ロシア軍の陣地に接する最前線の町オリヒウ。地元の警官とともに進む。激しい砲撃と空爆で家々が破壊されていた。(2023年5月・オリヒウ・撮影:玉本英子)

今回から3回に分けて、映像ジャーナリストの玉本英子さんに、最前線で見つめたウクライナの最新報告をうかがいます。玉本さんが撮影した写真も紹介します。

ロシア軍の侵攻から1年9か月。最前線の戦況は、毎日くわしく報じられていますが、避難することもままならない住民の苦悩は、十分には伝えられていません。

玉本さんは、イラク、シリアはじめ、多くの戦場に身をおき、犠牲を強いられる一般市民、とりわけ子ども、女性、高齢者に光をあててきました。

戦火のウクライナで、市民は何を思い、どんな状況に置かれているのか。
玉本さんが見つめます。(聞き手:貴志謙介)

これまで中東の紛争地域を始め、アジア、ヨーロッパ各地を取材してきた玉本英子さん。市民の視点で戦争を見つめてきた。写真はイラク北部取材時の玉本さん。(2016年・撮影:アジアプレス)
玉本英子(たまもと・えいこ)
映像ジャーナリスト(アジアプレス)。イラク、トルコ、シリアなど中東地域のほか、アフガニスタン、ミャンマー、ウクライナなどを取材。
「戦火に苦しむ女性や子どもの視点に立った一貫した姿勢」が評価され、第54回ギャラクシー賞報道活動部門優秀賞。「ヤズディ教徒をはじめとするイラク・シリア報告」で第26回坂田記念ジャーナリズム賞特別賞。
イラク・シリア・ウクライナ取材は、NHK の報道番組、NEWS23(TBS)、報道ステーション(テレビ朝日)、報道特集(TBS)、テレメンタリー(朝日放送)、日曜スクープ(BS 朝日)などで報告。
アフガニスタンではタリバン政権下で公開銃殺刑を受けた女性を追い、2004年ドキュメンタリー映画「ザルミーナ・公開処刑されたアフガニスタン女性」を監督。
各地で戦争と平和を伝える講演会を続ける。

*5月下旬、玉本さんは、ウクライナ軍司令部の許可を得て、
ザポリージャ州オリヒウに向かった。
オリヒウは、ウクライナ南部戦線のきわめて重要な戦略拠点。
ロシア軍の陣地から7キロ、まさに最前線の町だ。

(地図制作・アジアプレス)

——なぜ、オリヒウに。

玉本 オリヒウは軍事的に重要な意味を持つ町です。ここからアゾフ海に通じるラインには、ロシア軍が占領しているウクライナ南部と東部をつなぐ要衝があるからです。ウクライナ軍はオリヒウからトクマク、メリトポリの攻略を目指しています。ロシア軍もそれを分かっていて、この地域の防御を固め、強力な部隊を送り込んでいました。

取材のすぐあと、ウクライナ軍の反転攻勢が始まりました。オリヒウとその近郊の前線が進撃路の一つとなりました。ただ、こうした前線地帯にも、住民が残っているのです。絶え間なく続く砲撃や爆撃のなかで、人びとは、どうやって命をつないでいるのか。そこに目を向けたいと思い、南部戦線に入りました。

*7キロ先のロシア軍からの砲撃。
玉本さんは、防弾ベストとヘルメットで身をかため、
地元の警官とともに、砲弾が撃ち込まれるオリヒウを進む。
砲撃で破壊された建物は数えきれない。
大半の住民はすでに町の外に避難し、ほとんどの地区が無人となっていた。

ロシア軍の攻撃で破壊されたオリヒウの公立学校 校舎が崩れ落ち、教室がむき出しになっていた。(2023年5月・オリヒウ・撮影:玉本英子)

