
3月31日(月)から放送が始まった、連続テレビ小説「あんぱん」。「アンパンマン」の生みの親・やなせたかしさんとその妻・暢さんをモデルに描かれています。
放送にあたり、ステラnetでは「やなせたかし」さんご夫妻をもっと身近に感じていただきながら「あんぱん」をより楽しめるような連載コラム、「もっと知りたい『あんぱん』やなせたかしさんのこと」をスタートします。
今回は、やなせたかしさんの秘書として、20年以上にわたりそばで支えた越尾正子さんにお話を伺いました。妻・暢さんとも深い親交があった越尾さんが、数々のエピソードを語ってくださいました。
第1回は、「やなせたかしさんと妻・暢さんとの運命の出会い」です。
暢さんと出会ったことが全ての始まり

――やなせご夫妻とはどのように知り合われたのでしょうか。
まず、暢さんとの出会いは1973年ごろ。茶の湯の稽古場で偶然知り合いました。当時私が20代半ばで、お茶のお稽古を始めたくなり、習いに行った先で出会ったんです。暢さんはそのころ50代で、私の先生の兄弟弟子にあたり 、先生の補佐役として、お手伝いに来られていました。
お点前をするためのお道具の準備などを暢さんがお水屋で指導をしてくれていました。すごく的確で、最初から「ああ、分かりやすいな」という感じで、暢さんのことはいい先生だなと思っていました。
――いい先生だったんですね。ほかに印象に残っていることはありますか?
暢さんはすごくお綺麗な方。それに、暢さんはいわゆる“ハチキン”で男勝りな性格なんだけれども、悪口を言うことは絶対にしない人でした。それに噂話をしている人がいても、それを無理やり終わらせるのではなくて、自然に良い話題に変えていく。そういう思いやりの面も持ち合わせていました。だから私としては「いい人だな」という印象を持ちましたね。

――そのときから、やなせさんの妻であることはご存じだったのでしょうか。
稽古場で同じように習っていた生徒さんが「あの方が漫画家のやなせさんの奥さんよ」と教えてくれたのですが、それぐらいの情報しか知りませんでした。お稽古するときは、やなせさんの奥様ということは気にしていなかったといいますか……。
あるとき、私の先生が引退することになり、稽古場が閉鎖になってしまったんです。そのころ暢さんはすでにご自身で稽古場を持たれていて……それから10年後くらいでしょうか、意を決して暢さんに「お稽古させてください」と電話しました。そして、暢さんの稽古場に通うことになったんです。
それから、7、8年ほど経ったころ、今度は私、勤めていた会社を急に辞めたくなって。今後のお付き合いにも影響するかもしれないので、一応、仕事を辞めたことを暢さんに話したら、「うちに来ない?」と誘ってくださったんです。それまでやなせスタジオの事務の仕事は、暢さんの妹さんがされていたのですが、そのころ体調を崩されて、後任を探していたところだったそうです。偶然が重なり、私自身はあまり深くは考えずに、「じゃあ行こう」という感じでした。
やなせ先生は裏表がない自然体な方

