エッセイストのさん(90歳)は東京都生まれ。11歳のときに東京大空襲で6人の家族を亡くし、その後、落語家の三代目三遊亭きんさんに引き取られます。1952(昭和27)年に初代林家三平さんと結婚。三平さん亡きあとはおかみさんとして一門をもり立てつつ、平和の大切さを訴える活動にも力を入れてきました。海老名さんに戦争の体験や人生の心得などを伺いました。
聞き手/遠田恵子この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2023年12月号(11/17発売)より抜粋して紹介しています。


――2005(平成17)年、上野公園に「時忘れじの塔」という慰霊碑を建立されました。どんな思いからだったんでしょうか?

海老名 実は「東京都平和の日」の委員を第1回から仰せつかったんですね。当時、広島や長崎の悲惨さは知られていましたが、東京大空襲の惨禍はあまり語り継がれていませんでした。首都に爆弾が落とされ、たった2時間余りでおよそ10万人の人が死んだという悲しい事実。それを伝えたい一心で委員を務めておりました。

私と同じように戦災孤児になった人たちが大勢いますので、時忘れじの塔も、その人たちのためにどうしても建てたいと思ったんです。都の平和の日の式典が3月10日ですから、前日の9日に「時忘れじの集い」として、塔の前に身近な人たちが集まる会を行いました。どんどん輪が広がりまして、多いときは1800人集まりました。


平和を伝えるためにも、元気で明るく

――今年の集いでは、海老名さんが作詞した合唱曲『ババちゃまたちは伝えます』が、幼稚園の子どもたちの澄んだ声で披露されました。どんな背景で生まれたんですか?

海老名 名古屋に住むロシアの女性から「今、ロシアの女性たちは(ウクライナとの紛争で)夫を、息子を、孫を戦争に取られて苦しんでいます。日本のお母さん、助けてください」という手紙が届いたんです。それで「地球上のみんなが仲良くしなくちゃいけない」と思って、一晩で詞を書き上げました。そしたらある方が「おかみさん、これは世界中の人に歌ってもらおうよ」と言ってくださって。今は朝鮮学校の子どもたちが歌ってくれたり、英語やロシア語、中国語、ポルトガル語、ウクライナ語などに翻訳されて歌われています。※この記事は2023年8月17日放送「命の限り伝え続ける戦争」を再構成したものです。

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