*次々と砲弾が

——オリヒウの町はどんな状況でしたか。

玉本 激しい砲撃で市内に人影はありませんでした。どの商店も閉まっていてゴーストタウンのようでした。ほとんどの住民は脱出したからです。

屋根が吹き飛び、壁が崩れ、部屋がむき出しになった家もありました。学校も数か所まわりましたが、いずれも徹底的に破壊されていました。

すぐ先のロシア軍陣地からの砲撃のほか、遠方の航空機からの爆撃もあります。地元の警官の話では、大型爆弾は、500キロとか1トン爆弾ということでした。地面を深くえぐった10メートルを超えるクレーターのような穴があちこちにありました。

「爆撃でえぐられた地面」(2023年5月・オリヒウ・撮影:玉本英子)

地元の警官とともに無人になった地区をまわりました。砲弾が、ドーンと着弾するたびに、体がこわばりました。「同じ場所に長く留まれば、ロシアのドローンに見つかり、砲撃の標的にされるかもしれない」と、警官に言われました。

その時、突然、ヒューンという空気を切り裂くような鋭い音が聞こえました。私のすぐ真上を砲弾がかすめ、少し先に着弾しました。非常に緊張した現場でした。

*ロシア軍は手ごわい

——兵士たちは、戦闘現場でどう感じているのでしょうか。

玉本 「ロシア軍は強制的に動員された兵士が多く、士気も低い」という報道を見かけますが、ウクライナ兵たちはそうした認識ではありませんでした。「末端には士気の低い動員兵もいるが、将校クラスのロシア兵は洗練されていて部隊運用にも長けている」という声を聞きました。

多くの兵士が言っていたのは、「武器も弾薬もロシア軍に比べて圧倒的に少ない」「欧米の武器支援も一部にだけ配備され、多くの戦線では厳しい状況」ということでした。
車両が足りずに、運搬車を購入するためのカンパを呼びかける動画をSNSにアップする部隊もありました。欧米のメディアは武器支援の状況を頻繁に伝えるのですが、現場の兵士たちは、いずれも楽観的ではなかったです。

私は反転攻勢が始まる直前にオリヒウに入りましたが、最前線の兵士たちは「これは過酷な戦いになる。かなりの犠牲も覚悟しなければならない」と言っていました。それでも戦わなければならないという現実がありました。別の戦線の兵士はこう言いました。「ロシア軍に土地を奪われたら、絶対に戻ってこない。今、自分たちが戦わないと、次の世代が戦わなければならなくなる」その言葉が印象に残りました。

*不発弾や仕掛け爆弾も

——玉本さんが現地で入手された資料の中に、おそろしい写真がありますね。

玉本 消防署が市民に配布するパンフレットです。不発弾や地雷、爆発物などの写真とともに、「見つけても絶対さわるな!」と警告の文字が書かれています。地雷や不発弾があちこちに残っていて、住民の被害が相次いでいるからです。
これらの地雷や不発弾はロシア軍によるものもありますが、戦闘地域ではウクライナ軍側の砲弾の不発弾も残っています。

パンフレットの写真のなかには、子どものおもちゃを模した爆発物の写真もあります。これはロシア軍が仕掛けた即製爆発物で、手にとったとたんに爆発するようになっています。
こうした仕掛け爆弾には、携帯電話やキャンディの箱も使われるため、注意を呼びかけています。

子どものおもちゃの写真にみえる。実は危険な偽装爆弾。非常事態庁が配布しているパンフレット。不発弾や地雷などに厳重な注意を呼び掛けている。

住民の居住地域での爆発物や、不発弾の処理にあたるのは、消防署を管轄する「国家非常事態庁」の爆弾処理班です。
住民の通報をもとに処理にかけつけますが、戦闘地域に近い場所では、あまりにも不発弾が多くて、すべてを除去できていないのが現状です。とくに農地は広大ですから、手付かずのままの畑も少なくありません。