――やなせたかしさんの最初の印象はいかがでしたか。
入社前、それこそお茶のお稽古に通っているときには、犬の散歩をしているやなせ先生にご挨拶するぐらいでした。入社が決まって、暢さんから先生に紹介してもらったんです。「今度、うちの経理や事務を手伝ってもらう越尾さんです」と。やなせ先生はさらっと「うちの仕事は簡単だからよろしくね」とおっしゃったんです。
最初からものすごく自然体で接してくれたんですよね。偉い人なのに威張るわけでもなく、ほんとうに自然。私の中では、詩人はお金じゃなくて霞を食べて生きているような、そんな雰囲気のある人だ、というイメージがあったのですが、まさしく、やなせ先生はそういう方でした。あのとき「よろしくね」と言われて、気楽に「はい」と返事して今に繋がっています。
――2人はどんなご夫婦でしたか。
勤め始めると、暢さんのほうから、自分のことや先生のことを話してくれるようになりました。そうすると面白いことに、暢さんが話していたのと同じ話を、やなせ先生も話してくれることがあって。でも、話にズレが全くないんです。よくお互いに話をされているんだなと思いました。理想の夫婦像ですよね。
それにやなせ先生はテレビや新聞、雑誌など多方面で露出していましたが、そのまんまの人なんです。有名人には裏の顔と表の顔があるんじゃないかと思っていましたが、やなせ先生は裏表がない。暢さんもやなせ先生も、ほんとうに人がよかったんです。
やなせ先生とご一緒できたことは、私にとって幸運なこと
――すてきなご夫妻だったんですね。それからずっと、ご一緒にお仕事されてきたんですね。
ものを作り出す方、例えば作家や漫画家もそうですけど、ものすごく、どこか神経質で繊細なところがある方って多いですよね。入社当時は、そういった繊細さに私はついていけるのかしら? と思っていました。もちろん、やなせ先生ご自身も繊細な部分はあるのですが、一方で、いつも自然体でいらっしゃるので、衝突はしなかったですね。
暢さんは私が入社後1年ちょっとで亡くなってしまうのですが、それから、やなせ先生が亡くなるまで20年以上、それこそ公私にわたって先生のそばにいました。働いてはいるんだけど、面白くて楽しかったんです。やなせ先生が亡くなる少し前に、先生から「越尾さん、うちに来てよかったか?」と聞かれたことがありました。「面白くて楽しい」って答えました。
やなせ先生はさまざまな仕事をされた方でしたので、変化が常にあり、飽きる暇がありませんでした。それに、先生は仕事ができる人よりも「仕事を楽しんでする人」が好きだった。偶然が重なって先生とご一緒して、いろんな仕事の楽しさを味わうことができたのは私にとってすごく幸せなことでした。
朝ドラになることは、きっと、やなせ先生と暢さんもうれしいはず
――今回、やなせご夫妻がモデルの朝ドラ「あんぱん」の放送が始まりました。改めてお気持ちをお願いします。
実は、やなせスタジオに入社してから、やなせ先生や暢さんからいろんな2人の話を聞くようになって、素敵な夫婦だなと常日頃から思っていたので、いつか暢さんが主役のドラマができたらいいなと夢見ていたんです。今回、暢さんが朝ドラのモデルになって感激しています。
また、暢さんをモデルにしたのぶ役を今田美桜さん、やなせ先生がモデルの嵩役に北村匠海さんという素敵な方が演じてくれて、とてもうれしいなと。やなせ先生もそのことを聞いたら、すごく喜ぶんじゃないかしら。暢さんはハチキンでも慎ましやかなところがあるから、「恥ずかしいわ」なんて言うかもしれないけれど、やっぱり嬉しいんじゃないかな。ドラマのこれからも楽しみにしています。

こしお・まさこ
株式会社やなせスタジオ代表取締役。1948年生まれ。高校卒業後、事務関連のお仕事をしながら、長年学んでいた茶道の稽古場で、やなせたかしさんの妻・暢さんと知り合う。そのご縁で、1992年に有限会社やなせスタジオに入社。秘書として、20年以上にわたり、そばでやなせさんの作家活動を支える。やなせ先生ご逝去後の2014年、株式会社やなせスタジオの代表取締役に就任。現在も、やなせさんの作品の管理に携わっている。
やなせ先生と暢さんとの運命的な出会いを語ってくれた越尾さん。今後も、越尾さんが語るやなせ夫妻のお人柄や魅力をお伝えしていきます。「やなせ夫妻との印象的な思い出」「アンパンマンについて」「『手のひらを太陽に』誕生のお話」「晩年のやなせ先生」など、不定期でお届けしていく予定です。
そのほか、連載コラムでは、巡回展「やなせたかし展」の模様や、やなせ先生の作品を紹介していきます。やなせ夫妻をぐっと身近に感じながら、「あんぱん」をより楽しんでいただけたらと思います。
次回もお楽しみに!
(取材・文 松田久美子 [NHK財団])
(取材協力 やなせスタジオ、フレーベル館)
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