を理解するヒントになるかもしれないからです。
とにもかくにも、6月に起きた新潟地震と宮城県沖地震は、テレビ・ラジオの災害報道のあり方を再確認させ、特に被災した人たちのニーズに応えるための放送体制の基礎を作ったと言えるでしょう。
(NHKウイークリーステラ 2021年7月9日号より)
日本大学文理学部社会学科教授。専門は、災害社会学、災害情報論、マス・メディア論。災害情報・報道に対する人々の意識や評価、震度情報・津波警報・緊急地震速報などの地震・津波情報の適正化が主な研究テーマ。大学では、テレビ・ラジオの歴史や番組を扱ったマス・メディアに関する授業も担当している。