「紅白歌合戦」は年明けの正月番組としてスタート 年始番組の中には、ニワトリの鳴き声も!?の画像
第2回「紅白歌合戦」の模様 1952年1月3日

NHK放送博物館の川村です。日本の放送100年の歴史、今回のテーマは年末年始の放送、黎明期の物語です。


NHKの年末年始番組といえば、真っ先に「紅白歌合戦」や「ゆく年くる年」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。今に続くこの長寿番組はどちらも戦後に始まった番組ですが、そのうち「紅白歌合戦」はもともと年明けの正月番組としてスタートしています。当館のヒストリーゾーンでもその経緯を展示していますが、第1回の放送は1951年1月3日で、まずはラジオ放送としてスタートを切りました。会場は当時内幸町にあった東京放送会館第1スタジオ、出場歌手は紅組・白組とも7人ずつ、放送時間も20時からの1時間とコンパクトな番組でした。出場者と曲目には、藤山一郎「長崎の鐘」、渡辺はま子「桑港のチャイナタウン」など昭和の名曲が並んでいます。

紅白歌合戦が大みそかに放送される番組になったのは日本でテレビ放送が始まった1953年のことです。2023年の紅白は、テレビ番組としては70年もの月日が流れたことになります。

正月番組としてスタートした紅白が大みそかに変更されたのには、会場の都合があったといわれています。テレビ放送と同時に番組の規模も大きくなったことから、より大きなステージが必要になったものの、当時、正月の大劇場はさまざまな興行が予定されており、結果的に会場を使えるのが大みそかしかなかったというのがその理由とされています。

実はこの年の1月2日にも「正月番組としては最後」の紅白歌合戦が放送されているので、史上唯一、年に2回「紅白」があった年ということになります。

実は、紅白歌合戦には前身となる番組がありました。それは終戦間もない1945年の大みそかに放送された「紅白音楽試合」という番組です。この「音楽試合」はこの年だけの放送でしたが、放送時間は大みそかの22時20分から午前0時までと、当時としてはかなりの深夜番組でした。そしてこのあと午前0時から上野寛永寺の除夜の鐘の音が放送されています。「ゆく年くる年」の前身ともいえる放送です。

しかし、これが最初の大みそかの中継番組ではありません。大みそかの年越し番組はすでにラジオ放送が始まった直後から行われています。「除夜の鐘」という名称で年越しの番組が最初に放送されたのは1927年の大みそか(実際には年明けの1928年1月1日)のことです。その際の写真がNHKに保存されています。その時の様子がこちら。

「何じゃ、こりゃ??」と思われるでしょうが、これ、当時の愛宕山のスタジオにお寺から借りてきた「鐘」(というより巨大な「おりん」)を持ち込んで放送局員が叩いているのであります! それもちゃんとタイムキーパーらしき人物も立ち会っています。そのおかげ? でちゃんと108回たたいたそうです。正月飾りもちゃんと置かれているのがご愛敬です。なおこの仏具、正式には「けいす」というそうです。したがって厳密にいえば「バーチャル除夜の鐘」なので、こうなるとありがたいのか何なのかよくわかりませんが、それでも当時の人たちは家に居ながらにして除夜の鐘(実際は「バーチャル」。)の音に新年への思いをよせていたのでしょう。

さて、この年の年始放送はこれで終わりではありませんでした。番組表には「除夜の鐘」に続いて「鶏鳴」という項目があります。

これまた「??」と思われるでしょうが、読んで字のごとく「ニワトリのな鳴き声の放送です。この時の写真ではありませんが「鶏鳴」はこんな感じでやってました。

1929年の「鶏鳴」放送の様子 (当館4階ヒストリーゾーンの展示パネル)

じゃーん。スタジオの中で一羽のニワトリと、当時のライツ型マイクロフォンが向き合っております。もうどうにもこうにもシュールなことこの上ありませんが、意外にもこのニワトリの声の放送は「年明けから縁起が良い!」と聴取者から好評だったようで、その後たびたび放送されています。初鳴きの放送は、ニワトリだけでなく大阪中央放送局から「鶯の声」を放送したこともあり、なんとものんびりした時代でした。その後戦時中は中断していたものの戦後になっても続き、なんと1964年まで放送されていました。

実は終戦直後の1946年の元旦にはすでにニワトリの声は放送に復活していました。そういう意味では「ニワトリの声」は平和な時代の象徴だったのかもしれません。日本の放送は100年の歴史の中でこんな斬新なアイディアで新年の「寿ぎ(ことほぎ)」を伝えてきたのです。