裏千家第15代家元だった千玄室せんげんしつさんは2023(令和5)年に100歳を迎えました。同志社大学在学中に学徒出陣で海軍に入隊。特別攻撃隊に志願しましたが、出撃することはありませんでした。

今も特攻隊の生き残りとして、出撃した同輩への思いを強く感じ、お茶の精神を通して平和を実現しようと各国を歴訪しています。精力的に活動を続ける千さんに、お話を伺いました。
聞き手/嶋村由紀夫
この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年1月号(12/18発売)より抜粋して紹介しています。


「お母さん」と泣いて突撃した仲間

――皆、特攻隊員として出撃された。

 はい。特攻訓練を終えた者から編隊を組み鹿児島の鹿屋かのや基地へ行き、飛び立ちました。

私は茶箱を持参していました。茶道具がすべて収納できるポータブルな箱です。利休は、織田信長や豊臣秀吉の戦陣で、陣中茶をてていました。徳島では皆、私が千家の息子と知っていましたから、司令官や仲間に野点のだてをすることもありました。10人ぐらい集まって、配給のようかんとやかんの湯で点てた茶で、飛行服のまま一服します。

訓練後にお茶をいただきながら、「千ちゃん、生きて帰ってきたらまた茶を飲ませてくれよ」と言った者もいました。すると「ああ、出撃したら、もう生きて帰れないのだ、生きて帰れないのだよ」と、その場にいた皆がぼう然とした顔をしました。

そのとき初めて実感が湧いたのです。すると突然西村が、「おふくろに会いたいな」と言い、茶碗を置いて故郷に向かって「お母さーん!お母さーん!」と呼んだんですよ。

もういっぺんおふくろに頭をなでて、抱いてもらいたかった。皆「お母さーん」と叫びながら、次々と突っ込んでいきました。今でも私の鼓膜に、その声が残っています。

お茶で世界平和の活動を進める

――家元を継がれてから、お茶で平和を説く「一わんからピースフルネスを」という理念で、世界各地を回っていらっしゃいます。

 はい。これまで70か国近くを、茶道具を持って世界を回ってきました。きっかけは、戦後、GHQから来た民間情報教育局の局長がお茶が大好きだったことです。その方が父に「これから友となる国である日本の伝統を、アメリカに知らせたい。それはお茶だと思う」とおっしゃったそうです。

そこで多忙な父に代わって私にアメリカ出張の話が来たのですが、私は「嫌だ」と突っぱねました。「負けた国がなぜ行かなければならないのだ」という思いがあったのです。

そんなとき、早稲田大学に復学した戦友から、アメリカ駐留軍の司令官だったダイク代将の講演の話を聞きました。代将は「日本にはアメリカよりも、もっと古い民主主義がある。それは茶道だ。千利休は戦国時代でさえ武家に刀を置かせ、丸腰で茶室に入れた。そして商人、農民もともにお茶を点てた。けいせいじゃく、和する、敬い合う、清らかな気持ちと不動の心を持つことが大事だ」と話されたそうです。

和敬清寂は、千利休が唱えた茶の心得です。その話を聞き、私はアメリカ行きを決意しました。
※この記事は2023年9月19・26日放送「一碗の茶に込めた思い」を再構成したものです。

特攻隊を経験した千さんの平和への思いは、月刊誌『ラジオ深夜便』1月号をご覧ください。

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