——住民は他にどんな不安を抱えていますか。

玉本 原発です。ザポリージャ州は欧州最大級の原発があり、その地域を現在、ロシア軍が占領しています。そこが破壊、損傷して放射能が流出すると、広範な地域に深刻な影響がおよびます。国際原子力機関(IAEA)も視察に訪れましたが、安全が確保されたわけではありません。
私が取材したザポリージャの消防隊員は、ヨウ素剤の錠剤を常に携行していました。住民の不安は砲撃だけではないのです。

ザポリージャ州のロシア軍支配地域には、欧州最大級の原発がある。戦闘や破壊による放射能流出が懸念される。原発に近いウクライナ側の消防隊員は放射能流出に備えて、ヨウ素剤を携行していた。(2023年5月・ザポリージャ・撮影:玉本英子)

*参考「ロシアの戦争犯罪」
10月、国連はロシアの戦争犯罪に懸念を表明。国連の最新報告書には「民間人に対する残虐な拷問、
女性に対する強姦、違法な爆発物による攻撃、大量虐殺、子どもの連れ去り等の証拠」がふくまれる。
その他、戦争犯罪として、病院、学校、民間インフラを標的とする攻撃もある。
原発の武器化、穀物輸出の妨害による世界への飢餓輸出、
ウクライナの文化財の破壊などがウクライナ市民を苦しめている。
(編集部)

*砲撃下に残る住民

玉本 ロシア軍の侵攻前、オリヒウには1万4000人が暮らしていました。いまも一割の住民が残っています。かれらを支援する拠点を訪ねました。学校の地下フロアを退避シェルターにしていました。市内は激しい砲撃にさらされていましたから、この避難拠点は最後のよりどころです。

学校地下の退避シェルターの簡易食堂に集まっていた避難民。ほとんどが高齢者。(2023 年5月・オリヒウ・撮影:玉本英子)

——これほど危険な前線の町に、まだ一部の住民が残っているのはどんな背景が。

玉本 今もわずかに残る住民ですが、60代~80代の高齢者です。「子どもや孫は別の町に避難させた。でも自分たちは残った」という人たちです。
オリヒウには、避難所が9か所あり、宿泊もできます。食事が提供され、簡易シャワーもある。インフラ破壊で電話が不通の地区も少なくありません。
衛星回線で電話とネットが使えるようになっていて、町から避難した家族と電話で連絡をとりあっていました。このほか、地元ボランティアもいて、食事をつくるなど、献身的に活動していました。

食堂で黙り込んで座っていた71歳のカテリーナさんは言いました。
「この年齢になると、言葉も違う見知らぬ土地での新たな生活はそれだけで大きな心労なのです」
彼女は息子の家族とともに、いったんポーランドに避難しましたが、見知らぬ土地での生活が負担となって心身の調子を崩し、半年でオリヒウに戻りました。

避難先でも生活していかなくてはならない。若い世代は仕事を見つけて働けるが、高齢者は、わずかな年金に頼っている。そうした生活上の不安も避難を思いとどまらせている理由のひとつです。
農村では牛などの家畜もいるし、農作物のこともある。無人になった家を狙う泥棒の略奪も起きていると聞きました。

*避難拠点に攻撃

玉本 私がこの避難拠点を取材した 2か月後の7月10日、この避難拠点をロシア軍が攻撃し、ボランティア、医師ら7人が犠牲になりました。
現場にかけつけた地元警察の映像には、瓦礫の下から次々と運び出される遺体が映っていました。高齢者が身を寄せる避難施設まで標的となったのです。この非道に私は憤りを覚えました。
ウクライナ検察当局は、これを戦争犯罪として捜査すると表明しています。

避難所となっていた学校の校舎はロシア軍の攻撃で吹き飛び、7人が死亡。(2023年7月・ザポリージャ警察撮影映像)
避難拠点の学校への攻撃現場で運び出される遺体。ボランティアスタッフや医師らが犠牲となった。(2023年7月・ザポリージャ警察撮影映像)

