『野にいきるもの 亡き父に捧げるシマフクロウ』2008年
古い布の組み合わせと、アイヌ文様刺繍で絵を描く​梶かじ​静しず​江さん(88歳)。アイヌとしてのルーツに悩み、戦い、やがて出会った​布​絵。作品に込める思いや精神性を語っていただきました。
聞き手 村上里和

「自分を生きる」出会い

——古布絵を始められたきっかけをお聞かせください。

宇梶 ぬの​絵を初めて見たのは、友達に誘われた、ある展示会でした。布絵は布を切って縫いつけて絵になっているものなのですが、その絵を見て、体が宙に浮いて抑えることができないような衝動を感じました。まさに心に火がついたんです。60歳を過ぎてからは「自分を生きる」と決めていたのですが、ずっと自分のために作りたかったもの、それが目の前にありました。

家に帰っても眠れず一晩考えました、「何を作ろうか、布で」って。それで決めたのが、シマフクロウ。翌朝本屋さんが開くまで待っていて、シマフクロウの写真集を買いました。私たちはシマフクロウを「コタンコロカムイ」と呼ぶのですが、「村の守り神」という意味なんです。

『赤い目のフクロウ』2006年
「赤い目は“私たちアイヌはここにいるよ”と いうメッセージなんです」(宇梶さん)
古布絵絵本『シマフクロウとサケ』2020年刊より

——宇梶さんの作品は、布絵にアイヌ文様刺繍を組み合わせています。

宇梶 都内で開催されたアイヌ民族展でアイヌ文様刺繍を見て「生まれ育った北海道に、刺繍を習いに行きたい」と強く思ったんです。アイヌの柄は独特なので、基本を身につけるために改めて北海道へ行きました。これも60代になってからのことです。

『捨子物語 和人の子を育てるアイヌ』1996年

——子どものころから絵を描いたり何かを作ったりするのは好きだったんですか。

宇梶 それがなかったら私じゃないというくらい大好きでした。手伝いの休み時間には母屋の陰で、拾った新聞の字の隙間に絵を描いたり、自分の好きなことをやっていました。姉にもらった小さな布で毎日布遊びもしていました。飽きないで何時間でも同じことをずっとやっていたそうです。
(後編へ続く)


※この記事は、2021年1月15日放送「ラジオ深夜便」の「今こそ、アイヌの心を伝えたい」を再構成したものです。
※「アイヌ学舎 白老シマフクロウの家」はこちら
https://www.ainugaku.com/

宇梶 静江 (うかじ・しずえ)

1933 (昭和8)年、北海道浦河町生まれ。23歳で上京し、その後結婚。40歳で東京ウタリ会を立ち上げアイヌ民族の権利獲得の活動を行う。60歳を過ぎてから古布絵を始める。2011(平成23 )年、 古布絵作家としての活動が評価され吉川英治文化賞を受賞。2020(令和2)年『大地よ! アイヌの母神、宇梶静江自伝』(藤原書店)発刊。同年に後藤新平賞を受賞。長男は俳優の宇梶剛士さん。

構成/後藤直子 文/向川裕美
(月刊誌『ラジオ深夜便』2021年5月号より)

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