2025年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の連載コラムは、5人の先生に担当いただき、それぞれの専門分野からドラマが描く時代・社会・政治・文化をわかりやすく解説いただきます。今回の担当は、清水光明先生。担当テーマはおもに「近世史・政治史」です。

 


 

大河ドラマ「べらぼう」の舞台は、久しぶりの江戸時代中〜後期(18世紀)です。大河ドラマというと、戦国〜しょくほう(織田信長と豊臣秀吉の活躍期)や、幕末〜維新期といった動乱の時代を題材とするイメージが強くあります。徳川家康はたくさん登場しますが、天下統一以降の時期(17~19世紀中葉)をメインで取り上げる作品はごく僅かです。

とくに18世紀が舞台となるのは、先日惜しくも亡くなられた名優・西田敏行主演の『八代将軍吉宗』(第34作/1995年)以来、じつに30年ぶりです。ただ、徳川吉宗とくがわよしむねが没したのは寛延かんえん4(1751)年なので、この作品では18世紀前半までしか描かれていません。

今作の主人公・つたじゅう三郎さぶろうが生まれたのは、ちょうど吉宗が亡くなる1年前の寛延3年で、寛政かんせい9(1797)年に没しました。蔦重の47年の生涯とほぼ重なる18世紀後半が、大河ドラマで描かれるのは史上初めてです。

では、そもそも江戸時代とはどのような時代なのでしょうか。そして、18世紀の政治や社会にはどのような特徴があるのでしょうか。

江戸時代全体の特徴を見ておくと、ポイントは3点。「平和」、「鎖国」、世襲身分制社会になろうかと思います。

「平和」は江戸時代のおなじみのイメージです。200年以上、大きな戦争がなかった時代。この「平和」の持続は、多様な文化を開花させました。今回のドラマで取り上げられる出版文化もその一つです。

他方で、この「平和」は、キリスト教徒に対する弾圧や「鎖国」政策の展開、身分統制などと表裏の関係にありました。

つまり、幕藩体制・社会秩序の維持を最優先にするための「平和」であった点を見逃すことはできません。平和の語にかぎかっこを付けたことには、そのような含みがあります。

次は、「鎖国」です。江戸時代の日本は、世界から完全に孤立していたわけではありません。長崎や対馬つしまさつ松前まつまえを通して、オランダや中国、朝鮮・琉球・アイヌなど外の世界と限定的につながっていました。

とはいえ、日本人は基本的に外国には行けなかったので、完全に閉じてはいなかったものの、開いていたとも言い難い状態でした。そこで、かぎかっこ付きで表記するのが現在の学界での共通認識となっています。

最後は、世襲身分制社会です。とりあえず支配者層(将軍家・大名家など武家、天皇家・公家など)と、被支配者層(百姓・町人・被差別民など)の2つに分けておきます。前者には門閥もんばつ制度のような上下関係の序列が、後者には仲間や組合といった共同的・排他的組織がありました。「生まれ」は、現在よりはるかに大きな意味を持っていました。

とり清長きよなが「三俳優隅田川舟遊び」大判錦絵3枚続 天明9年(1789)頃刊
The Metropolitan Museum of Art, Rogers Fund, 1914

以上の3点を踏まえた上で、18世紀の政治や社会の特徴を見ておきましょう。

まず元禄げんろく年間(1688~1704)は、現在の日本と同様、戦争を経験した人たちがいよいよいなくなった時期です。

さらに、約25年間続いたしょうるいあわれみの令やぶっりょう(親族が亡くなった人が喪に服す期間を定めたもの)の制度化によって、死や血はけがれとして忌避きひされるようになり、女人禁制の度合いも強化(おんまつりや酒の醸造、こうじ造りなどからの女性の排除)。人々の価値観は、敵を殺して上昇を図る戦場の論理とは対極の方向に大きく変わっていきます。

その後、吉宗は破綻しかけた幕府の財政を改善するため「きょうほう改革」を実施。新田開発やねん増徴策を進めましたが、それらもやがて限界に。ちょうどその頃、幕政を取りしきることになったのがぬま意次おきつぐです。

田沼意次(渡辺謙/左)と嫡男・意知おきとも(宮沢氷魚)

意次の家は、もともと紀州藩士です。藩主だった吉宗の将軍就任にともなって、父・意行おきゆきが江戸に入り旗本に編入されました。

その息子の意次は、めい4(1767)年、10代将軍・家治いえはる側用人そばようにん(側近)となり、さらには老中(幕府の政務を統括する最高職)も兼任して権勢を振るうことになります。いわゆる田沼時代です。

意次は吉宗の倹約令は継続しつつ、輸出用の銅のための鉱山開発や、白砂糖の国産化、株仲間(商工業者の組合)の積極的公認、蝦夷えぞ(北海道や樺太からふとなど)の開拓構想など、新田開発だけには依存しない斬新な政策を打ち出していきます。

蔦重が活躍したのは、まさにこの時期です。文芸や芸術、蘭学などの新しい学問が大きく発展した田沼時代ですが、その裏でわいや不正が社会で横行。大きんや大災害も続出し、全国で大規模なそうじょう(集団による騒乱)が勃発しました。

意次が失脚したのち、老中しゅに抜擢されたのが、御三卿の一つ・やす家出身のまつだいら定信さだのぶ。彼は、吉宗の孫です。30歳という異例の若さでの老中就任でした。

田安家から白河藩(現在の福島県白河市)の久松ひさまつ松平家に養子に入っていた定信は、藩主として飢饉きが対策・藩政改革を成功させました。その手腕を買われて、幕政および全国政治の立て直しを任されたのです。

田安賢丸まさまる(のちの松平定信/寺田心)

定信が活躍した時期が、「寛政かんせい改革」期です。定信は倹約令を継続し、華美な風儀(生活や習慣)の禁止やばくの禁止、出版統制の引き締めを行いました。同時に、江戸石川島につくった人足にんそくよせのような更生保護施設の設置や、町会所まちがいしょ社倉しゃそうじょう平倉へいそう)のような、天災などに備えて穀物を蓄えるこう貯蓄制度を設立します。

さらに、旗本はたもと御家ごけにんのための学問所の設立、学問吟味(朱子学の試験)の実施など、学問を奨励する制度を導入しました。しかし、定信の「寛政改革」は、世の中の反発や幕閣ばっかくの分裂などによって約6年間で終わりを迎えます。

田沼意次、そして松平定信――。水と油のように対照的なイメージが強い2人ですが、ともに吉宗の周辺から登場した彼らが、さまざまな政治・社会問題に対し試行錯誤を重ねていくのが18世紀後半です。そしてこの2人の政治に、蔦重の人生は大きく翻弄ほんろうされていきます。

最後になりましたが、私は政治や政策について解説していきます。1年間、どうぞよろしくお願いいたします。

 

参考文献:牧原成征・村和明編『列島の平和と統合 日本近世史を見通す1』(吉川弘文館)
     高埜利彦編『近世史講義――女性の力を問いなおす』(ちくま新書)
     藤田覚『田沼時代 日本近世の歴史4』(吉川弘文館)

 

東京大学グローバル地域研究機構特任研究員。日本近世史・思想史研究者。政治改革・出版統制やそれらに関与した知識人について研究している。早稲田大学第一文学部卒、東京大学大学院総合文化研究科修了。博士(学術)。著書・論文に『近世日本の政治改革と知識人』(東京大学出版会)、『日本近世史入門』(編著 勉誠社)、『体制危機の到来』(共著 吉川弘文館)など。