——ロシア軍は住民がいる場所を分かっていて攻撃するのでしょうか。

玉本 昨年、南東部マリウポリで「子どもたち(がいる)」と大きく表示した場所が攻撃され、避難民が犠牲になった例があります。また、人や車の出入りのある建物もよく狙われます。軍事施設とみなされたり、誤認されたりする場合や、敵の殲滅のためには民間人の巻き添えもかまわないと爆弾を落とすこともあります。

さらに、住民に恐怖を与えて追い出し、疲弊させるために意図的に狙うこともしばしばです。私はイラクで米軍が住宅地を爆撃して、住民が巻き添えになった現場をいくつも見てきました。戦争の現場ではこうしたことがいつも起きます。

*前線まで2キロの村

——玉本さんは、オリヒウの取材のあと、さらに前線に向かわれたのですね。

玉本 オリヒウから南東に車を走らせ、厳重な検問所をいくつも越えて、さらに前線地帯へ向かいました。ロシア軍陣地との境界線までわずか2キロの村、マラ・トクマチカに入りました。検問所をいくつも通過しました。すれ違うのは軍用車両ばかりです。屋根が吹き飛ばされ、壁が崩れ落ちた家があちこちにありました。
ウクライナ軍がすぐ近くに展開していたため、双方の砲弾が飛び交う場所でした。ここにも高齢者が残っていました。

前線地帯の村に残る住民。取材時、この村はロシア軍との境界線からは、わずか2kmだった。毎日、砲撃にさらされていた。(2023年5月・マラ・トクマチカ・撮影:玉本英子)

地元の人たちは「家畜の牛が3頭もいて、置き去りにはできない」「年金生活なので、よその場所にアパートを借りる余裕もない。できる限りここにいたい」と話しました。

この日支援に訪れたのはイギリスのボランティア。遠隔地の村は支援物資も届けにくい。こうした人が集まる現場も砲撃の標的になる。昨年にはこの村で物資の配布の列が狙われ4人が死亡。 (2023年5月・マラ・トクマチカ・撮影:玉本英子)

*物資配布まで標的に

玉本 村に残る住民のために、医薬品などの物資配布もあるのですが、こうした現場も狙われます。人が集まるところが標的になるのです。昨年も物資配布のスタッフや列に並んでいた住民が犠牲になりました。町や村をまわって支援を続けるボランティアスタッフも命懸けの活動となっているのです。人道援助が深刻な危機に陥っています。

(「玉本英子 戦火のウクライナをゆく」第二回に続く)

※次回「悲しみの『再会』」では、ヘルソンの村を玉本さんが10カ月ぶりに再訪。ウクライナ軍が奪還した地域でも生活の再建にはほど遠い状況にありました。

*参考「人道援助の危機」
国連人道問題調整事務所(OCHA)によれば、現在「ウクライナ国民の49パーセントに当たる
約1,760万人が現在、人道支援と保護を必要としている」 「510万人以上が国内避難民となっている」「ロシアによる大規模な民間インフラの破壊は、教育、医療サービス、水へのアクセスなど」
を悪化させている。人道支援活動もロシア軍の妨害や攻撃にさらされ、危機に陥っている。(編集部)

京都大学文学部卒業、1981年にNHKに入局。特集番組の制作に従事。NHK特集「山口組」、ハイビジョン特集「笑う沖縄・百年の物語」、BS特集「革命のサウンドトラック エジプト・闘う若者たちの歌」、最近作にNHKスペシャル「新・映像の世紀」「戦後ゼロ年東京ブラックホール」「東京ブラックホールII破壊と創造の1964年」などがある。ユネスコ賞、バンフ国際映像祭グランプリ、ワールド・メディア・フェスティバル2019インターメディア・グローブ金賞など受賞多数。現在はフリーランスの映像ディレクター・著作家として活動。著書に『戦後ゼロ年東京ブラックホール』『1964東京ブラックホール』がある。2023年3月放送の「ETV特集・ソフィア 百年の記憶」では、ウクライナ百年の歴史リサーチ、映像演出を担当。