2025年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の連載コラムは、5人の先生に担当いただき、それぞれの専門分野からドラマが描く時代・社会・政治・文化をわかりやすく解説いただきます。今回の担当は、田辺昌子先生。担当テーマはおもに「浮世絵」です。
江戸時代の多くの版元(本の出版元・発行元)の中でも比較的知られた存在とはいえ、蔦屋重三郎が、まさか大河ドラマの主人公になろうとは驚きです。
大河ドラマという番組枠でいえば、日本史のヒーロー・ヒロインたる武家や貴族が主人公であることが圧倒的に多く、吉原遊廓の大門にいたる五十間道の茶屋を間借りした本屋からスタートした一介の町人・蔦重が、果たして主人公たる存在感を発揮できるのか。
大河ドラマを楽しみにしていらっしゃる視聴者の皆さんにも、同じように思われる方は多いでしょう。この疑問を皆さんと共有しつつ、大胆にも蔦重を主人公に据えた番組の企画者に賛辞を送ることになるのか……。
二枚目の若手俳優・横浜流星さんが主人公を演じるドラマとしてのイリュージョンを楽しみつつも、美術の研究者として厳しくも温かい目で蔦重の物語を深堀りしたいと思っております。
さて現在、世界の美術市場で、間違いなく高額で取引される日本美術といえば、喜多川歌麿(?-1806)や*東洲斎写楽(1763?-1820?)、葛飾北斎(1760-1849)という浮世絵師の錦絵(多色摺木版画)です。
浮世絵には、筆で描く肉筆画と、錦絵などの版画がありますが、じつは現在、この3絵師による人気図柄の錦絵は複数枚存在することがかえってコレクター心を刺激して、1点物の肉筆画より高額で取引されることが多いのです。“あのコレクターや美術館が持っている有名な図柄の浮世絵を私も持ちたい!”という版画ならではの勢いで、オークションなどでは値段が釣り上がるのです。
蔦重はこの3人いずれの絵師とも仕事をしていましたが、とくに歌麿と写楽は蔦重が見出し育てた絵師であり、それぞれの作品についてはおいおい解説することになるでしょう。
ただ、蔦重の時代には「美術」という言葉も概念もなく、浮世絵版画は基本的には薄利多売の採算の中で出版されたものでした。
版下絵を描く絵師、版木を彫る彫師、版木に絵の具を付けて色ごとに摺る摺師という合理的な共同作業によって、「安い、早い、うまい」のファストフードのように量産されたのが浮世絵版画です。ゆえに庶民にいたるまで絵を楽しむことができるという、世界でも稀な文化が生まれました。
蔦重が出した出版物の種類は広範にわたりますが、版元とは、上記のような採算性の中で成り立つものであり、綿密な経営手腕がものをいう仕事でもありました。
錦絵で言えば、まず享受者(買い手)の層を想定し、より多くの人の興味をそそる主題を企画し、絵師・彫師・摺師を選んで手配。もちろん色数や作品の大きさによって手間賃も変動し、版木、絵の具、紙の原材料費にも跳ね返ってきます。
ただ、蔦重版の錦絵がほかの版元の作品と一線を画していたのは、採算性や経営手腕ばかりでなく、蔦重自身に高い審美眼が備わっていたからとも推察されます。吉原生まれ吉原育ちの蔦重には幼い頃から美しいものを見る機会が数多あり、吉原でもっとも尊重される「通」という美意識を養う環境があったからでしょう。
蔦重と親しかった狂歌師・宿屋飯盛(石川雅望)は、蔦重の死後、その墓碑に彼の人柄を「志気英邁にして、細節を修めず、人に接するに信を以す」(喜多川柯理墓碣銘より)と記しています。
志高く才知に優れ、細かいことにこだわらず、人とは信頼関係を尊重する――。その高い審美眼とともに、経営者としても抜群の資質を備えていた人物であることがわかります。
果たして蔦重とは、大河ドラマにふさわしいこの時代のヒーローなのか。
視聴者の皆さんとともに楽しみながら、“錦絵の黄金期”とも謳われるこの時代の浮世絵を中心に解説していきたいと思っております。
元・千葉市美術館副館長、国際浮世絵学会常任理事。浮世絵史を研究している。学習院大学大学院人文科学研究科博士前期課修了。2018年に第11回国際浮世絵学会 学会賞、2024年に『サムライ、浮世絵師になる! 鳥文斎栄之展』図録で第36回國華賞など受賞歴多数。著書・論文に『浮世絵のことば案内』(小学館)、『浮世絵バイリンガルガイド』(小学館)、『もっと知りたい 蔦屋重三郎』(東京美術)など。